ビジョンについて「ビッグピクチャーを描こう」とか、「ワクワク感が大事」だとか言う人がいる。でも、どんなに壮大で面白味のある夢を描いても、それだけではビジョンとは言えない。集団ひとりひとりのギャップ意識が反映されていなければ単なる能書きである。
■キング牧師のビジョンについて
次の言葉は、キング牧師(1929-1968)の「I Have a Dream…」のスピーチ(1963)のハイライト部分である。(やや省略)
私には夢がある。いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくのを。
私には夢がある。いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するのを。
私には夢がある。いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むのを。
私には夢がある。いつの日か、アラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるのを。
このスピーチ、インパクトもさることながら、公民権法の制定(1964)につながったことから、最も優れたビジョンだと評価する人も多い。
ところで、この「I Have a Dream…」は、スピーチ全体から見たら後半部分にあたることはご存じだろうか。
スピーチの前半は、リンカーンの奴隷解放宣言から100年経った今なお黒人は奴隷状態にあること、それは民主主義や自由主義に反していること、つまり、「現実とのギャップ」と「その背景にある矛盾」を訴えることに費やしている。
この前段があったから「I Have a Dream…」のスピーチは、優れたビジョンと呼ばれるようになったと、私は考えている。
ひとりひとりの心の中に「ギャップ意識」があって初めてビジョンは効果を発揮する、ということだ。
■変化の無い環境に「適応」し過ぎる弊害
ここで言う「ギャップ意識」とは、現状となりたい姿の間にギャップがあることの自覚である。
人は自らを変えようとするとき、必ず何らかの「ギャップ意識」がある、と言ったら分かるだろうか。
「あれができるようになりたい」「これが分かるようになりたい」と思うこと自体、理想像と現状のギャップを認めているのである。
このように個人レベルの「ギャップ意識」は誰でも常にある。
でも、普段の生活の中でギャップを意識することなんてまず無いだろう。
朝起きて、飯食って、会社へ行って…、生活のほとんどは惰性的で、昨日と同じことの繰り返し、まあ、要するに環境と一体化している。
いや、俺はそんなんじゃない。常に将来を考え、現状とのギャップを意識し、自分を変えようとしている!
って人もいるかもしれないけれど、ほとんどの人は状況に流され、自らを変えようとはしない。
ましてや社会を変えようなんてしない。
なぜなら現状に「適応」し過ぎて「ギャップ意識」が顕在化しないからである。
■適応状態から脱するプロセス
本来「適応」は環境変化に合わせて、自らも柔軟に変化させる能力だ。地球のあらゆる生命が、この「適応」によって今まで命をつないできた。
けれども、「適応」は変化の原動力である反面、現状のまま、変化しないという「適応」もある。
リンカーンの奴隷解放宣言から100年経ても黒人差別が続いたのは、黒人含め国民多数が、「あるべき姿」を思い描くことができなかったため、厳しい現状に自らを「適応」させるしかなかったからだろう。
こうなると「ギャップ意識」はずっと心の奥底にしまわれたままである。
さて問題は、この心の奥底へしまわれてしまった「ギャップ意識」をどうやって引き出すか、だ。
これについて、日本には「黒船来航」という分かりやすい参考事例がある。
「黒船来航」は、それまで何の疑問も持っていないかのように暮らしていた江戸時代の人々の「ギャップ意識」を引き出してくれた事件と言える。
このことから言えるのは、「ギャップ意識」は、「体験」によって引き出されるということだ。
キング牧師の公民権運動の場合、黒船来航ほどインパクトあるきっかけはなかったけど、ブラウン判決、バス乗車拒否事件など、相当の「体験」の積み重ねがあった。
このようにして徐々に人々の「ギャップ意識」は醸成されていった。
それにしても不思議なのは、いったん「ギャップ意識」が現れると、それまで何の疑問もなく暮らしていたのが嘘のように、文化、政治、社会など、様々な分野の矛盾に気づきだす点だ。
明治維新しかり、公民権運動しかり、リーダーがいない段階から、「ギャップ意識」を持った人々によって、すでに大きな動きが始まっている。
リーダーが現れ、ビジョンを語りだすのは、その後だ。
■ビジョン策定のプロセス
ここまで書いてきたとおり、ビジョンは、「ひとりひとりが現状に対してギャップ意識を持つ」⇒「その背景にある矛盾を集団が共有する」⇒「リーダーが矛盾の解消された将来像を示す」という形で出来上がる。
なんだか弁証法(ものごとは正⇒反⇒合で発展するという仮説)みたいになってきたけど、この流れは、公民権運動や明治維新だけじゃなく、会社経営においても当てはまると思う。
多くの会社は、「リーダーが将来像を示す」ことだけに注力してしまっているけれど、それだけでは社員は自ら行動を起こしたりはしないのはご存知のとおりだ。
自ら行動を起こさせるためには、ひとりひとりが現状に対して「ギャップ意識」を持つ必要がある。
具体的には、異質な文化を「体験」させたり、チャレンジングな「体験」を繰り返させたらよい。
うまく運べば、次第に社員の中に「ギャップ意識」が醸成されていくだろう。
ちなみに、「ギャップ意識」が現れると、社長にとって必ずしも耳障りのよくない、矛盾の指摘なども出るようになる。
「ひとりひとりの持つ強みが発揮されていない」とか、「客の期待に応えきれていないんじゃないか」とか、経営批判ともとれるような言葉は覚悟したほうがよい。
でも、社長はこれをしっかり受け止める必要がある。
そうやって対話を続けていれば、次第に会社の方向性が浮かび上がり、それをうまく言語化できればビジョンは完成する。