ベンヤミン・ネタニヤフの人生の重要な部分


1976年、兄のヨナタン(イスラエル軍のエリート将校)が、エンテベ空港での人質救出作戦(エールフランス機ハイジャック事件)で唯一の犠牲者となって死亡しました。この出来事が、ネタニヤフの「テロリスト」への強い憎悪の原点です。

当時、アメリカのMITで政治学の博士課程にいたネタニヤフは、兄の死をきっかけにイスラエルへ戻り、政界入り。国連大使を経て、1988年にリクード党の国会議員になり、1996年の総選挙でリクードが勝利し、首相に就任しました(ラビン暗殺後の選挙)。

シオニズム右派を研究するコリン・シンドラーによると、従来のリクード指導者(ベギンなど)は「大イスラエル主義」という強いイデオロギーを貫いていましたが、ネタニヤフはイデオロギーより「応酬、やり返す」に動かされる傾向が強い人物だったと言われています。