今年夏に開催予定の東京オリンピックについては菅総理が1月29日に世界経済フォーラム主催の国際会議において「大会を実現する決意です」と発言、日本政府の方針を内外に明示しました。
一方、コロナ収束を見通せない現状でこの夏の東京オリンピックと来年(2022年)2月の北京冬季オリンピックの開催の可否について世界中でさまざまな意見が交わされています。
わたしは昨年思いもかけない縁で東京オリンピック組織委員会で働く機会をいただき、組織委員会を離れたあともオリンピックというイベント&ムーブメントの意義、そして東京オリンピックと北京オリンピック開催の是非についてはいろいろな方の意見をお聴きし、自分自身でも考えてきました。
なかでも橋本一夫『幻の東京オリンピック』(講談社学術文庫、講談社、2014年)からは多大な示唆を受けました。
結論から申し上げると、わたしは選手と観客、関係者の生命の保障を最優先として、無観客開催でも東京オリンピックと北京オリンピックは開催すべし、という立場です。
理由は3つあります。
(1)平和を促進する機会としてのオリンピック
(2)日本経済再生の機会としてのオリンピック
(3)日本人、特に青少年に対してポジティブな影響を与える機会としてのオリンピック
(1)平和を促進する機会としてのオリンピック
いま世界では中国と米国・西ヨーロッパ諸国との対立が深刻な状況に至っています。
こういう事態に至ったのは中国の急激な台頭によって米国との覇権争いが本格化したせいであるという点については大方の合意があると思います。
そして、2008年のリーマンショックによって米国型市場経済モデルに対する社会主義市場経済モデルの優位性に自信をもった中国は、昨年来のコロナ禍を通じて米国型民主主義モデルに対する中国型統治モデルの有効性にも自信を深めているように見えます。
中国は米国と同様に強烈な覇権国家意識(中華思想)を持つ国ですから、そうなれば中国モデルを世界に広める責任が自分たちにあると思うようになるのは自然なことです。
しかも、中国には19世紀半ばのアヘン戦争に象徴される西洋諸国に対する怨念があります。
自衛隊幹部、防衛研究所国際地域研究部長、拓殖大学教授等を歴任した永年のチャイナウォッチャーである茅部郁生さんは、中国は建国100周年となる2049年までに「世界トップの総合国力と国際的な影響力を保持する社会主義現代化強国を建設」することを目指していると断言しています。
(茅部郁生『中国人民解放軍』PHP新書、PHP研究所、2018年)
自由民主主義を掲げながら、非西洋諸国を植民地化してきた西洋諸国とその動きに同調した日本に対する歴史的感情を踏まえれば、中国が「偉大な中華の復興」を指向するのはある意味当然です。
しかも、米国はこれまで自国をモデルとする自由民主主義に基づく世界秩序を維持するために、軍事力のみならず非軍事的・非合法的な手段も行使してきました。
米国陸軍の暗殺者学校として知られるスクール・オブ・ジ・アメリカは2000年まで存続していました。
グァンタナモ米軍基地における被収容者に対する人権侵害は21世紀に入ってからの出来事です。
永年米国のやり方を観察してきた中国が強硬な手段に出るのは、いったん覇権を確立し中国型市場経済+統治モデルが正統性を確立すれば世界の大半は中国に従うと判断しているからだと思います。
(但し、わたしは米国と中国は同じ侵略国家なのだと主張しているわけではありません。国際政治というものはキレイごとだけでは済まない側面があるという事実を指摘しているだけです)
この状況下で、もし米国が選手団派遣を断念し東京オリンピックが中止となり中国のみが冬季オリンピックを予定通り開催するとなれば、中国の自信と野心はさらに高まり、逆に米国や西ヨーロッパ諸国はこの動きに対抗することがより困難になると思います。
一つの可能性として東京オリンピックと北京オリンピックがいずれも中止になれば、ある意味痛み分けということになるかも知れませんが、中国の政治体制と野心を考えると北京オリンピックが中止となる可能性はほとんど無いと思います。
逆に東京オリンピックが成功理に開催され、日本から中国にオリンピックの平和のバトンを渡すことができれば、中国は面子を重んじる国ですので、少なくとも今後1~2年の間は日中間の武力衝突の可能性を低くなるように思います。
ということは米中の武力衝突の可能性も低くなるということです。
これだけ情勢が流動的になると2022年ないし2023年の世界がどうなっているかはなかなか予測が難しいわけですが、2024年にはパリ、2028年にはロサンゼルスでオリンピックが開催されることが決まっていますから、2023年末まで米中および日中の対立が抜き差しならぬ次元に至らなければ、平和に向けた新しいモメンタムが生まれる可能性があります。
そのために、オリンピックはスポーツの祭典であるという本来の使命を愚直に実現することが現時点では最善の選択肢であると考えます。
冒頭で紹介した橋本一夫さんは『幻の東京オリンピック』のなかで、1931年の柳条湖事件に始まった満州事変によって1933年に国際連盟を脱退し、さらに1937年7月の盧溝橋事件によって日中全面戦争へのめり込んだ日本が1938年に国家総動員法を制定・公布し、戦争準備に総力を注ぐために1940年開催予定だった東京オリンピックの自主返上を決意した経緯を記したうえで、こう書いています。
(当時の日本で)実権を握っていた軍部が、単に聖火リレーに興味を示すだけでなく、ナチス・ドイツのようにオリンピックを一大プロパガンダの場と考え、日本の立場を国際的に理解させる絶好のチャンスととらえていたら、東京オリンピックは実際とはかなり異なった展開をみせていたのではないだろうか。たとえば、オリンピックの開催を機会に、日中戦争の一時停戦など思い切った手を打っていれば、諸外国のボイコットの動きは沈静化し、東京大会の返上といった事態は回避できたかもしれない。
だが、オリンピックを「たかがスポーツの大会」とみていた当時の軍部関係者に、そのような大胆な発想は望むべくもなかったし、各国の対日感情改善のためにオリンピックを役立てようとする国際感覚の持ち主もいなかった。
これに関連して、吉田茂元総理が戦後外務省に命じて作成させた「日本外交の過誤」と名づけられた調書は、第二次世界大戦に至る10~20年間における日本の国際情勢判断の重大な誤りとして「中国大陸におけるナショナリズムの高揚とその歴史的意味に対する理解が不足し、徒らに中国の反日、抗日、侮日ばかりを問題とする方向に走っていた」という点を挙げています。
(小倉和夫『吉田茂の自問 敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」』、藤原書店、2003年)
現在の中国の膨張主義的な対外政策と香港や新疆ウイグル自治区における人権侵害は決して看過することのできない問題です。
しかし、同時にもともと中国の領土であった香港を占領したのは1840年にアヘン戦争を仕掛けた英国であったことを忘れるべきではありません。
国際法の専門家で思想家でもあった故大沼保昭(元東大教授)先生は、21世紀最大の問題は非西洋諸国による西洋諸国に対する謝罪要求の顕在化であるとその晩年に繰り返し話していました。
実際に2020年3月10日にはオランダのウィレム・アレクサンダー国王が旧植民地であったインドネシアを訪問し、インドネシア独立戦争(1945〜49年)の際に起きたオランダ軍による「過度の暴力」を正式に謝罪しています。
もし、中国共産党が1840年のアヘン戦争とその後の列強諸国による対中国政策に対する謝罪を正式に要求するような事態になれば、日本の立場はたいへん難しいものとなります。
東京オリンピック2020を通じて中国のアスリート達の素顔が世界の人々に直接伝わる機会を提供することは、そのような最悪の事態を回避するうえできわめて有効な選択肢であると思います。
そのためにも、東京オリンピック2020自体は政治から距離を置いた純粋なスポーツのイベントというタテマエを崩すことなく開催するという姿勢を貫くことが望ましいとわたしは考えています。
(2)日本経済再生の機会としてのオリンピック
日本経済研究センターによると日本は人口減少・高齢化の影響が大きく、デジタル革命に成功しない場合には2030 年代以降恒常的なマイナス成長に陥り、経済規模でインド、ドイツに抜かれ世界3 位から5 位に転落すると予測されています。
一人当りGDPで見ても、1990年には9位であった日本は2019年には25位に転落しています。
企業ごとに比較しても、1989年には時価総額でトップ50社中32社を日本企業で占めていたのに対して、2019年には日本企業ではトヨタが43位にとどまっているだけです。(出典「平成最後の時価総額ランキング。日本と世界その差を生んだ30年とは?」)
日本がデジタル革命に乗り遅れた原因はいろいろと指摘されていますが、日本社会の構造的硬直性がデジタル化を妨げてきたことは間違いありません。
一方、昨年来のコロナによるリモートワークの導入が日本の組織のデジタル化を加速化させたことは明らかな事実です。
オリンピックが無観客開催となるということはコロナが収束しないということですから、競技の開催方法や放送のあり方にも革新的かつ抜本的な対策が必要となります。
仮にすべての革新的技術や対策がこの夏までに実用化されなくても、オリンピックに向けて行われる実験や実装化の試みはこれまでデジタル化を妨げてきた日本社会の硬直性を突破するきっかけになる可能性はあります。
また、北京オリンピックでは中国政府が威信を賭けて東京オリンピック以上の革新的技術を世界に示そうとすると思います。
日本における技術開発や実装化は中国というライバルとの競争を通じてさらに進む可能性があります。
逆にここで東京オリンピックを断念することは、日本社会にはびこる敗北主義を助長すると私は感じています。
(3)オリンピックが日本社会に与えるポジティブな影響
すでにさまざまな識者が指摘していますが、世界各国の選手がスポーツマンシップとルールに則って競い合うオリンピックは日本人、特に青少年がグローバルな意識とポジティブなマインドセットを育む貴重な機会になると思います。
国立民族学博物館の創設者でもあった故梅棹忠夫博士は、1974年にこう書いています。
日本は、まわりを海にかこまれているという地理的条件からも、たいへん鎖国しやすい国であります。できることなら国をとざして、温室のなかでぬくぬくくらしたい、という傾向がつねに潜在している国であります。
(しかし)、国際環境下における日本の立場は、いまや重大な難所にさしかかっているようにおもわれます。強大な外圧が、この国のうえにのしかかろうとしているように、わたしにはおもえてなりません。わたしは、短期的な国際政治の次元でこういうことをいっているのではありません。より長期的な、日本文明のたどるべき運命についてもうしあげているのです。いまこそ、よほど腹をきめて、体質の変化を積極的にはかるべきときがきたようにおもうのです。受信一方から発信機能の全面的開発へ、努力目標を早急に変換する必要があろうかとおもいます。さもなくば、この文明のもつ体質的なシャイネス(内気、恥ずかしがり)が、この文明自体の命とりになるのではないかとさえ、おもうのであります。
(梅棹忠夫「国際交流と日本文明」『国際交流』第1号、国際交流基金1974年3月)
すでに東京オリンピックを契機として海外の姉妹都市とのオンラインでの交流事業に取り組み始めた地方自治体も少なくないと聞いています。
東京オリンピックと北京冬季オリンピックがこのような国際交流への動きを後押しすることは間違いありません。