映画「アース」を観た感想 | もろもろの記

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気ままに…気楽に…

かなり昔の映画だったけど、ついに観た。
映画「アース」を。
京都で学生をやってた時から、TSUTAYAで見かけてはいた。
でも手が伸びなかった。
動物が好きな自分がそれを観ないようにしようと、
どこかで拒んでたのかもしれない。

 

 

 

 


今まで観てこなかった映画だけど、
心のどこかでは引っかかってた作品だった。
だから、今回は素直に借りてみた。

 

 

 

 

 


結論から言うと、やっぱり予想通りだった。
可もなく不可もなく、という感じ。
自分がこの映画を観ようと思わなかった理由がある。
それが「アース」という題名でありながら、
パッケージの動物がとても限られていたところにある。

 

 

 

 


ザトウクジラ、ホッキョクグマ、ゾウ。
そして、これを作成していたBCCは前作で「ディープブルー」を作成している。
どことなく「海」という世界を中心に動物を撮っているのではないか。
そんな気がしたのだ。
映画を観たら、アース(地球)と題しているにも関わらず、
やはり「海」のウェイトが大きく、撮影する動物も限定的だと感じた。
そして映画のテーマについても、
どことなく地球温暖化を問題として、原因を人間に求めるような所もあり、
純粋に生命の素晴らしさをうたった映画、というよりは問題提起をするような内容に感じた。

 

 

 

 


自分はどうも撮影者の恣意性を露骨に感じてしまった(様な気がした)。
映画の最後はクジラ、ホッキョクグマ、ゾウについて、こう締めくくっている。
・ホッキョクグマ→このまま気温が上昇し続ければ2030年までに絶滅する
・ゾウ→地球温暖化の影響で真水の供給は予測困難
・ザトウクジラ→餌であるプランクトンは海水温の上昇で減少している

 

 

 

 


穿った見方かもしれない。
でもなぜパッケージにザトウクジラ、ホッキョクグマ、ゾウの三種が載っていたのか。
なぜ作中での描写はザトウクジラ、ホッキョクグマ、ゾウが主だったのか。
※他の動物ももちろん取り上げられてはいたものの、「ドラマ」として描かれていたのはやはり三種だと感じた。
個人的には、映画の最後のナレーションで言いたいメッセージがあるために、
意図してこの三種を選んだのではないか、そう感じた。

 

 

 

 


もちろん、メッセージを訴えるために映画を作ってもなんの問題もない。
しかし、そうであれば「アース」と題うつのは違和感がある。
地球上全ての生命の営みを描いた映画ではなく、
主に三種(ザトウクジラ、ホッキョクグマ、ゾウ)をピックアップして描いているからだ。
そして描いたのも生命の営み、というよりは環境破壊の問題というものだった。

 

 

 

 


個人的には、もっと多様な生命の生き様を描き、
地球の生き物の多様性や素晴らしさを単純に描き切るだけでよかったと思う。
最後を締めくくるメッセージ性のあるナレーションも不要だったと思った。
生き物の生きる姿は、色んな意味で素晴らしいし、それだけで十分なメッセージがあるからだ。
そこにナレーションを加えて、「地球温暖化を防ぎ地球上の生命を守るために、私たちには大きな責任がある」
といった類の「言葉」を加えること自体が「人間的」に感じる。
人間中心主義を批判するのに、この「言葉」を入れるのはどうなのだろう。

 

 

 

 

 

私は「人間の身勝手で他の生命が滅ぶ」ということを単純に問題視することも、再考する必要があるように思う。
生命誕生から今に至るまで、一つの種が大量に繁殖したために滅亡した動物というのもある。
今の人間の繁栄によって滅亡する種もあるが、それも含めて生命の循環の一つなのではないか。
最近はそう考えることもある。
人間も一つの動物であるならば、人間の繁栄によって滅ぶのも「自然」な現象であり、
また、人間の増えすぎによって人間自体が滅ぶのも「自然」な現象ではないか。

 

 

 

 


映画が提起したい問題について考えても、個人的には期待外れな内容だった。
ただ、こういう人間中心主義の問題提起をする起爆剤として、
その役割は十分に発揮しているように感じた。
実際にこの映画を観て、少しの間考えさせられた。
だから、賛成するにせよ反対するにせよ、一度鑑賞する価値のある映画と自分は考える。
動物が好きな人や自然が好きな人には、必ず思う所がある映画となるだろうし、
鑑賞して損はない映画だと自分は思う。