桐谷ふみです。
「優しくされる」と「大切にされる」の違いってなんでしょうか。
人によっては同じ意味かもしれないなぁ・・と思いつつ。
これはあくまでわたしの解釈だから、もちろん違う人もいると思う。
考察するに「優しくされる」と「大切にされる」の違いは、「責任」の有無じゃないだろうか。
「優しくする」のは保身?
一般的には「優しい」っていい意味よ。
思いやりがあるとか、配慮があるとか、褒め言葉のひとつだと思うわ。
「優しい」というのは、感じ方や受け止め方が「優しい」んじゃないかな。
そういう「あり方」と「感受性」って素敵よね。
一方で、「優しい」を「手段」として人に向ける場合は、話が違ってくる。
わたしの場合でいうと、優しさに保身が含まれることはあるよ。
聖人君子じゃないからね、キレイごとはいいません。
例えば、仕事のスキルがない人に、わたしは優しく接してる。
なぜなら、そのひとに対してわたしは無責任な立場だから。
その人の世話をアサインされていない以上、わたしの仕事はうまくまわすことだから。
こういっちゃなんですが、その人が成長しなくても、いろんな問題があっても、関係ない。
優しい言葉と態度でその人が動くならいいんですから。
本当に「優しい」なら、関わり方が違うよね。
あるいは、相手の気分が悪くならないように、優しい態度をとることもあるわね。
こうなると、相手のためじゃなくて、自己保身。
「彼が優しくしてくれる」と思っていたら、実はご機嫌とりだったとか、怒らせたりモメるのがやっかいだから、ということがあるかもしれないです。
(そういえばわたしはあった・・)
「優しい」を手段にするのは、スキルなんだね。
「大切にする」には、リスクを伴う
大切にする相手ってどういう相手かしら。
わたしの場合でいうと、その人の価値観を尊重して、その人の未来の幸せのために、時間やコストを含めた責任をともなう行動をとると思うわ。
子の未来ために、親が厳しく叱ることがあるように。
介護が必要になった親のために、生きたい人生のためのサポートをしたいといろんなサービスを手配するように。
里子に出すために、預かった元ノラ猫ちゃんを人馴れ訓練させるように。
対象に責任を伴うものだと思うの。
「大切にする」とは、自分がイヤだと思うことやリスクがあっても、相手の未来の幸せために労力をかけるかどうか、だと思うわ。
「大切にする」相手は選んでいい
どんなにこちらが大切にしようが、努力しようが、通じないことのほうが多いかもしれない。
人間の時間とキャパは無限じゃないもの、当然よ、関わる人全員ていうのはムリ。
「わたしは優しいだけ」とか罪悪感はいらないわ。物理的にムリなんだから。
だもんでね。
「自分にとって大事な人とはどんな人だろう?」
「大事な人に大切にされているだろうか?」
「大事な人を大切にしているだろうか?」
という問いは、ずっとずっと考えて精査しないといけないんだと思う今日このごろです。