たまたまなんだけど、ユーチューブで動画視てたら、
自立支援施設『粋塾』にたどり着いて、はじめはどんなだろうと?興味本位で視聴してみた。だけど、
それはなかなか考えさせられる動画だった。

先に伝えとくけど、私は子供は居ません。
だけど、あることを2つ思い出したんだよね…。

『粋塾』の初めて視た動画は『8050問題』だったんだよね。

8050問題とは
「80」代の親が「50」代の子どもの生活を支えるという問題で、背景にあるのは子どもの「ひきこもり」です。 ひきこもりという言葉が社会に出はじめるようになった1980年代~90年代は若者の問題とされていましたが、30年以上が経ち、当時の若者が40代から50代、その親が70代から80代となり、長期・高齢化。

私は50代の子供の立場の年齢だけど、引きこもりではありません。

既婚者で私の両親と同居してるけど、老いていく両親をいずれは…
面倒をみる?って言い方はあんまり好きではないので、いずれは親が私を育ててくれた恩返しをしようとおもっている。

仕事もフルタイムで働いている。キャリアウーマンとかみたいにすごく好きで働いてるわけではないけれど
生活するために働いてる。
かと言って、カツカツってわけでもない。
すごい稼ぎがあるわけでもないけど、
月、一回の旦那と飲み会や、それ以外でも楽しめる余力はあるし、それが仕事への活力にもなるわけだ。物価高騰はナヤミの種だけどね(笑)  

引きこもりになるのは様々な理由があるし、時代が違うと言えばそうなのかもしれない。

私は小、中とイジメられっこだった。

小3のころはランドセルごしにに背中をキックされたり、無視されたり、

中学は暴力的なことはなかったけど、小学校の頃と同じように無視とか、私物を雑巾でも持つかのようにされたりした。学校へ行きたくなかったけど、私の場合は全員が無視ではなかったし、少ないけど友達もいたし、クラスには優しい人たちも何人もいたから学校へは行けたんだよね。

中学の頃、中休みにトイレからもどってくると、何度も私の机や椅子をわざと倒したりされてて、ここは今、思えばこういうところは私は強かったのかもしれないな。
現場を抑えないとって思って、トイレに行ったふりをして、廊下で待機してた。

そしたら案の定、男子2人が私の机とかを倒そうとしていたのが教室の窓越しに見えた。教室の窓はすりガラスで完全にはみえなかったけど、人影でわかったから、つかさず、教室のドアを大げさにバンと開けた。

『何しよんの?やめてよ!』
とか、ともかく声を荒げて言ったのは覚えてる。昔すぎて、なんと言ったかまでは詳細には思い出せないけど(笑)

そしたら、その男子達はピタッと動きを止めたし、その日を堺になにもしなくなった。

ま。授業中、「アイツ、急に強くなった」と話してるのが聞こえてきたけど。

要は弱いものイジメだった。ってこと。
3年になる頃には一部、雑巾みたいに扱う子はいたにはいて、やはり心は折れてはいたけど、普通に接してくれてる人もいたから、なんとか学校へ行けたんだよね。無事中学は皆勤で卒業できた。

共学の高校に入学した。高校では中学の同級生はほんのわずかだったのもあって、
普通の女子高校生をあじわえた。

これはイジメられた事がある人しかわからない感覚だろうとおもう。

雑巾みたいに触られなくなったこと…
気持ち悪いとか言われなくなったこと…
男女、問わず普通に話かけられるようになったこと
高校デビューって、目立たなかったタイプが目立つようになったりしたりに使っていたけど。
決して私は目立つわけではないけど、
ある意味、普通の高校生デビューをしたって思っている。

普通の事がすごく嬉しかったんだよね。

この時代はラインとかネットとかなかったからそういったわかりにくいイジメはなかったけれど。

だけど、この時代から引きこもりはあったというか、そういう子が出てきた頃なのかな。高校の時に再会することになる『敦美(仮名)』中学1年の時、不登校になった。その頃の敦美との付き合いは友達の友達という感じの付き合いだった。私の友達が家まで訪ねて、学校へ来るように何人かで家へ行ったけど、結局来なくなったのだった。

理由は未だにわからない、本人にその後聞いてみたけど、どうやら本人もわからないみたいだった。
その頃は心の病気とかあまり知られていなかったけど、今思えば、対人恐怖症だったのかな?

別の私立中学にカトリック系転校したんだけど、そこでも引きこもりで、シスターに嘘をつかれて、無理やり学校へ引きずりだされ、人間不信に陥って余計に学校に行けなくなったと話してくれた。中学卒業認定試験を受けて中学卒業認定はもらえたそうだ。

高校時代、敦美は働いてて、日曜日に友達の家で3人で話した。
その時は近況とか話しただけだった。

それから2年後、とある専門学校で再開して、それから一緒に遊びに行ったりするようになった。専門学校の職へはお互いにつかなかった。
敦美は
友達が務める部所は違うけど友達の口ききで、入社したけど、人間関係で退職した。
だから当時、私がアルバイトしてた所へ紹介してアルバイト入社した。


それから2年後くらいに私は最初の結婚をしたために一緒に働けなくなったけど、それでも敦美は5年はいたと思うけど。退職した。それからは
家からでないとかではなかったけど、
無職の状態だった。

ちょうどその頃、離婚したくらいだったかな?私は。

共通の友達は結婚で県外に行ったから2人で時々は遊んでた。

そうしてるうちに私は彼氏ができた。
できて、すぐの頃は一緒に遊んでたし、連絡もとっていたけど…
この彼氏『幸宏(仮名)』のおかげで連絡取らなくなったというかとれなくなった。

思い出した2つのこととは、この2人、敦美と幸宏のことである。とくに幸宏なのだけど…。

なぜ?8050問題を私が話してるのか?
50代の子どもの立場なのに…。
一つのブログで話が長くなると飽きてしまうかもなの
で、②でお話したいとおもいます。

②につづく…。