<妙なるたわ言(18)「スマートさ」について>



 彼女はルンルンしていた。


 今日は待ちに待ったデートだ。胸が弾んでよく眠れなかったけど、鏡の中の顔は、生き生きと輝いている。


 彼女は身じたくの時間を、いつもより2時間多くとっていた。(まずゆっくりお風呂に入ろう)


 何がどうだというわけでもなく、念入りにボディを磨く。ていねいにムダ毛の処理をし、いつになく泥パックまでやってみる。髪はコンディショナーの次に、トリートメントもした。


 入浴後も、スキンケアに余念がない。化粧水、保湿液、美白エッセンス。その上今朝は、美容液マスクをつけたあと、コラーゲンジェルとヒアルロン酸クリームを追加した。体中にもローションをすり込む。(これでいいわ)



 服装は決まっている。何日も前から計画済みだ。


 何がどうしたというわけでもなく、勝負下着を身につける。「備えあれば憂いなし」。男性社員が、「いやぁ男は下着なんかほとんど見てないなぁ。何色だったかも覚えてないよ。ただワイヤーとパット入りはいただけないなぁ。手触りと質感重視のレースに限るよ」


 そう言っていたのを、ぼんやりと思い出していた。


 姿見を覗けば、そのとおりの下着姿だ。上下の色もお揃いだ。今日の服装の色合いともバッチリだ。決して外からは見えないが、要は気分の問題だ。



 丹念にドライヤーをかけ、何度もヘアクリームをつける。それでも毛先のパサつきが気になり、さらにワックスを塗ってからセットする。(これでよし)


 顔にカラーベースをつけ、ファンデーションを塗る。試しにピンク系のチークにしてみたが、気に入らないのでファンデーションを上塗りし、いつものレッド系に戻した。小顔に見えるのと顔立ちにメリハリをつけるため、ハイライトとシャドウをほどこす。マスカラがうまくいかず、くり返し重ね塗りするうちに、どんどんパンダになっていった。取り返しがつかなくなり、再び洗顔する。髪が濡れ、セットが乱れた。以上の作業を、再び一からやり直す。


 でも時間にはまだまだ余裕がある。マニキュアはきのうの夜に、1時間半かけて塗ってある。



 アクセサリーをひとつひとつ慎重に選んでつけ、最後の仕上げに香水を振る。ひととおり終わってみれば、けっこうギリギリの時間だった。


 全身の最終チェックをする。(こんなもんでしょ)



 出がけにすませようとしたトイレのドアノブに指をぶつけ、マニキュアが一ヶ所剥がれた。たちまち気が滅入り、憂鬱になる。だけど今から修正しているひまはない。


 玄関のドアを開けて外へ出てみると、予報では言っていなかった雨が、パラパラと降り出している。これじゃスウェードの靴は履いていけない。(わざわざ今日のために買ったのに)


 彼女はエナメルの靴に変えようかと思う。でもそれじゃ、洋服の材質とマッチしない。何もかも台無しだ。(洋服を替えるか、靴を変えるか?)


 究極の選択だ。彼女は悩み、顔をしかめる。そんな時、どこからともなく歌が聴こえてくる。


 「着てゆく服がまだ決まらない いらだたしさに唇かんで 私ほんのり涙ぐむ」


 南こうせつの「夢一夜(ひとよ)」だ。


 彼女は新品のスウェードの靴を、雨の犠牲にすることにした。


 今度は適当な柄のカサがない。アンブレラのおかげで、全体のイメージがアンバランスになる。彼女は困り、眉間にしわを寄せる。押入れのどこかに、素敵な折りたたみ式のカサがあることはある。だけど今さら探しているひまはない。彼女は水玉模様のカサで、しぶしぶ妥協することにした。



 いよいよ時間は差し迫っている。これじゃもう、駅まで歩いている猶予はない。彼女は自転車で行くことにした。


 自転車をこぎ出そうとした瞬間、ペダルにひっかっかた網タイツの一部が伝線した。泣きっ面にハチだ。どこからともなく歌が聴こえてくる。


 「貴方に逢う日のときめきは あこがれよりも苦しみめいて ああ夢一夜」


 彼女はしだいに強くなる雨足の中を自転車に乗り、冴えないカサをさしながらヘアスタイルを気にしている。ヘアクリームのつけ過ぎと湿気のせいで、髪はげんなりと頬に張りついてくる。踏んだり蹴ったりだ。雨の匂いに混じり、むなしく香水が水脈(みお)を引く。歌のつづきが聴こえる。


 「一夜限りに咲く花のよう 匂い立つ」



 仮に上記のような過程が、万事うまく運んだとする。


 彼の目に映る彼女は、イヤリングにネックレスにブレスレットに3つのリング。髪には大きめのリボン。ラメ入りのマニキュア。小ぶりの目には似つかわしくない、鬱蒼としたまつ毛。ゴミの侵入を防ぐためのまつ毛は、目の大きい人には長く濃く必要だが、逆のタイプの人には物理的にあり得ない。従って不自然になる。


 ほっぺたのチークが濃くて、「おてもやん」みたいだ。それでいて、強いハイライトとシャドウのおかけで表情に陰影ができ、やつれた印象を与える。総合的に赤と白を基調にしたファッションで、さわやかなカラーコーディネートなのはいいが、こだわり過ぎてサンタクロースに見える。香水がきつく、ワインの味がわからない。


 つき合いの長い彼なら、正直に言ってくれる。「ちょっとがんばり過ぎじゃないか?」


 初めてつきあう彼なら、何も言ってくれない。(ちょっとやり過ぎじゃないか?)


 最初で最後のデートになる。彼は思う。(彼女はスリムだが、スマートじゃないな)


 どこからともなく歌が聴こえてくる。


 「貴方に逢う日のときめきは 喜びよりもせつなさばかり ああ夢一夜」


 彼女はパスタのトマトソースの滲んだ唇を紙ナプキンで拭い、ひとり帰るためにむなしく口紅を塗る。歌のつづきが聴こえる。


 「一夜限りと言いきかせては 紅をひく」



 彼女は夢のような一夜のために、日頃から食べたいものも我慢し、ひたすらダイエットに励んできた。「スリム」と「スマート」とは、同義語ではないと彼女が気づくまでに、いったいいくつの恋のチャンスを失ったことだろう。どこからともなく歌が聴こえてくる。


 「貴方を愛したはかなさで わたしはひとつ大人になった ああ夢一夜」


 彼女は自分には、「さりげなさ」が欠けていると感じた。もうこんなことはやめようと思った。歌のつづきが聴こえる。


 「一夜限りで醒めてく夢に 身をまかす」



 いつもいつも食べ残していた彼女が、きれいさっぱり平らげるようになった。それにヨレヨレのTシャツにボロボロのジーンズスタイルで、ほとんどノーメイクに近い。彼女は変わった。彼はそんな彼女を、健康的でナチュラルで可愛いと思った。ある時彼は真顔で言った。


 「おまえデブデブに太ってもいいぞ。それはそれでけっこういいんじゃないか」


 彼女はそんな彼の言葉に、この上ない愛情を感じた。これ以上の認容の言葉はないと思った。(本当は太った女は苦手なはずなのに)


 彼女は彼のひと言の、「何げなさ」に幸せを感じた。スリムもスマートもデブも、なんだってござれだわと思った。



 わたしはあたふたしていた。


 今日は待ちに待ったデートだ。昨夜はたらふく食べてがんがん飲み、カラオケで歌いまくってくたびれ、お風呂も入らずに寝たのだ。これからシャワーを浴びたんじゃ間に合わない。


 わたしはそのまま出かけることにした。多少気持ちは悪いけど、1日や2日お風呂に入らないからって、命にかかわるもんでもない。それに彼に逢えば、すぐにそんなことは忘れる。


 お風呂に3日入らないからって、3回立てつづけに入るわけじゃない。1週間入らなかろうが、1回入ればチャラになる。


 わたしはそんな自分を、「融通がきく」と思っている。



 デートの日の朝は、いつもの時間に起きよう。装いは、できる限り自然体がいい。多少の気負いも楽しいが、いつもと違う自分らしくない恰好やお化粧をすると、裏目に出てろくなことがない。必要以上に時間をかけてもいけない。


 おしゃれはすべてをバシッとキメるより、どこかしら抜けている方が垢抜けている。またはどこかワンポイントぴりっとしている方が、より粋に見える。無理して背伸びをすると、意外とすぐにバレる。いつからわたしは、デートコーディネーターになったのだろう。



 何事につけ、「スマートさ」はポリシーのひとつだ。



 ではおしまいに、本日の一句。


 「垢抜けた 彼はそのくせ 風呂嫌い」


 次回もヨロピクピク。



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