<妙なるたわ言(14)「人のなり見て」について>
映画やドラマを観たり、本を読むのはなぜか?
違う人の別な生き方に触れられるからだ。あるいは、同じような人の似たような考え方に共感を覚えるからだ。
ひとつしか生きられない人生の多様性を、そこに求める。
壮絶な生涯を送った女性の自伝的ドラマを、母と観たとする。
「やっぱり女はこれくらいじゃないとねぇ」と母は呟く。
「おぉ、わかってくれるのか!」とわたしは喜ぶ。
何日かして、母は愚痴る。「そろそろ適当にいい相手と、そこそこ幸せな結婚でもしなさい」
適齢期と世間体を持ち出し、平凡と平穏の美徳を強調する。年を追うごとにそれは強要へと変わり、やがては強制に近くなる。脅迫と言ってもいい。あげくの果てには、「親がどうにかしてやるしかないねぇ」にまで発展する。ほっといてくれよ。
結局ドラマは、観なかったことになっている。人様の娘さんの身の上としては受け入れられても、自分の身内には置き換えられないのだ。親心とか親ばかとか言ってしまえばそれまでだが、親ばかを逆さにすれば、「ばか親」になる。どうせ忘れてしまうのなら、観てもいないし読んでもいないも同然だ。トホホ・・・。
夫が妻にお願いしたとする。
「頼むからまともに携帯電話に出てくれないかな」
いつでもどこでも手軽に出られなければ、携帯電話の価値がない。
妻は言う。「バッグの奥に入っていて気がつかなかったの」または、「キッチンにいて聴こえなかったの」
夫は言う。「だから理由を聞いているんじゃなくてさ、とにかくちゃんと電話を取ってくれよ」
妻が言う。「だから携帯電話って嫌い」
今は好き嫌いを論じているわけじゃない。「これからは気をつけるわ」のひと言がほしいだけだ。
そのわりにはやたらと新機種に買い替えたがり、しまいには憤慨する。
「あなたのお姉さんたら、なかなか携帯電話に出なくていつもイライラしちゃう」
夫は思う。(女の頭の中はどうなっているのだろう?)
人のなり見てわが身を振り返ろうじゃないか。
人のことはよくわかっても、自身に重ね合わせられるかどうかが、月とスッポンへの分かれ目だ。
わたしは人の悪口を言うのも、陰口をたたくのも大スキだが、そんな折、(自分はどうだろう?)とさしあたりは問いかけるようにしている。自らも当てはまりそうな時は、「人のことは言えないけどさ」と前置きするが、「前置きすりゃいいってもんじゃないよ」とよく言われる。
「でも気づいていないよりはマシじゃん」とも弁明するが、「気づいていりゃいいってもんじゃないよ」ともさらによく言われる。要は直さなきゃ意味がない。
如何せん悲しきは、自問したとて(自分はそうじゃない)と即答を下し、それ以上の思考をシャットダウンしがちであり、あまっさえ哀しきは、それすら考えも及ばないことである。シビアだなぁ。
ではおしまいに、本日の一句。
「人のなり 見てぞわが身を振り返る 出来るか否かは その人となり」 ますますシビアだにゃぁ。
次回もヨロピクピク。
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