<妙なるたわ言(13)「怪談奇談」について>



 「怪談奇談」の大家といえば、ラフカディオ・ハーンこと、小泉八雲だ。彼が収集編集した伝説は、内容や文体、描写や言葉、いずれも美しく品がよい。リアリティに欠けるお粗末な「怪奇譚」といっしょくたにしてしまうには、芸術的香りが高い。


 「怪談」「奇談」の分類の境界が、これまたわかりにくい。


 今回は大人げなくも、幽霊話の見解に終始したいと思う。



 父は幼い頃、信州の山奥に疎開していたそうだ。


 そこでの住居は、おあつらえ向きにも廃屋の病院だった。これ以上に怪奇現象の起こりうる設定があるだろうか?これで舞台は整った。


 しんと静まり返った夜更け、廊下に面した扉を開けると、そこには兵隊さんの幽霊が、ボーッと立っていたという。さすがは廃病棟。これで役者は揃った。


 そんなことが幾度となくあり、父は怖くてしかたがなかったらしい。


 耳をそば立てる子供たちをコワがらせ、喜ばせてやりたいサービス心なのかは知らないが、「幽霊を見た」と言い切る父という人を、わたしは未だに信用できないでいる。


 これは「怪談」に属するのだろうか?どちらかといえば「怪しい話」というだけの気がする。



 「身内に見える人がいてね、親戚が亡くなる間際、足元から光が立ち昇ったんだって」 「この間温泉に行ったらさ、温泉の塀の上から、工事で死んだ作業服姿の男の幽霊が覗いてたんだよね」


 なんともエッチな幽霊だ。それに人は亡くなると、足元から魂が抜け、自分のなきがらを部屋の天井から見下ろすというのは、あまりにも有名な話だ。先日他界した、「Gメン’75」のボスこと丹波哲郎氏は、自らが提唱し世に知らしめた、幸せいっぱいの「死後の世界」とやらへ、無事たどりつけただろうか。他人事ながら案じてしまう。



 お坊さんが語った。「檀家の人魂が、本堂にすべり込むのを見ました」 「人は自分の死を知らせに、瞬時に何ヶ所もの親しい者たちの元へ飛んでいくことができます」 「男性の霊は玄関から訪ね、女性の霊は勝手口から入ってきます」


 マンションの場合はどうなるの?勝手口なんかないぞ。亡者たちも、住宅事情を加味しなければならないご時世だ。それに何ヶ所にも瞬間移動できるなんて、もはや亡霊というよりはエスパーの域だ。眉毛につばをぬりたくなる。



 知り合いに、京都の超有名なお寺の娘さんがいる。彼女は幼少のみぎり、長い渡り廊下の隅っこから、「J子さ~ん、J子さ~ん」と、最近喪に伏した檀家の女性から、手招きされた経験を持つ。それやこれやがコワくて、彼女はお寺への嫁ぎ先を断固拒否した。現在は都会の高層マンションに暮らす。幽霊が一生を左右した。



 「狐に憑かれてお祓いをした」とか、「肩こりが治らなくて心霊学者に診てもらった」とか、「不運がつづくので霊能者に除霊してもらった」とか、「本当に出るアパートがある」なんて広言する不動産屋さんとか、身の回りにもたくさんいる。



 「霊感」が強いとか、あるかどうかも判然としないものに対して、当然のように認めるのは釈然としない。釈然としないものに対して、平然と職業にしている人がいるのは愕然とする。


 人間には五感がある。第六感というのは、「虫の知らせ」や「悪い予感」だ。これは生きてきた中での、経験則や知恵の上に成り立つ。大ヒット映画の「シックスセンス」のような内容を指すのではないと思う。第一本当に霊なんか存在したら、とても恐くて生きていけない。年中そんなのに接して、まともに生きていられるのが信じられない。「シックスセンス」の主人公の少年だって、あんなに怯えていた。



 それじゃあなぜ、みんな「恐い話」が好きなのか?


 それは、怖がりたいからだ。こわいもの見たさ。とにかくゾクゾクしたい。


 「恐怖心」は、太古からの最も古い感情だ。明かりのない時代、得体の知れない生き物の気配に恐れおののいた、原始的で強烈な感情。だから安全な現代に、安全な刺激を求める。


 「明日こそはマンモスが獲れるかな?」食っていくための、そんな切羽詰まった心配も今じゃないから、死後の世界に思いを馳せる余裕がある。死んだあとも、しゃーわせに生活したい。生きたあとは、しゃーわせに死活したい。まさしく死活問題だ。だから因縁めいたことを考え、心の安寧を求める。



 以前勤めていた会社のお昼時、草木も眠る丑三つ時の話になった。5人対5人、幽霊を信じる信じないで、真っ二つに分かれた。金縛りを心霊現象ととるか、生理的現象ととるか?カラスが激しく鳴いたのを超常現象ととらえるか、科学的現象ととらえるか?夢で見たデジャヴーを何かの暗示ととらまえるか、何の根拠もないととらまえるか?


 それといっしょに、用を足したあと、トイレのフタを閉めるか閉めないか?との論議も併せて行われた。


 わたし個人としては、頼むから閉めないでほしい。フタに触るのもイヤだし、フタを開けた時の恐怖はひとしおだ。便座のフタの閉じたボックスは、なるべく避けるようにしている。


 小は大を兼ねる女性トイレならまだしも、大は小を兼ねるというよりは、大は大を大前提として入る男性トイレのボックスでは、なおさら恐怖は筆舌を絶するらしい。くどいようだが、100%大が目的だけに、「開けてビックリ玉手箱」。腰を抜かしたくないと、ある男性は力説していた。


 不思議なことに、先の幽霊信奉派の5人は、全員が当然トイレのフタを、「閉める」と答えた。これはいったい何を意味するの現象か?霊的存在を重んじ畏れる者は、「便器の中」さえも、恐るるには足らないのかもしれない。


 これは「奇談」に属するのだろうか?どちらかといえば、フタが開いた時の恐怖を思えば「怪談」という気がしないでもない。いやこれは、あくまで「余談」というべきであろう。


 怪奇作家のサキの短編に、「開いたフタ」ではなく、「開いた窓」という秀作がある。はたして彼の作品には、直接的にゴーストは登場するや否や?そこが興をそそられるところだ。


 小泉八雲の「怪談奇談」には、「便器の中」ならぬ、「茶碗の中」なる摩訶不思議な一編が収録されている。


 読書の秋だ。



 ではおしまいに、本日の一句。


 「戦争は 近代社会の怪談か するもしないも ブッシュ会談」


 次回もヨロピクピク。



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