Fuzzy Masayan -4ページ目

Fuzzy Masayan

ある写真屋のぼやき

     とにかく雑用が多くて ヒマが無い。  考える余裕が無いので、逆に  マンネリ化してしまって  いつの間にか 日常化し、 疑問視する事を 忘れてしまったような気がします。  気付いて 態勢 立て直しを 考えていたら、感染症の影響で 急ブレーキを かけられました。

もろ影響を受けてますが、世界中で 戦争並の犠牲者が 出てしまっている折, 他人事ではいられません。 更に 意を強くして 命ある限り やるべき事を 行動に 移さねば なりません。

  昨日、 中学時代の 私の恩師が お亡くなりになり、 お通夜に 行ってきました。  何十年もお会いしてはいなかったのですが、 三年間、 担任だったので  新聞の告知欄を見ていた時、、目に留まったのも 「 縁 」有りと、伺いました。  勿論、素晴らしい先生でした。 いつも、、気になっていたのは、成人してからも先生は、我が家に一大事が起きると、必ず顔出しに来てくれて、「大丈夫か?」と、声を掛けてくれてましたので、いつかはお礼に伺おうと 思っていたからです。  いい先生でした。 家庭訪問で 我が家に来られた時の  話です。 父親が先生に言った話だそうです。 「先生は読書を薦めるけれど、 だいたい 本 なんぞ読んでばかりいると ロクな者になんねえ‼」と 言い放ったそうで、次の日 職員室で  意見されました。 50年以上も前のエピソードですが、忘れられません。職人気質の父と当時の文部省から表彰されたほどの教育者としての先生とのやりとりで、複雑な印象を持たされたままです。 先生は、社会人になったら「 本なんか読んでる暇ないぞ! 」が 口癖でしたから。 私は いまだに 「つんどく」を 余儀なくされております。

  

 一つだけ 撮り続けて行きたいものに 「家族写真」が有ります。

ポートレートの複数形が ファミリー写真ですが、代々の繋がりのルートの中での ワンポイントが自分達の存在です。 それを記録として残して欲しいと思ってます。 生きた証として、後世に繋いで行かなければ なりません。 家族の「今」を撮るべきです。 されど、生きていればこそ、人生に 明暗は付き物です。 明にあれば明におごらず、暗にあれば明に転ずるを願い 「今」を 撮ること。 家族って難解なものかも知れません。 が、その延長が社会です。 逃れられません。

 写真館の存在理由はそこにあると思いますが、表面的なキラキラだけが目立っているのが現代です。 何とかこれを貫くために、努力します。  時代の流れからすると安易ではありませんが。  つづく