49歳の誕生日を迎えた3か月後、自動販売機の会社の営業マンと話をしていた時,突然めまいがして、額からは脂汗が噴き出てきました。胸が苦しく話ができないので、「帰ってください」と頼みました。直後に、目の前の風景が波の如く大きくうねり、身体を支えるのが大変でした。 その時、スタジオではスタッフが家族写真を撮影中だったので、助けを呼べず自力で駐車場へ。途中通路のフェンスに左肩が強く当たり、ショックで我に返りました。車に乗って自宅で寝ようと運転し、途中信号機を読み間違いないように、言葉に出して「今、赤だ!アカ、アカ!」と言いながら運転しました。道路も建物も応援団旗のようにうねってました。自宅は近いので5分で到着、無事に。車から降りて裏口の戸を開けた瞬間、嘔吐しました、勢いよく。その時うしろから、「まあちゃん、心筋梗塞だよ!」と、向いの家のおばさんが大声で呼びかけてくれたのです。異常な私の後姿を見て追いかけて来たのです。そのあとご主人も来てくれて、車に乗せられ、即市内の病院へ。内科の若い先生が聴診器を当てるなり、救急車を呼びますから僕と一緒に獨協へ行きましょうと言われて、救急車へ。ゼイゼイしながら揺られて病院へ。先生は心電図を見つめたまま目をそらさない。後で聞いた話ですが塩谷病院の先生が、救急車が出た後、かけ付けたご近所の方に「45分,あの写真屋さん、たえられるかな?」とおっしゃってたそうです。45分間は救急車の所要時間です。スムーズに走行出来て、午後四時から手術開始。ICU治療室へ運ばれ、間もなく意識は遠い世界へ。すごい器材とスタッフの大勢さ、記憶では20人位に囲まれてたような?
終了したのは24時でした。約8時間に及ぶ手術でしたが、楽ではありませんでした。疲れ果てて夢うつつの状態で、腕がベッドから滑り落ちそうなのを、必死でこらえる自分が居りました。 何度も何度も!、、、、、と,突然、「佐藤さん、おわりましたよ」、耳元で看護師さんの声が聞こえました。、、、、、、、、実は、その声が聞こえる直前には、限界が来ていて自暴自棄の状態で、苦しさから解放される一心で「殺してくれ!」と叫ぶ直前でした。助かったんだ、死ななかったんだと脳みそが叫んでました。別な部屋に運ばれてから3日間寝っぱなしだったそうです。
私は親から貰った丈夫な身体を持ち二晩三晩の徹夜もへでもないと、自負していたのがもろくずれ。今まで味わったことのない屈辱感で落ち込んで虚脱状態でした。まさかこの俺が?、、、、、です!「命」が無くなるとは?肉体が消滅するとは?
「俺は、単に人間という生物だったんだ」とつくづく思いました. 次回へ 続く