Fuzzy Masayan -31ページ目

Fuzzy Masayan

ある写真屋のぼやき

      生まれて初めての入院生活、楽しいわけがない。かなりへこみました、人生始まって以来の「落ち込み」のでした。究極の「命」を失うということです。理解することができません、ぼおーとしてました、毎日。「死ぬということ」とは?どういうこと?---と、かんがえてばかりいました。七週間の入院生活を余儀なくされましたが、寝たままとは言えかなりハードでした。両足は足首をベッドの支柱にひもで縛られて、左膝の上には鉛布団が掛けられてました。大動脈にカテーテルによる穴が開いてるので、出血を防ぐためです。従って寝返りはうてません。寝たきり高齢者の方々の気持ちがよく分かりました。水分は2週間位、与えられず唇の皮がむけました。限界が来た時は、ガーゼに水を含ませ口の中に看護師さんが入れてくれました。時にはアイスキューブを一個口に入れてくれました。「水、水、水をくれえー」と、夢の中で叫んでました。日頃、意にも介さない「水不足」がこれほど辛いものとは思いませんでした。「渇き]は」「死」を連想させました。排便排尿は、器具と看護師さんの世話になりましたが、ある意味耐え難い屈辱でした。

「この俺が、こんな小娘に世話されているなんて」、自尊心丸つぶれ!だけど事実だ。認めるしかないと。更にまた、退院後ですが,強烈なボディブローを受けました。中学時代の同級生の女の子に、おばさんになってますが。偶然に出会ったある中学の運動会でしたが、お互いの近況報告をしあっていた時に、入院生活の話をしたら返事が返ってきて、、、「まさやんも、弱い人の立場がやっと分かったんべえ~~」と。ショックでした。俺のほうが勉強できたのに、鼻水なんか垂らしてなかったのに!、、、「あんたの言うとおりだ、俺も病人だ」、、、ガックシでした。

 獨協のs先生、担当看護師のちかちゃん、同級生Ýさん、今は亡きご近所のおじさんおばさん、友達や取引先の方々など多くの取り巻きの人たちに助けられました。ご近所の長老からは「親より先にいくんじゃねえよっ、親不孝者!」と、おこられました。

   しかし、そもそも何が要因なのか?、、、生活習慣病です。私生活がまるででたらめだったのです。結婚式の記念撮影をメインの仕事としていたので、自分主体のスケジュールでは動けませんでした。土日は年中結婚式でした。多忙を極め、食事は一日一食、水やお茶やコーヒー、そしてたばこでです。座ることはありません、冷静さを保つためにタバコは欠かせません、ちょっと吸うだけでしたが。。平均六組の婚礼写真を撮影してましたので、食事する暇はありません。ミスは許されないので、緊張状態を維持して気の緩みを注意してました。が、しかしタバコを手放せなくなり、ついには5箱、100本を吸ってました。食事は弁当か外食でしたが脂肪分たっぷりのものばかりだったらしい.更に、ストレスなんて俺には関係ないと思っていたが、感じないだけでいつの日か徐々にむしばまれていたのですね。ストレスが血管を詰まらせていたのです。                 つづく