小林美代子『蝕まれた虹』読了。
「絶望もここでは王冠のように輝いていた。」(「蝕まれた虹」より)
この世のあらゆる不幸を味わい尽くし、精神病院での5年間の闘病生活から放たれた祈りの小説群。自らの狂気を見つめる目は緊迫感に満ち、聖痕のごとく、清らかに輝きつづけている。中上健次が「むごたらしいほど美しい小説」と絶讃した「髪の花」など8篇を収録。
同人誌仲間だった中上健次、勝目梓らと切磋琢磨する日々をおくり、中上初期の傑作「十九歳の地図」に登場する「かさぶただらけのマリア」のモデルとしても知られる異才、小林美代子。
精神病院の病棟で綴った処女作「幻境」では、自らの狂気を題材に独自の境地をつくりあげ、精神病院内の虐待の実態をえぐった中篇「髪の花」で群像新人文学賞を受賞、そのわずか2年後に自死して果てた。自宅の机の引出に残された遺稿「蝕まれた虹」では、鬼気迫る狂気の日常から不思議な聖性がこぼれ出し、まさにマリアのように、あらゆる不幸を幸福に変えてしまいそうな力がみなぎっている。
かつて精神病院に入院していた主人公は、退院後、ある文学賞に当選し、一躍有名になる。
ところがそのことが逆に仇となって、(主人公と)同じような狂気に悩む当事者や家族からの止めどのない相談が舞い込むようになる。
東京大空襲にまつわる幻聴と妄想に囚われ続ける息子を持つ母親、
結婚を気に発症してしまった女性、自殺しようとしている女性などなど。
そうしているうちに、今度は主人公自身に下痢や不眠、強迫発作、幻聴といった症状が表れてきて、
主人公はたった5年間の退院生活にピリオドを打ち、自ら再入院することを選ぶ。
小林はここで精神疾患を抱える者の生きづらい社会、というものを、主人公(小川)の姿を通して、見事に逆照射してみせる。
問題を抱えているのは患者ばかりではなく、患者を取り巻くこの一般社会そのものもまた、非常に大きな問題を抱えているのだ。
「狂った世界の中で狂人なら正常だ」
シェークスピアはそのように書いていた。
ただ、忘れられてはならないのは、精神病者は故もなく苦しんでいるのではない、ということだろう。
彼らを取り巻く社会の側にも問題があることは疑いがないが、彼ら自身に遺伝的資質や心理的要因、社会階級的要因などがあるのだ。
主人公小川はその点をよく理解しているので、低俗な反精神医学的な言説は採らない。
来た相談に対しては誠実に耳を傾け、服薬したり病院へ行くよう促している。
60年代にレインやクーパーといった英国の精神科医たちの中から始まった「反精神医学」という潮流は、
局所的にはともかく、総体的には失敗だったと、今日では評価されている。
もちろん彼らの問題提起に意義がなかったということではなく、
批判された主流精神医学の方でも改革を行う医師たちが多くでてきたりしたわけだが、ことレインやクーパーなどの急進的な反精神医学の流れは今日、
ほとんどその果実をのこしてはいない。
その原因は、精神疾患の原因を須らく社会的要因(主に家族関係)によるものと見做したからに他ならない。
この点は例えばドゥルーズとガタリのような哲学者、精神分析家も批判している。
精神医学の実効的な政治化だけが、私たちをこれらの袋小路から救いだすことができる。そしておそらく反精神医学は、レインとクーパーとともに、この方向にじつに遠くまで進んだのだ。しかし、私たちからみると、彼らは、この政治化をプロセスそのものの語彙よりも、むしろあいかわらず構造と出来事の語彙で考えているように思われる。他方では、彼らは、社会的疎外と心的疎外を同一線上におき、いかに家族の審級がその一方を他方の中に延長するかを示すことによって、二つの疎外を一体化しようとする。ところが、この二つの疎外の間の関係は、むしろ包含的離接の関係なのである。(ドゥルーズ+ガタリ『アンチ・オイディプス』下巻P.194)
なお、本作は著者の遺作とされている。