ファビオ・ハーゲル・セステートの公演を見てきた。




 

 


初めての生タンゴ、演奏もダンスも素晴らしかったが、

特に良かったのがヘスース・イダルゴの歌唱だった。


クラシックもジャズも、もともとはダンス音楽だったものが

時代が下るにつれて観賞用になっていったというのは

音楽家、大友良英さんの指摘するところだが、

その意味ではタンゴもまた例外ではない。

ファビオのバンドはそれでも伝統的なタンゴを志向しているようだろうが、

楽曲全体から身体性が極力排除され、

その意味では観念的とも言えるかもしれない。

ダンサーたちが見せる技はもはや超人級であり、

そこでは彼らは一つの機械、

轟音の中でタンゴについて考えるひとつの抽象機械と化しており、

彼らはもはや踊る哲学者たちである。


それに対して旧来のダンス音楽としてのタンゴ、

古き良きタンゴを彷彿とさせてくれるのがイダルゴの歌なのだ。

素晴らしい声の持ち主で、これぞタンゴというものを実感させてくれた。