先日ライブに行って以来、

この『楽園』という曲を聴くたびに、

バックで流されていた映像が瞼に焼き付いて離れない。

 

 

幼い子どもが写る沖縄の日常風景とともに

スライドで写される上空の戦闘機の機影、

1970年のコザ暴動の際に放火され焼け焦げたMPや琉球警察の車両、

鉢巻を巻いたおじい・おばあたちの、

米軍や政府への抗議のための集会の写真、

辺野古・高江での反対派市民と機動隊との衝突の様子…。

そのどれもが、

戦後沖縄がずっと置かれてきた現実を写し出している写真だった。

 

『楽園』は沖縄のことを歌った歌だと、Coccoは言う。

その『楽園』の中にはこんな歌詞がある。

 

明日を夢見ていたのは

きっと

あの子だけじゃない

特別なわけない

 

この部分を聴くたびに僕は、

1955年の由美子ちゃん事件や1995年の小学生集団強姦事件

そして記憶に新しい今年4月の女性強姦殺人事件など、

米兵や軍属のかかわった有名無名問わず多くの犯罪の犠牲者たちを

想わずにはいられない。

 

1970年のコザ暴動の直接のきっかけは、

飲酒した米兵による交通事故だった(上記リンク参照)。

当時米軍政下にあった沖縄では沖縄人の法的権益がまともに保護されず、

加えて米軍側の様々な無法行為が明らかになったことで、

返還合意が決まっていたにもかかわらず

住民たちによる暴動へとつながっていった。

 

今の沖縄の状況はコザ暴動前夜の沖縄に

ある意味近いものがあるのではないだろうか。

当時のニクソンと佐藤栄作は沖縄の返還に際して

その地位を「核抜き、本土並み」としていたと言われるが、

今の沖縄を見て「本土並み」であると言える人は非常に少ないんじゃないだろうか。

そのことは過日の高江での機動隊員の「土人」発言でも窺えるだろう。

 


太田中将のこの言葉が実現する日はいつ来るのだろう。

少なくとも基地負担を一方的に担わせることや

沖縄を本土の観光資本の下僕のようにし自然環境を破壊しまくることが

「ご高配」でないのはたしかだろう。