先日、夢のお告げで「マイルスを聴け」と言われた。
突然何を言ってやがる、と思われるでしょうが
こんな夢を見るような精神状態には心当たりがある。
――疲れているのだ。
疲れ切ってボーカル曲を聞く気力がないのだ。
年に数回こんなことがあって、そのたびに僕はジャズを聞く。
夢から覚めてCD棚に手を伸ばす。
困ったことに、マイルスのアルバムは
『カインド・オブ・ブルー』しか持っていない。
さらに困ったことに、僕はこの『カインド・オブ・ブルー』を
楽しんで聞いたことが一度もないのだ。
そんなアルバムをなぜ持っているのかというと
百年を超すジャズの歴史の中で
間違いなく頂点と言われているこのアルバムを
聞いたことがない、持っていないなどと言ったが最後
音楽ファンとは認められないからである。
――にも関わらず、楽しめない。
いつ聞いても「ジャズのお勉強」をしている気にさせられる。
だが夢のお告げとあらば仕方がない。
ひょっとしたら今回こそは良さがわかるのではないか
そんな淡い期待を寄せながらCDをターンテーブルに乗せる。
――結果は同じだった。
ひょっとしたら、僕にはジャズを聞く能力がないのではないか
さらにビル・エヴァンスはこのアルバムを
日本の水墨画に例えているわけであって
僕は日本人ですらないのかもしれないとさえ思ってしまう。
よし、決めた。マイルスの別のアルバムを聞こう。
そう思って『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』を購入した。
これが大変わかりやすいアルバムなのである。
マイルスもコルトレーンもゴキゲンにノリノリ(死語)なのである。
満足して聞き終えた。
マイルス恐怖症をどうにか克服できたようなので
改めて『カインド・オブ・ブルー』を聞いてみた。
そのとき ふしぎなことが おこった。
――何故か気持ちよく聞けたのである。
胸にストンと落ちたのである。
ひょっとして、音楽には「聞く順序」があるんじゃないか。
例えばビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』。
ポップの音作りに多大な影響を与えた名盤である。
しかし『サーフィンUSA』も聞かずに『ペット・サウンズ』だけ聞いて
ビーチ・ボーイズを語る人を、僕は信用できない。
何が言いたいかっていうと、ジャズに入門しようとして
『カインド・オブ・ブルー』を手にしたがさっぱりわからずに
中古屋へ叩き売ろうとしているそこの君!
他のアルバムを聴いてからでも遅くはないぞ。