もしも外国人に「『〜と、〜と』と、『〜や、〜や』はどう違うの?」と聞かれたら、なんと答えますか?
私は実際、これを聞かれたことがあります
少し悩みましたが、私の場合は
「『〜と、〜と』は、リストアップ。例えば『昨日京都に行きました。清水寺と、平安神宮と、京都市美術館に行きました』と言った場合は、他に訪れた所はない、ということ。一方『昨日京都に行きました。清水寺や、平安神宮や、京都市美術館に行きました』と言った場合には、他にも訪れた所があるかもしれない。『〜や、〜や』は、just exampleだよ」
と伝えました。
しかしながら、本当にそれが正しいのかは分からず、日本語教師をしている高校の同期に「こう言って説明したんだけど、良かった?」と聞いたら「それで良いよー
」と言ってもらえたので一安心
ネイティブジャパニーズにも、日本語は難しいのです。
ウチの会社は英会話を生業にしてはおりますが、去年から新たに、「日本語教師養成講座」というものが出来ました。当初から興味はあったのだけど、今年度はもう担当授業も決まっているし、先立つ物も無かったので見送っておりました。
なんか最近「このまま英会話だけで飯を食っていけるのか?」感じているのが正直なところ。少子化及び人口減少していく中で、この先英会話をやろうと言う人間をどれだけ確保出来るんだよ、と不安に思う気持ちが無いわけではない。文科省も大学入学共通テストでの民間テスト参入の件では迷走してるし。おかげでこちらも右往左往させられましたよ
それなら、これから増えるであろう外国人に対して、日本語を教える職は、需要があるんじゃねぇか?と、思い立ったわけです。幸い、籍を置いている講師は入学金免除だし、授業料も半額だし、受けても面白いかな、と。
それに、実は大学時代、教授法の講義を教えてくれていた教授から「日本語を教えることには興味ありませんか?」と言われたことがあります。なんでもその教授によれば「日本語を教える際にも、英語を話すことが出来ればとてもメリットがあるんですよ」だそうな(どういうメリットがあるのかは知らん!笑)そして、当時国文科が日本語教師を養成すべく行なっていた、中国への留学プログラムに推薦されたけど、若かりし頃の私はいかんせん天邪鬼だったので「私英語がやりたいのに、なんで中国なんか行かなあかんねん」と一蹴してしまったのであります
今思えば、行っておけば良かったかもしれない、と思わなくもない
日本語、英語、どんな言語を教えるにしても、教授法には共通するものが必ずあるだろうし、引き出しが増えることに損はない。
もう一人、公立高校でフランス語を教えている高校の同期とよく話すのは「外国語を学んだ経験があると、勉強している時の苦しみを知っているから、生徒たちの気持ちが分かるよね」と。日本語教師の同期が良く嘆いているのは「日本人で、日本語を母国語として使っているから、簡単に教えられるだろう」と思う人が多いこと。
自分が使えるということと、それを人に教えられると言うことは、totally differentです
言語を教えることを安易に考えている多くの人は、教授法を学ぶ過程でふるいにかけられて行くけれど、結果講師になったとしても、「なぜこんなことが分からないのか」となることも多いらしい。そういう意味でも「外国語を学んだ経験」は自分が思っているよりも大事かもしれない。
とにかく、資格を増やしておくことは、自分の将来の選択肢を増やすことに繋がると言うこともあって、再来週、説明会に行ってきます。老後は2,000万必要だそうなので、出来るならば少しでも手を広げて、生涯年収を上げなければ
一応8割ほど腹は決めているのですが、説明会で何が聞けるかで最終決定をしようかと思っています。幸い、相談出来る良き先輩もいることだし、前向きに検討してみようと目論んでおります
今日の一言
「代講に向かう電車の中で眠ってしまい、乗り過ごしてしまった…まだ月曜日なのに
明日に疲れが残らないよう、にんにく卵黄を飲んで寝ます笑」