息子として父を見続けた日々は、父として息子を見続ける日々に変わっていった。
和貴も真貴子に買ってもらった新しいクレヨンで、再び絵を描くようになった。
そして、俺にはまた、忙しい日々が訪れていた。
あの日以来、遅れがちだった仕事の流れを、取り戻さなければならなかったのだ。
各地を転々としながらも、会社へは出勤していた俺の販売台数は、減ることはなかった。
調布市にあった営業所へは、以前のアパートに住んでいた時に比べると、通勤時間は短縮された。
少々忙しいときでも、ある程度の時間には帰宅することが出来る。
会社へ泊り込む必要もなくなっていた。
俺、真貴子、そして新しい幼稚園に通い始めた和貴。
家族3人、あの日の出来事への想いを、それぞれの胸に秘めながらの日々の暮らし。
少しずつ笑顔を取り戻していった和貴の様子とは裏腹に、忙しくなる日々の仕事に飲み込まれていった俺は、自分の中にある潜在的な心の影を再び甦らせようとしていた。
自分を抑えることで精一杯の日々、息子とどう接していけば良いのかがわからなくなってくる。
そんな俺を、真貴子はいつも励ました。
そして、時折、厳しい言葉を投げ掛けては正しい方向へと導こうとしてくれていた。
不自然に沸き起こる苛立ちに、一緒になって向き合ってくれたのだ。
家族で始めて動物園に行った日から暫くして、出勤の仕度をしている俺に、真貴子が唐突に切り出した。
「私ね、色々な事があって、落ち着いて考えることが出来なかったんだけどね。・・・やっぱり思ったのよ。」
「んっ、何を?」
「和貴にね、弟妹がいた方がいいと思うの。」
「えっ?えぇ・・・?」
頭の中は既に、その日の商談のことに切り替わっていた俺は、真貴子の言葉に驚き、聞き返すような返答をしてしまった。
「子供よ。二人目の・・・。和貴にとってもその方がいいっ。私・・・、自分たちの家族をつくりたいの。」
真貴子の脳裏には、父・昌洋、そして母・志津子の顔が浮かんでいたのだろう。
あの日を知らない新しい家族をもつことで、前向きに生きて行きたいという想いがあったのだ。
それから数ヶ月が過ぎ、新たな命が3人の家族の元に降り立っていた。
真貴子のお腹が徐々に大きくなるに連れ、和貴も兄となるその日を心待ちするようになった。
「和くん、お兄ちゃんになるんだよぉ~。」
行く先々で、そう言っては喜んでいる様子を、真貴子も嬉しそうに俺に伝えてきた。
そんな折、桐生家の当たり前の環境から離脱し、過去との間に分厚い壁を築いた筈の俺は、壁の向こうにある強力な磁気に引き寄せられそうになる自分を感じることがあった。
真貴子のお腹に宿った新しい命が、和貴の時と同じように不安を抱かせていたのだろうか・・・。