真貴子の問いかけに、俺はバックミラーを少しズラし、後部座席の和貴が眠っていることを確認した。
「俺の推測でしかないけど・・・、原因は・・・、和貴だよ。」
「えっ?」
うつむいていた真貴子の顔が、俺を見上げた。
「だって、和くんのことは・・・、何で・・・?和貴が・・・?」
真貴子の言わんとすることは、理解できた。
父が和貴を可愛がっていたことは、真貴子もわかっている。
原因は和貴だという俺の言葉に、疑問を抱くのは当然のことだろう。
「あくまで、推測だけどな。昔からそうなんだよ。自分の思い通りにならないと、ああやって暴れるんだ。」
思い通りにならないと暴れるという話は、結婚当時に話してあったが、実際にその恐怖を体験した真貴子は、食い入るような表情で次の言葉を待っている。
「あの後、岡嶋さんに会ったときに、訊いたんだよ。」
俺は柏崎の家を出てから二日後、仕事の合間を見て滝口親子の住むアパートへ、改めて謝罪に行っていた。
その帰りに、岡嶋さんと渕上夫妻の自宅も訪ねていたのだ。
「岡嶋さんの家の庭先で呑んでいた時に、渕上さんが顔を出したらしいんだよ。あの日の何日か前に、渕上さんのとこにも孫が遊びに来てたみたいなんだ。それで、孫の話になったみたいでな・・・。そしたら、急に黙り始めたらしいんだ。」
岡嶋さんの話では、父が姿を晦ましたのは、それから直ぐだったようだ。
話の意味がわからず困惑した表情の真貴子に、俺は説明を続けた。
和貴の存在は、父にとって可愛い孫であることに違いはなかった。
来る日も来る日も仕事に明け暮れ、狭い世界の中に身を置いていた父の前に、突然姿を現した天使が、和貴だったのだ。
今までに抱いたことがなかった感情が、父の中に沸き起こっていたのだろう。
息子である俺と、孫である和貴との間柄に、どんな違いがあるのかは俺にもわからない。
ただ、自分の中から込み上げて来るその想いは、父にとって経験のないものだった筈だ。
やがて和貴が成長していくに連れ、その想いは父の中で勢いを増して膨れ上がっていったのだ。
そして、制御不能となった和貴への盲愛は、いつしか父・昌洋の生活サイクルに組み込まれていった。
和貴を盲愛するという行動そのものを、自分の生活サイクルに組み込むことで、知らず知らずのうちに自分自身の気持ちを抑えていたのだろう。
朝起きて、顔を洗い、庭先の作業場に移動し、仕事をして昼食を採る。
午後も仕事を続け、晩酌をし、眠る。
たったそれだけでも、犯されることによって狂気を露にした父・昌洋の生活サイクルに、和貴という存在を強引に押し込めたのだ。
日帰りで、少しばかりの交流をしていた頃には、その影響が出てこなかった。
しかし、俺たちが和貴を連れ、初めて実家に泊まりに来たことで、父の生活サイクルに強引に押し込められていた和貴への盲愛が動き出したのだ。
何があっても優先させていた仕事の納期に追われながら、父の時間は和貴と過ごすことに費やされた。
熟練の腕をもつ職人としてのプライドと、和貴を盲愛する想いは、たった数日の間に父自身の苛立ちとなって、急激に蓄積されていったのだろう。
そしてあのバーベキューの日、仕事を無理矢理に切り上げた父は、和貴の気持ちが自分へ向けられていなかったこと。
香苗ちゃんと仲良く遊ぶ孫の姿。
それを容認して、楽しそうに振舞う母に猛烈な嫉妬心を抱いた。
それがあの時、父・昌洋を無表情にさせていたのだ。
急激に蓄積された苛立ちと、猛烈な嫉妬心が入り混じり、嬉しそうに孫の話をする渕上さんを前に、悶々とした気持ちを抱いた父・昌洋。
理性と苛立ちの狭間で、周囲の全てを卑屈に見つめ始める。
やがて溜め込まれた苛立ちは爆発的な力を持ち、狂気となって刃をむき出したのだ。
ひと時の捻じれた父の笑顔に、俺は油断していたのかもしれない。
夫であり、父親である俺の安易な判断によって、真貴子、そして和貴を、桐生家の当たり前の環境の中に巻き込んでしまったのだ。
「おかしいよな・・・、あいつ。」
真貴子へ話し終えた俺は、静かに呟いた。
結婚当時、自分が行ってしまった破壊行為と、真貴子の前で変貌した父・昌洋の姿が、どうしても頭の中で重なり合う。
それは、度合いの問題ではない。
俺の心の奥に潜む、父と同じ狂気の根源が、悪鬼と化した父・昌洋と俺自身をダブらせた。
真貴子の前で自分自身を棚に上げるような、そんな言葉でも、父と自分を切り離すため。
叶わなかった、父と息子の幸せな関係への憧れを断ち切るために、俺は敢えて口にしたのだった。