よく立ち寄る八重洲の古本屋で「ゴッホ巡礼」という本を買った。

これを読むと、ゴッホというのは、一言でいえば社会非適合者である。

何度も全うに働こうとするが、気一本の性格が災いし、長くもたない。

最後に辿り着いたのが「絵」、そんな気がする。

ただ僕は、芸術家というもの、特に後世に残る芸術家というのは、全うでないもの、どうしようもないものを抱えているからこそ、と思うのだ。

金もあり、女にモテ、何もかもうまくいっている人間が、民の心を打つことができるのだろうか。

それはピカソくらいのものではないか。

ゴッホと弟のテオとの強い繋がり。

この弟がいなければ、おそらくゴッホはとうの昔に破たんしていただろう。

テオは、自分の初めての子供に、ゴッホと同じフィンセントと名付ける。

この甥を初めて見たゴッホは、言葉もなく、ただただ涙を流したという。

そして、この甥のために絵を描くのだ。

アーモンドの花の絵。

いい絵である。

そうした男が、耳たぶを削ぎ、娼婦に手渡すなんてこともやる。

どちらも、ゴッホなのだろう。

その生き様を、美しいと言わずして何と言うのだ。