街をゆく それぞれの人 それぞれに
                                                          
  三宮駅前の横断歩道をすれ違いながら歩いている人、ひとの群れ ではなく、上の句のように見えた瞬間が、過去のある時あった。
  それが事実なはずだが、普段はそう見えない。普段は、本当の世界が見えてないまま、色んな事をしたり、考えたり、感じたりしている。
  あの、「よどみに浮かぶうたかたは・・」
にしても、現れてはすぐ消える、と見えるけれども、ゆったりと時間は流れていると感じられるなら、うたかたが、現れてから消えるまで、十分 長い間、膨らんでいるように感じるはず。

  以前読んだ「なまけものの悟り方」に、時間は、ゆっくりと進んでいると感じられる人は、本当の世界近くに住んでいる、別の言い方をすると、悟りの世界に入るきっかけを掴んだ人、のような事が書いてあった。

  こういう時間の進み方をまさに、実感した経験が、ネパールやインドにいる時、自分にもあり、ほんと、そのとおりだと思った。

机が揺れて倒れかけた瓶を支えられる人は、時間がゆっくりと進むように見える人なので、倒れる前に支えられる。
時間があっという間に進むと感じる人は、間に合わない。
  納得している。
今しかない。今を味わっているときだけが、生きているといえる、こういう事なのだろう。

  ウオーキングでも、目標1万歩とか、1時間以内にとか、は今を生きてはいない。あまり、意味ない。「過程を楽しむ」も同じ事を言ってるのだろう。

  結局、真実の世界、実相に気がついたひとは、普通の人であれ、偉い人であれ、たくさんいて、みんな同じことを言っているのだと思う。真実は一つしかないはずだから。