ひいひいじいさんが旭川神社に関わって居た事を

知ったので、

何か情報は無いかと片付けきれていない

納戸をみたら、なんと!兵村記念館で見た

22年前に出た旭川屯田110周年記念誌が
家にもありました!!!

兵村会の三上善三郎さんから寄贈されたものでした!


そして、その奥に物凄い貴重な博物館行き位の
アルバムを見つけました!
これは、祖父の山本茂一代記からの抜粋

山本家の先祖は四国土佐の豪族で、一万石程度の
小大名だったが、戦国末期長曽我部之親に攻略され
愛媛県宇和島付近に逃れ、土着したそうだ。

当時は文盲が多かったが、ある程度家系が高かったので、高祖父の禎蔵も、長男傳も読み書きが出来たそうです。

ひいひいじいさんの禎蔵は、
弘化2年(1845年)12月1日生まれ
伊達藩宇和島市生まれ
長男傳(つたえ)は、
明治4年4月1日(1871)生まれ

明治25年8月11日(1892)屯田兵として、
長男傳(満21歳)さんが戸主として、両親、姉、妹、弟の責任者となり屯田兵として東旭川に入植
のちに、三女、四女、三男、五女に恵まれる。

(第1、第2中隊は、明治24年永山村に入植
これが上川地方の最初の入植、
翌明治25年8月第3、第4中隊400戸が東旭川に入植)

明治27年4月より東旭川尋常高等小学校新築
写真は、大正12年3月茂(祖父)の弟三郎の卒業記念
父兄なのか、前列右から2番目傳がいます。


明治29年8月から、東旭川村に神社建設(旭川神社)
禎蔵、小笠原為平、阿部四九蔵、川村善次郎の
4名で新築委員となる。
神社完成時にこの4名の名前を記録し2寸板製の箱に
納めて拝殿の大梁に結束した。

まだ残っているなら、是非見てみたい!!!


この写真神社でのは、右端後ろに傳さんが写っているので、かなり後だと思われる。

明治34年10月10日林務会開設




明治37年8月26日 旭川にて
山本傳33歳

明治38年山本禎蔵61歳

明治38年 山本傳 34歳 日露戦争出征途中
札幌にて



ひいばあさん 山本いわ(29)明治9年生まれ 
長女とし(11)次女喜美子(5)三女節子(3)
長男朝久ともひさ(8)
祖父の茂はまだ生まれていない

明治38年1月傳の四女計枝(かずえ)


明治40年4月ひいひいばあさんのときさん(60)


昭和3年東旭川
左からひい祖父さん傳(58)5女貞子(13)
ひいひいばあさん、とき(81)、
ひいばあさん、いわ(53)、長男朝久の子郁子(4)
長男嫁文子(27)
後列左から三男三郎(20)祖父次男茂(23)長男朝久(31)
長女としの子供、長男剛(15)長女千代(13)


傳の次女喜美子 旭川共立女学校

昭和11年9月26日天皇旭川行幸の日
前列左から、末武卯之助(66)傳(66)丸木一木(64)
左後列 樫野幸吉(64)高橋武一(60)

昭和24年8月15日屯田兵隊の者
屯田会 旭川神社前

今でも屯田会って、あるのかしら!?


東旭川から離れますが、祖父茂についても、
せっかくなので、
次回山本茂一代記(昭和51年6月記)
平成14分(2002)7月14日97歳没を
書き残しておきたいと思います。


こういうのに興味を持つなんで、
私も歳を取ったって、事なのかなぁ~?