2017年生まれのコティ7歳、2021年生まれのリティ2歳、
姉妹を育てるコティマムです。
39歳、
元テレビ局芸能記者の
アラフォー
ワーママライター
◎BFC公式アンバサダー1期生
(23年3月卒業)
◎wicot公式アンバサダー活動中。
ワンオペ育児のあれこれや
大好きな洋楽、歌舞伎、アニメ、
おいしいもの(外食)など、
カオスな日常と
たまの贅沢を綴ります
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本日1月8日。
長女コティ7歳の
お誕生日です
早い。。。
夜には夫も
石川から帰って来るので、
夜に家族そろって
お祝いできればと思います
今日は朝から
名古屋名物
味噌煮込みうどんを
作りました
わたくし、
ちょうどコティを妊娠した8年前、
夫の仕事の都合で
東京から名古屋へ引っ越しまして、
3年ほど名古屋で生活していました
この3年が自分にとっては
・初育児
(夫激務につきワンオペ)
・縁もゆかりもない場所
(親族も友達もいない)
・芸能記者辞めて無職からの
フリーランス転向
と、
本当にものすごく
苦しい日々でして
住んでいた当初は
「早く東京に帰りたい」
と毎日のように思っていました
育児も正直、
「楽しい」とか「癒し」と
思えたことがなく、
多動多弁癇癪モンスターを
1人で見ながら、
なんとかライターのキャリアが
止まらぬよう奮闘し、
失敗しまくっていました。
よく泣いてたなぁ…と思います
その頃は
まさかコティが7歳になる日がきて、
しかも妹リティまで
生まれているなんて、
全く想像できませんでした
(ずっと名古屋に住んでると
思ってましたし)
苦しいことの多かった
名古屋生活ですが、
それでも人にはとても恵まれて、
家族ぐるみで付き合える
友人やご夫婦、
今もずっとお仕事を
させていただいている方々と、
ありがたい出会いが
たくさんありました
今の私のフリーランスの礎を
築いたのは
間違いなくこの名古屋時代で、
ここでのさまざまな失敗や苦労が
あったから、
強くなれたんだなと思います
コティが小学生になっても
フリーランスとして
仕事を続けられているなんて
当時は思ってもみませんでした
(「もし関東に帰れたら
絶対正社員で復帰する」と
思っていましたから)
今関東に戻って来て思うのは、
教育環境は圧倒的に
当時住んでいたエリアの方が
整っていて、
広い公園や図書館、
整ったきれいな道路と、
子連れで散歩するのに
良い環境でした
桜並木も近くにあり、
コティをベビーカーに乗せて
よくお散歩してました
今思うと、
ゆっくり子育てできた
貴重な日々です
↑当時はそう思えなかったけど
インターもたっくさんありましたし、
習い事もいろんな種類があり、
子どもに絵本を
読み聞かせてくれる大学もあって、
コティにとってすごく環境は
よかったんだなと思います
(当時は早く関東に戻りたかったから
その良さに気づいていなかった)
あと、
すんごいお金持ちが
たくさんいて、
(今もコティのまわりは
お金持ちが多いですが、
またちょっとタイプが違うというか)、
雑誌から抜け出てきたような
ママさんが多かったです
(滝沢眞規子みたいな)
颯爽とポルシェやベンツを
運転して子どもを送り届け、
服装や髪型もとってもきれいで
品があり、
芸能人を見てるようでした
今いろいろ思い返すと、
名古屋生活も
いろんな経験ができて
私に必要な時間だったなと思います
食文化も私には合っていて、
赤味噌系の料理も
すごく好きでした
味噌煮込みうどんや
きしめんは
よく食べていました
我が家族の中で
唯一コティだけが
愛知県名古屋市生まれ。
3歳で引っ越したので
本人にあまり記憶はないのですが、
今日は
「コティが生まれた街の
有名なうどんだよ~」
と朝から出してみました
半生めんだから
5分でできるのが魅力
カツオパックも入っていて
出汁をとりながら
煮込むのでおいしいです
見た目ほど味も濃くないから
味噌のスープを
しっかり楽しめます
麺が固めなのも好みです
↑土鍋でもなく
ネギも鶏肉も油揚げもなく、
白菜と豚肉をぶち込みましたので、
生粋の名古屋人からしたら
「これは味噌煮込みうどんとは
言わんもんで!」
と指摘されそうですが、
おいしくいただきました
コティも
「おいしい!」
とあっという間に
たいらげました
↑コティが
卵はいらないと言ったので
私の方にうつしてW卵(笑)
美味しかった
こうして、
苦しかった日々を
振り返られるようになったのも、
自分が少し成長したからでしょうか
コティと2人で
奮闘しながら過ごした名古屋
今年はお仕事でも
名古屋に
行けそうな予感です
支えてくれた方に感謝して、
あの頃の日々や気持ちを
思い出しなら、
進化していきたいです
※実は小5〜6の時に
ちょっと不思議な体験をしてまして、
それが名古屋と関係があり、
大人になってから縁を感じました。
私が東京から名古屋に行くのは
必然だったのかなと。
このお話もまたいつか書ければ
◎おいしいで食べやあて◎