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2017年生まれのコティ6歳、2021年生まれのリティ2歳

姉妹を育てるコティマムです。

39歳、

元テレビ局芸能記者の

アラフォー

ワーママライター鉛筆

◎BFC公式アンバサダー1期生

(23年3月卒業)

◎wicot公式アンバサダー
(23年8月卒業)

 

ワンオペ育児のあれこれや滝汗

大好きな洋楽、歌舞伎、アニメ、

おいしいもの(外食)など、

カオスな日常と

たまの贅沢を綴ります乙女のトキメキ

 

カメラ夫婦のお仕事

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いつも、お返事が遅れており

申し訳ありませんえーんアセアセ

 

9月・10月に

いただいたコメントのお返事が

完了しましたキラキラ

(8月はまだ少し残っておりますがアセアセ

 

いつも優しいお言葉

本当にありがとうございます飛び出すハート

 

 

ついさっき、

こんなニュースを読み、

落ち込みました。。

 

 

 

 

 

虐待事件テッパンの

交際男と母親による虐待。

 

母親はマッチングアプリで

出会った男と交際し、

一緒になって娘を虐待。

6歳の娘さんは亡くなった。
 
 
 
自分に子どもが生まれる前から
この手の事件は
本当に胸糞悪くて
憤りを感じていましたが、
コティを生んだ6年前から
より一層、
子どもの気持ちを考えてしまって
つらくなります。
 
だいたい何歳で
どんなことができるか、
どんなことまで理解しているかが
わかってしまうぶん、
2、3歳など
その時々の
我が子の当時の様子などと
重なってしまい、
胸が苦しくなります。
 
今回の事件は
コティと同じ年の子……。
6歳って結構なんでもわかるし、
自分の考えもしっかり持っている。
それでもまだ6歳。
自立するにはまだ幼く、
甘えん坊。
 
見ず知らずの
突然やってきた男のせいで
家庭の様子が変わってしまい、
母親は男の言いなりで、
どんなに悲しくて怖くて
痛くて苦しかったか。
 
考えるだけで
胸が締め付けられます。
なんとか助けを求められなかったか。
周りが気づけなかったか。。
「たられば」を言っても
仕方がないし、
結局は虐待するヤツが悪いんだけど、
悔しいです。。
 
シングルの人が
新たに恋愛するのは自由だし、
自分の人生も
しっかり楽しむべきですが、
子どもをいじめるような男の
どこに魅力を感じるのか。
 
いっくらイケメンで高学歴で
高収入でも、
子ども相手に手を出したり
いじめた時点で
その人間性にドン引きですよ。
 
そんな男に依存する自分が
恥ずかしくないのか?
 
母親も同罪だと思います。
 
 
恋は盲目で、
好きになった男のすることなら
なんでも受け入れるのか。
それとも恐怖に支配されて
反論・反抗できなかったのか……。
 
(私もプチモラに
対抗するのは怖いので、
恐怖で何も
言えなくなる気持ちはわかる)
 
 
私も子育てがしんどくて、
コティリティに
怒鳴りまくってますし、
もう何もかも投げ捨てて
一人になりたいとか
いつも思っているので、
母親という役割のしんどさ、
大変さは痛いほどわかります。
 
もしかしたら、
私も病みに病んで
(今も病んでると思いますが)
もうどうでもいいって
ところまでいったら、
我が子が虐待されていても
平気になっちゃうのか。
 
 
この母親が
1人で子育てをしなきゃいけなくて
しんどくて病んでいて、
誰か(男)に頼りたかったのかも
しれないとか、
いろいろ事情はあるかもですが、
でも、男と一緒になって
子ども殺すくらいなら、
もう最初から施設に預けるなりして、
本当に1人になってから
恋愛してくれよ……と
思ってしまいました。
 
こういう虐待した奴が
二度と恋愛できないような
ルールができればいいのに。
個人の権利を侵害できないけど、
子どもを殺しておいて
その後も自由に恋愛したり
生きていけるって、
なんて理不尽なんだろう。
 
 
私は大学時代に、
教員免許をとるための研修で、
児童養護施設に
1週間通ったことがあります。
 
そこは虐待などが原因で
親と一緒に住めない子が
生活していて、
私はその1週間でいろいろあって、
他の研修生よりも
子どもたちとの距離が
かなり近くなってしまったんです。
 
 
だから、
研修が終わっても
施設に通ったり、
夏祭りに同行したりしたんです。
 
その時に担当の指導教諭から
「一時的な優しさは酷だ」
と言われました。
 
「コティマムさんは
卒業したら
この県からいなくなるし、
今は施設に来れるけど、
卒業して就職したら
もうここに来ることもないでしょう?
 
ただでさえこの子たちは、
毎年毎年
新しい研修生が来て、
そのたびに別れがある。
 
自分に優しくしてくれた
研修生には
『また来てくれる、
優しくしてくれる』と
期待してしまう。
特にコティマムさんとは
思い出が深いから余計に。
 
でも、コティマムさんは
この子たち全員の
人生を背負えないでしょう。
だから、研修が終わっても
施設に来たり、優しくして
過度な期待をさせると、
余計にこの子たちを
傷つけることになりますよ」
 
と。
 
ここで私は
自分の中途半端な優しさに
ショックを受けまして……。
 
たしかに、
子どもたち側すると、
一時的な楽しみや優しさは、
期待してしまう分、
突き落とされる。
 
これからも
ずっと来てくれるのかな、
ずっと面倒見てくれるのかなと
期待しても、
結局、自分たちの生活を
変えてくれるわけでもないし、
引きとって育ててくれるわけでもない。
 
結局、それ以降、
その施設には行っていません。。
 
初めてその子たちに
施設で会った時も、
私が翌日も研修だから
「また明日来るね」
と普通に挨拶しただけなのに、
 
「ウソつくなや!
『また』って言うて、
どうせ
来んがやろ(来ないでしょ)!」
 
とかなり
反抗的に文句を言われたんです。
 
 
彼らが一番来て欲しい親は
絶対に来てくれないし、
毎年来る研修生も期間限定で
すぐいなくなってしまう。
 
自分もその、
子どもたちを期待させて
傷つける一員だったんだと
自覚して、ショックを受けました。
 
あの時、
一緒に過ごした子たちも
もう親になっている年ごろです。
 
こういう
虐待のニュースを見るたびに、
その施設のことも思い出します。
 
そして、こうやって怒りや
憤りが芽生えても、
苦しんでいる子どもたち
全員の生活をみてあげられない、
助けてあげられない。
法律も虐待に甘い。
そういう現実に
虚しい気持ちになります。
 
せめて
虐待事件の厳罰化を望むのと、
子育てに参ってしまう親が
息抜きできたり、
子育てを頼れる場が
たくさんできますように。
(ここは私も病んでるので
切に望む)。