〜闇吐き出しシリーズ〜

2016年後半に東京から東海地方に引越し、激変したコティマムの生活。徐々にストレスを溜め、その過程で膵臓にも相当負担がかかっていきました。これは当時を振り返り、真のストレスを勝手に吐き出していくシリーズです。※現在は関東に戻ってきています。

 〜これまでの闇シリーズはこちらから〜

 

※自分へのメモ的ななぐりがきで長文です。すみません。


慢性膵炎一歩手前在宅ライター

コティマムです。

 

私は2016年後半から2020年2月までの

3年ちょっとの間、

夫の仕事の都合で

東海地方に住んでいました。

 

大好きだった芸能記者の仕事を辞め、

大好きだった東京を離れ、

友達も知り合いもいない場所で

新生活がスタート。

 

東京から東海地方へ引っ越すタイミングで

上の子・コティを妊娠。

頼れる人のいない新生活は

初めての子育てと

同時に始まりましたうずまき

 

私は仕事が

アイデンティティみたいな人間で、

もともとDINKS希望でしたので、

・好きな仕事ができない

・苦手な家事をメインでする生活

・初めての育児

・友達や知人がいない

という環境は

精神的にとても苦痛でしたもやもや

 

 

またコティの癇癪や多動が激しく、

この4年、

子育ての余裕は全くありませんでした。

子育てを「楽しい」と

思ったこともありませんでした。

 

そもそも出産も陣痛MAXからの

突然の緊急帝王切開で全身麻酔うずまき

 

気づけばコティが生まれていて

感動の対面などもなく、

出産した実感がわきませんでした。

「涙が出る」とかもなく、

自分の中で

母になった実感が持てないまま、

術後の痛みやおっぱいの痛みなどで

精神的に参ってしまいましたもやもや

 

そんな状態で頼れる人がいないまま

ワンオペ育児に突入し、

「とにかく目の前の小さな命を

私1人でなんとか育てていかねば!」

何か恐怖にも似た気持ちで

オドオドしながら

育児をスタートさせましたタラー

 

 

ワンオペ育児の中、

さらにいろいろな環境の変化で

世帯収入の激減があり、

これがまた

私の精神を

壊滅的に追い詰めましたハッ


お金がないと

余裕がさらになくなりますガーン

こうしたことが重なり、

夫婦関係まで険悪もやもや

 

 

仕事をしたくても預け先がなく、

頼れる人もいない。

癇癪持ちのコティの育児はしんどい。

金銭的にもしんどい。

夫婦仲はギスギス。

もう八方塞がりでしたもやもや

 

 

そんな中で、

なんとか記者として復帰したくて、

もがきましたアセアセ

でも見知らぬ土地で

頼れる人もいない中での

記者勤務は難しく、

フリーランスの

在宅ライターとしての道を

模索しましたアセアセ

 

でもその道のりは平坦ではなく、

自信がなくなることばかり。

何をやってもうまくいかない。

 

特に2018年〜2019年は

ものすごくしんどかった。

自分は落ちこぼれ。

何もできない、

何もない女だと

本当に凹みまくりました。

 

目眩で倒れたり吐いたり、

酷い動悸で息ができなくなったり

心臓が痛くなったりハッ

体調も最悪でしたガーン

 

 

そして背中の痛みも慢性化。

ここで膵臓はかなり

ダメージをくらったと思われます。

 

2020年、関東に戻ってきてからも

この落ち込みを

かなり引きずっていましたガーン

東海地方時代のことを思い返すと

胸が痛み、涙が出ることも。



 

去年からこの自分の闇を

少しずつ

ブログに吐き出しています鉛筆

 

これは

当時の気持ちを吐き出すことで、

少し自分が

楽になれるかなと思ったからです。

自分で自分の情けない気持ちや

辛さを書き出して認めることで、

気持ちが整理できるのでは

と思ったからです。

 

実は今回、

下の子・リティの出産が、

思いがけず私の気持ちの

「浄化」になりました。



 

 リティを出産した瞬間に、

この4年の

辛かった思いや

しんどさが

一気に吹き飛びました。

 

これまで育児も散々しんどかったので、

「2人目を産んだら

また私は病むだろう」

覚悟していたのですもやもや

 

でも、

ものすごく穏やかに

余裕を持って

育児している自分がいます。

自分でも驚いています。

 

下の子は

意識がある中での手術だったため、

産声を聞けたり、

すぐに対面できたことも

大きかったと思いますクローバー


産声を聞いた瞬間に

ぶわーっと涙が溢れ、

これまでの屈折した気持ちや、

辛かった4年が浄化されました。

 

また、

この4年間の育児で

ノウハウがあるからか、

赤子のお世話も難なくできており、

泣き声すら

かわいいと思える余裕がありますガーベラ

 

そして、

今自分がこれだけ余裕を持って

赤子に接することができるのは、

やはり上の子・コティの存在が

あったからだと思います。

 

コティは「娘、子ども」というより

「同士」のような感覚です。

見知らぬ土地で、

2人で初めてのことを

一緒に乗り越えてきた感覚。

私も何もわからず手探り状態。

とにかく2人で

何もかも初めての体験をした。

失敗もたくさんして、

2人で強くなった。

(母親としてダメダメで

コティに申し訳なく思いますが、

こんな精神的に不安定な私でも

母として頼って全幅の信頼を

置いてくれて、本当に愛されて

いるんだなと実感しています)


 

コティの出産の時は

さまざまな出来事を

「試練」と感じていましたが、

コティには

しんどくて

諦めず

その辛さを乗り越える力

与えてもらいました。

 

そして下の子には

出産の感動や、

純粋に子育てが

楽しいと思える感情

教えてもらった気がします。

 

2人の娘に

人間として

成長させられている

ように思います桜




 

「なんかいろいろと辛かったけど、

この4年はあってよかったんだ。

子育てを楽しいと

思ったことなどなかったけど、

コティとリティを生んでよかった。

辛い体験もしてよかった」

と今は思えていますピンク薔薇

 

気持ちがスーッと浄化されたので、

闇を吐き出していく必要は

もうないのかな、と

思ったりもしたのですが……。

 

でも。

 

当時の辛かった気持ちや、

それを乗り越えるために

がむしゃらに動いたこと

やっぱり自分の記録として

残しておきたいと思いました鉛筆

 

ライター業ではなくても、

子育てしながら

自宅で仕事したい人向けには

何か役に立つ情報を

伝えられるかもしれない。


ワンオペ育児でしんどい人や

夫婦関係で悩む人にも

共感してもらえることが

あるかもしれない。

 

そんなこんなで、

今後も闇は吐き出していきます(笑)

長文失礼しましたアセアセ

 

※「東海地方しんどかった」と

書いていますが、

東海地方で出会ったたくさんの人々に

支えられ、今でもつながっている縁が

たくさんありますラブラブ

この出会いがあったのも、

東海地方に住めたからです。