白金高輪のとあるコーヒー屋さんにきてみた。
マスターはさっぱりしている。
過度な接客ではない感じは久しぶりだ。
Googleの口コミには愛想、接客は....との投稿がちょいちょいあった。
日本は表面的な愛想がとても素晴らしい国なので、それを基準にすると確かにそう評価してしまうのもまぁ無理はない。
ただ、表面的に貼り付けられた笑顔で機械的なマニュアル通りの接客は正直私はとても疲れるし、むしろ怖さを感じる方だ。
大抵は言われた通りになぞるだけ、心から、自分の芯から思ってもないことを淡々とコピペのようにしているだけだ。
そこには人間、生命を感じられない、本当にロボットのようで無機質で異常だ。
それはチェーン店のご飯や飲み物もそうで、頂いてもまるでエネルギーを感じなくて胃には入った感覚はあるが、本当に身体や生命に必要な栄養やエネルギーは入ってきてないと私は感じている。
なので、ここ最近は私はなるべく個人店に出向くことにしている。
そこにはやはり人と人との関わりが確かにあって、場所によっては常連さん同士の会話が弾んでおりとても居心地がよい、生きた感覚の中にいれる。
四谷にある『高品質珈琲と名曲 私の隠れ家』さんは茶の間のようでとても好きだ。
人の自然体なエネルギーを感じられる。
そこの店主は綺麗な女性で、ナチュラルな感じだ、その気さくさで人を惹きつけている。
初めて私がそこに行った時、緊張しながらおそるおそる扉を開けたらそこの常連さんが『こんばんわー!』とのりよく声をかけてくれたおかげで、ほっとしたのを覚えている。
すかさず、店主が『はじめてよねー?』と声をかけてくれて、
もう一人の女性客が私にこんばんわと挨拶をしてくれた男性に向けて、『やめなよー、笑』と笑っていた。
初めてのお客に乗り良く声をかけるのに対して、こらこらといった感じだろう。
私はとても嬉しかった。
受け入れてくれたと感じることができたからだ。
私は人にたいして、受け入れてくれるか、喜んで迎えいれてくれるかという怖さが染みついていた。
なので、新しいお店にいくのも実は大変に緊張することなのだ。
そりゃ、お店だから入店を拒否されるなんてことはほぼないのはわかっている。
それでも、私の今までの人と人の出来事やトラウマによってそのシステムが私に出来上がってしまっていたのだった。
ちなみに、自分に染みついている事といえばこんなのもある。
近くにいる人たちがこそこそ話をしているのを見ると、自分に対して言っているんだと思いこんでしまい、とても辛くなる事だ。
それも学生時代が原因で、その時から抜け切れてないんだろうなと、自覚はしている。
色々とまだ今の自分にはあって、、
底なしにハッピー!
こわくなーい!
悲しくなーい!
とは言えないけれど、こうして比較的自分自身の事を感情に飲まれず分析できるようになった事は自体は大大大進歩で、自分の人生を生きやすくなった。
それはけっこう喜んでいい事なんだろうなとも思う。
自分が感じたことに気づいて、見つけてあげて、どうしてそうなっているのかを探す。
そして適切な解決方法を選び、変えてみる努力をする。
一度じゃうまくいかない事もあるだろう、
それでも、諦めずに自分自身に対して最後まで向き合いながら取り組み変えていくだけだ。
そして、自分自身がこの地球に生まれてよかった、生きてきてよかった、
あなたに出会えてよかったと、そう思えたら最高じゃないか。
そう感じている。
それが、生きるって事なのかな。
生まれて34年.....まだまだ続く。