19章

 

<写真・モデルのしおりさん>


 駅を降り立った時亮子は、ホームを見まわしてなにか見覚えがあるようにと思って、ホームのガラス窓の待合室を見た途端一気に思い出したのだ。


<そうだった、あの夜この待合室で康夫と会って助けられたのだ>
記憶がフラッシユバックになって浮かんでくる。


 <たしかに私は暗い夜道を走っていて、駅の明かりに引かれて駅に飛び込んだ。駅員もいない改札口を通り抜けてホームに上がって待合室で座っていたのだった。
そのときは、もう自分のしていることがさっぱり分からなかった。いいえそれだけではない、私は自分の名前さえ思い出せなくなっていた。>

 
 なぜ、遅い時間に暗い夜道を走っていたのか?思い出せないもどかしさに、亮子はいらただしくなるのだった。
 しかしそれでも分かったことがある。
 私はこの駅に来た。そしてスナックもまたこの駅の近くにある。なにか関連性があるように思える。


 ひょっとしたら~気が付いたことがあったが、亮子は結論を出さないでおこうと考えた。
 今から行ってみればわかることだからと、考えをストップさせた。 


  駅を出てスマホの地図を検索して確かめる。
  駅から近くのようだと改めて分かって、街灯の光の下を歩き出した。 


  歩きながらふと気が付いた、まるでいつも歩きなれた道のように、曲がり角の道もスマホを見ないのにまがって、すぐに目指す店、スナックにたどりついたことだった。<間違いない>記憶が戻ってきているようだ。自分に言い聞かした。

 
 入口のフロアーに小さな雪洞のように灯がともって、店の名前が赤い横文字で浮かんでいる。

 <ジュジュ>英語の文字で書かれている。
 
  <間違いないここだ>改めて思う。


 <営業中>扉の取っ手に札がかかっている。
 重い扉を押すように開けると、ちりんとなった。

 暗い照明のフロアーが広がっていて、入口だけが低い天井に電灯がついて明るい。
  客はまだいないようだった。

 まだ開店していないようだと亮子は考えた。

  静まり返っている暗いフロアーを見まわして、また亮子は既視感のような感じに襲われたのだ。


  大きなソフアーが低いテーブルをはさんであちらこちらに不規則に配置されている。
そして真正面、一番奥の二つのソフアーがテーブルをはさんで向かい合っているのを見たとき、亮子は一気に背筋に身震いが走って恐怖に襲われたのだ。


 なぜ?亮子は思わず声を上げていた。

 
「あら、お客さんでしたか?気が付かなくてごめんなさい。」


  亮子の声に引かれたように、左のカウンターから声がして女性が立ち上がった。 
 大柄な体型の着物姿、茶色かかった髪を二つに分けて、色白の顔立ちは笑顔を見せると朝顔が一気にぱっと咲いたようである。
 紫の生地に白抜きに花柄を散らした着物に、金色模様の帯は、矢張りスナックのママのあでやかさである。


「お邪魔します。いえ、客ではないのです。お尋ねしたいことがあって~。ママさんですか?」
「いえ、私、お店の女装スタップなのです。ママは最近はめったに来なくて、私が代理ママですの。」

 言ったあと<でもやっぱりママですね>と言って笑声を上げた。

 釣られて亮子も笑顔になってしまう。

 たった今経験した恐怖感がすっと消え去った。


 笑顔が消えるとママは真面目な表情にかえって、用件は?と問いかけるようにしげしげと亮子を見つめる。
「実はおかしなお尋ねするのですが、私、呼び名は亮子と言います。記憶障害で過去の記憶がなくて、このお店のママさんにお聞きすれば私の身元を知る情報を教えて頂けるのではないかと思いまして。何か聞いておられることがあれば教えて頂きたいのです」

 言いながらも亮子はこんなあいまいな聞き方で分かるだろうか?自信がなくなってくる。

 しかし心配は無用のようだった。

 ママは大きくうなずいて見せたのだ


 「やっぱりそうでした。いえね、お会いして感じましたの、ママと同じような雰囲気といいますか?似てられるのですが、ママとは違うのは、ママは女装で、男性ですからね。失礼しました私、しおりと言います。」
「ええ、それじゃ私のことご存じなのですね。いきなりに訪ねてきて失礼なのですが、お分かりなら私のことおしえてください」
 亮子は鼓動が激しくなるのを感じた。


 <矢張りここで良かったのだ。多分私はこのスナックで働いていたに違いない。>
駅の待合室に居たときの衣装を考えると、そうとしかおもえないのだった。


「はい、奥さんのことは多少ママから聞いて知っています。奥さんがが失そうされたときママが必死に探されたそうですが、なにか公にできないことで、探されるのには限界があったときいています。
でもママは希望捨てずに、いつかこのスナックに帰って来るかもしれないから、しおりさん頼みますと、ママに言われていたのです。でも、お帰りになって良かった」
 答えながら<しおりママ>は亮子に、ソフアーに座るようにうながした。


 しおりママと向かい合って座った亮子は、待ちきれぬようにしおりママに問いかける。
「それで私の身元はどうなのです。ここでは私はどんな立場ですの?」
「まずお名前ですけど。貴女は富子と言われてこのお店のもともとのスナックのママさんです。でも富子さんが失踪されて、代わりのママさんになったのが富子さんのご主人での女装のママさんです」

 「すみませんちょっと待って下さい」

 亮子は言葉を続けようとするしおりママを押しとどめた。

 「私、富子には夫がいたのですか?」

 衝撃が亮子を包み込んで、聞かずにはおれないのだった。

 「それがね、詳しいことは分かりませんけど、ご主人というのが大家の後継ぎの方でお父さんがお二人の結婚を認められなくて,内縁の妻として同棲されていたそうです」

 「内縁の妻?それで夫のことお分かりでしたら教えてください」

  
 「はい、詳しいことは知らないのですが、ここのスナックの女装のママさんは亮さんと言います。本来、隣村の大きな会社の社長さんになる方なのですが、富子さんが好きになって結婚するつもりで居たそうです。しかし富子さんが年上で、スナックのママさんと言うこともあって、お父さんの会社の社長さんは二人の結婚は許されませんでした。じつは、社長さんは亮さんに社長の後継者にするつもりでしたから、それもあって二人の仲を認められなかったようです。
 確かに大きい会社を経営して、村一番の裕福なお家ですから、それに見合うお嫁さんを亮さんに迎えたかったのではというのが、村の人の声です。
 でも亮さんはそれでも富子さんを諦めることはしませんでした。社長の座を弟さんに譲つて家を出て、富子さんと一諸になり、ここのスナックを二人で経営していたのです。
 ところがです、その富子さんは突然亮さんの前から姿を消したのです。何があったのか私どもにはわかりません。
 亮さんと喧嘩別れしてのことでないのははっきりしています。亮さんは富子さんを忘れることができず、自分が女装して富子さんとして、スナックのママさんをしたく来ですから。でも、お父さんは弟さんでは会社経営は無理だと、亮さんを説得して、後継者にすることになったのです。
 それで私がスナックのママになったと言うわけ~でも奥さんどうゆうわけで姿を消されたのです?ほんとなら村の人の噂になる筈なのに村の人は口を閉ざして言わないのです」
 しおりさんの長い話に亮子、いや本名富子は自分が富子に間違いないと知った。でもなにか浮かない気持ちを払しょくしきれないのだった。


「しおりママさん、お話ありがとうございました。私の立場がお話聞いて分かってまいりました。私が富子だと分かったのは、記憶障害なのに仮の名前を亮子と名乗ったことで分かりました。記憶がなくても亮さんのこと忘れていなかったのです」

 富子の言葉にしおりママは大きくうなずく。紫染の着物姿から抜け出たような襟筋の首の白さから立ち上る色気に、富子は<本当にこの人は男性なの?女装さんなの?>内心思ってしまう。


「そうですよ。富子さんが名乗られたとき、私、本当にこのひとは亮さんの言われる富子さんなの?疑っていました。でもお綺麗でここのママさんにふさわしいと思うのと同時に、亮子と名乗られたことに気が付いたのです。そうか亮さんの名前を名乗ってられるのだと~」
 色気をそそられるようなしおりママに、思わず富子はもっと記憶を失う前の自分、富子のことを聞かして欲しいと思った。
それを口にした富子に、しおりママは首を振るのだった。


「人様のブライバシーにかかわる話は、部外者の私ではお答えできません。すべての経過は亮さんとお話して聞いてくださいね。とにかく明日なら日曜で会社もお休みで亮さんはお屋敷においででしょうからお尋ねになったらどうでしょうか?」
 その返事に富子は納得するしかなかった。ソフアーから立って腰まげて礼を交わしたときに、リンが鳴って客が入ってきて、潮時になって話はできないと知ったのだった。


 しおりママが書いてくれたお屋敷のある道しるべをもらって、富子はスナックを出たのだった。
 <私は内縁の妻でも、とにかく夫がいたのだ>

 歩きながら、そのことを亮子は何回も口にしていた。

 

 <続く>