16章
そして~
何回か給料日になると、康夫は亮子の財布に10万円を入れ続けた。
そしてあくる日の夜、康夫は亮子の財布を確認すると5万円は消えているのだった。
そのお金の行先、康夫は亮子の後をつけることは止めた。亮子を信じることにしたのだ。
どこに行くのかは言えない。半年待って。
亮子の言葉に康夫が従ったのは、亮子が裏切ることはしていない。という安心感に支えられたからだった。
その亮子は康夫と一諸に行って買った、紫の光る輝きのドレスを着て昼ママで頑張っていたが、康夫はそのスナックには行くことをしなかった。
だが半年を待つまでもなかった。
康夫が仕事から帰った日だった。
ダイニングの食卓、テーブルにはいつものように夕食が並んでいた。
そしていつものように亮子はテーブルに座って、何時もならテレビを見ているのだがこの日は違っていた。
部屋に入ってきた康夫をいつものように立ち上がって迎えた亮子だったが、何時もと違った。
笑顔はなく、硬い表情に居たのに気が付いて康夫はあれ?と瞬間、不審をおぼえた。
「お帰りなさい康夫」
言葉も緊張したように固い。
「只今亮子。どうしたの?何かあった?」
「ごめんなさい康夫。食事前だけどお話があるの」
「どうしたの?あらたまって」
「これ見て下さる」
亮子がテーブルに置いたのを見て康夫は、ええっと声を上げた。
郵便局の預金通帳だったのだ。
康夫の名義になっている。
康夫は反射的に通帳を手に取りページをめくる。
5万円の金額の打ち込みがずらりと並んでいる。
「亮子どうして僕の通帳作って~」
言った言葉より早く康夫の頭の回転が速く考えた。
<分からない筈だ。商店街ではなく亮子は郵便局に行っていたのだ>
亮子は康夫の怪訝な問いに初めて笑顔を見せると笑った。
「だって康夫、私は記憶のない身で法律上ではしないのよ。身分の証明できないのだから通帳など作れるはずないでしょう」
「それもそうだが、でも、どうして月々の金を僕の名義で入れる気になったの?」
「だって康夫は私のためにさんざんお金を使ったのだもの。私、働いて返すと言ったでしょう。だから私のお給料で生活費の足しにして、康夫の給料の一部を貯金しただけなの」
「そんな、いまさら水くさいことしなくてもいいのに」
答えながらも康夫は嬉しくてたまらない。
ますます亮子が自分の奥さんになろうとしてくれている。
実感がわいてきたからである。
「いいえ、ホントはね、後、半年続ければ康夫が私のために使ったお金に近ずく金額になって、康夫に返せると計算していたの。それが康夫に半年待ってという意味だったの。」
「僕は亮子にいつも言っているだろう。亮子は僕の奥さんだと。だから奥さんに返す返さないなんてのやり取りは必要ないのだよ」
「でも私康夫に約束しているのですから働いて返すと。私、康夫に甘えたくなかった康夫と対等に暮らしたいの。でもそうはいかなくなったの」
「そうはいかなくなった?良く分からないけど話というのはそのことだったの?」
「そうなの、康夫落ち着いて聞いてね」
念を押すように言った亮子は緊張をしているのは康夫には見とれた。
息を止めて一気に引き締める顔の表情になった亮子に、康夫はただならぬ雰囲気を感じ取った。
亮子が自分に何を告げようとするのか?
なにか康夫は不安を感じ取る。
「康夫、私の身元が分かりそうなの」
「ええ身元が?亮子、記憶が戻ったの?」
言いようのないショックに見舞われ康夫は叫んだ。
「そうじゃないの。教えてくれる人に会ったの。その通帳の郵便局の局員の人」
「郵便局の人がどうして亮子のみもとがわかるの?」
聞き返して康夫は落胆を覚えながら亮子を見つめた。
ついに来たのだ~亮子の身元が分かるときが。
内心のおそれがぬぐえない康夫だった。
身元が分かれば亮子は元の生活に戻り、康夫から離れて行くのではないか?
それは康夫がこれまで一番恐れていたことなのだ。
亮子はそんな康夫を安心させるように、わが手で康夫の両手を包み込んだのだった。
「それがね、郵便局の若い局員さんなのだけど、最近ここの郵便局に移動してきた人らしいの。それがね、昨日私が郵便局に入ったら挨拶されたのよ。
<奥さんお姿見ないと思っていたら、こちらに転居されていたのですか?>てね。
もうどきりとした。
慌てたけど、落ち着いてと自分に言い聞かせてさりげなく聞いた。
<あらほんとだ、あなたこちらに転勤されてたの?向こうの郵便局、ええと何と言ったかしら?>
<A町の〇〇郵便局ですよ>
<〇〇町?私、こちらに転居してから、元住んでいた住所すっかり忘れてしまって。それで貴方どうして私のこと知ってますの?>
<そんなこと奥さんが良くご存じでしょう。〇〇町のスナックの美人のママさんと言えば、町で知らぬものいませんよ。
それが美人の奥さんが突然消えて、代わりに女装さんのママさんに代わって、どうなったのだろうと噂になっていたのです。
まあ、代わった女装さんと言うのも綺麗な人で、なにか有名な家の出の人らしくてスナックも繁盛しているそうです。
そうですか奥さんこちらにおいででしたか、それでこちらでお店しておられるのですか?
ああそうですか、では前のようにお店の通帳作って下さい。お願いします>
「まあ、こんな具合。私スナックのママさんだったのね。でもなぜ私が町でそんなに有名なのか?分からない。なにか局員さん意味ありげに笑うの。多分郵便局に来るおばさん達のおしゃべり聞いているのじゃない?康夫はどう思う?」
亮子に聞き返されて、康夫は少し安心感を感じていた。
矢張り思っていたように亮子はスナックのママさんだったのだ。
普通の家庭の主婦ではなかったということが、康夫に安心感与えたのだった。
「うん、わかるのは、亮子が勤めるスナックのオーナーが一面識のない亮子を昼ママにしたのは、スナックのママの経験があると、亮子を見抜いたからだと分かってきた」
「それなのよ。A町の私の勤めていたというスナックに行けば私の身元は分かると思うのよ」
「そうだな、亮子がそのスナックのママとして有名だとしたら、後を継いだ今のスナックのママに聞けばわかる筈だが~」
「どうしたの康夫、なにか気乗りしない様子だけど、よろこんでくれないの?」
「いいや良かったと思うよ。今のままでは中途半端だから。でもな~亮子が本当の自分に戻ったら、もう亮子でなくなって僕の知らない名前になるかと思うと寂しい気がして~」
「それは康夫だけではないの、私だって同じよ。記憶が戻らないのに本当の名前を知っても、自分の名前という実感ないもの。やっぱり亮子という名前のほうが自分という気がするもの」
確かにそうだろうなと康夫も思う。
亮子と暮らした日数は短いけど、でも夫婦同然で亮子として暮らしていたのだから本来の名前は、違う名前で他人のような気がするのではないか?
康夫は思うのだ。しかし?
「そうは言っても亮子、本来の身元に戻れば、名前ももとに戻るしかないだろう。
そうすれば僕との正式な夫婦になれる希望がある。あるけど不安もあるんだ。亮子が元の暮しに戻って僕から離れることも考えてしまう。その辛いことになれば僕はどうすればいいのだろう?」
康夫はため息をついて、亮子に握られていた手を握り返して、<どうすれば?>その想いを伝えるように亮子の目を見つめる。
康夫のその訴えのような問いに、亮子はどう答えたものか?思案したが首を振った。
「そんなことしないよ康夫。私は康夫のそばを離れないからね。安心して」
「そういわれると嬉しいけど、でもこれだけは亮子の思い通りになるとは思えない気がする。僕からすると亮子は別の世界に行くようなものなんだ。そこには僕が入る余地がないような気がするし、亮子もその元の世界の自分に従うしかないような気がする。それに亮子~亮子も内心ではそれを覚悟しているのじゃない?だから僕に貯金通帳を渡したのではないの?」
康夫に言われて亮子は驚きのように大きく目をひらいた。
「まさか?私、そんなこと考えてもみなかった。でも考えてみると半年は待てない。今、渡さないと~そんな気持ちに駆られていたように思う。なんでだろうと思うのだけど」
答えながら亮子ははっと表情を変える。
大きな目がみるみる潤んでくる。
「康夫、私矢張りA市のスナックに行くのを止めた方が良いのじゃない?今のままで康夫と居たほうがいいような気がしてきた」
亮子の問いかけに康夫は思わず<そうしょう~>答えそうになったが、なんとか自分を押さえこんだ。
「僕だって亮子と今のままで居たい。それは思うよ。でもそうはいかないと考える。今のままだと、たとえ戸籍を得たとしても過去のない日陰の亮子で居ることになる。行かなければ亮子も絶対後悔するような気がする。
そして僕も行くことに反対して亮子の過去を葬った責任に一生自分を許せないのでは?思ってしまう。
辛くて怖いけど行くしかないのだと思うことにしょう亮子。
勇気出して行こう。僕も一諸に行くから」
決然と亮子を励まして言ったつもりの康夫だったが、言いながら康夫はこれでいいのだろうか?内心、不安に取りつかれていた。
亮子は康夫の励ましの言葉に、答えるしかないと覚悟をするしかないと思うのだが矢張り不安に取りつかれていた。
だが亮子は康夫に頷いて見せたのだった。
<続く>