4章

 

 とことこ~と隣のリビングからきこえて、なにか料理の匂いが流れ込んできて康夫は目を覚ました。

 なにか眠気が強くて起きるのが大層なのだ。それに今日は日曜で会社は休みだからもっとゆっくりと寝て居よう。

 うつつでそんなことを考えながら、再び眠りに入ろうとしたとき再びコトコト音がして,なに?不審に感じたときあっという間に目が覚めたのだ。

 <亮子さん>康夫は心で叫んで体の横に手を伸ばしたが、寝床の布団の手触りだけだった。

 慌てて康夫は飛び起きた。

 パジャマ姿のままリビングに飛び込んだ。

 「亮子さん何して?」

 言葉を途中で飲み込んだのは、キッチンの流し台で後ろ姿見せて立っている亮子が振り向いて笑顔見せたのが、まるで大輪の花のように見えたからだった。

 「お早うございます。朝ご飯、冷蔵庫かき回して作りました。着替えてください。食事しましょう」

 みそ汁のすごくいい匂いに感じながら、康夫はなにか恥ずかしいというか、面はゆい気持ちで答える言葉がなかなかでてこない。

 昨夜~いや夜中の狂乱のような亮子の姿から、今朝はにこやかな主婦の姿の亮子を見たからかも知れない。

 

 「はい、すぐ着替えます」

 それだけ答えて部屋に戻り着替えして、寝ていた布団を畳んで押入れに運ぶのに抱えたとき、ぷ~んと甘い匂いが鼻をくすぐったのだ。

 <亮子さんの匂い>

 思った途端、一気に血が上った。顔が真っ赤に火照るのを覚えたのだ。

 

 一糸もまとわず裸身の亮子に抱きつかれて、康夫は後は無我夢中だった。

 「りょう~りょう」

 わが名を呼び続ける亮子の激しさに康夫は煽られて、何度となく亮子を求めたのだつた。

 

 テーブルを挟んで笑みを浮かべている亮子と向かい会って座ると、康夫は気恥ずかしさに亮子と顔合わせられないのだ。

 その自分の動揺を隠すように康夫は声を上げる。

 「凄い、これ、朝ご飯でなくて夕食ですよ。豪華です亮子さん、一体何時に起きて料理作ったのです。?」

 「そんなにほめないで康夫さん、1時間ほどで作れるのです。別に早起きしたわけでもないの、陽が上がってから起きたのですからね」

 

 それにしてもテーブルに並べられた料理の数々を見て、康夫は不思議でならない。記憶喪失というのに亮子はどうしてこれだけの料理を作れるのか?テーブル狭しと並んでいる料理を一皿づつ確認しながら康夫は首をかしげる。

 「みそ汁とご飯は当然として、小松菜と厚揚げの煮物。カレイの煮つけ、わかめときゅうりの酢のもの、肉じゃが、それにこの揚げ物は?亮子さん」

 「ああ、それはレンコンに鳥のひき肉に梅を入れて、片栗粉をまぶして照り焼きにしました」

 「どうも信じられません。これだけの料理を一時間で作れるなんて~」

 「言われてみればそうね。冷蔵庫にある材料を見たら料理の献立が頭に浮かんだだけなのよ。でも康夫さん独り住まいなのに、これだけの材料揃えて料理できるのね」

 「違うのですよ亮子さん。田舎の母がちゃんとしたもの食べているかと心配して買い込んで冷凍にして入れているのですよ」

 「そう、良いお母様ですこと。私は母を早く亡くしてそんな経験ありませんもの。羨ましいです」

 「あれ~亮子さん今何と言いました?母を亡くした?と言われたけど、記憶戻ったのですか?」

 「ええ?まさか、頭に浮かんだだけです。なぜそんなこと言ったのかしら?思い出そうとしても分かりません」

 「いや、多分とびとびに記憶が戻ってきているのですよ、きっと~」

 「そうでしょうか?そうだったら嬉しいのですけど。でもそれがいいのかどうか?怖い気がするのです。このままで記憶が戻らなくても良いような気がしますの」

 首をかしげる亮子に、康夫はなぜそんなことを亮子は考えるのか?気になってくる。

 「どうしてです?記憶が戻ればもとの自分に戻れるのですよ」

 「それはそうだけど、でも、そうなるとここを出ていくしかないような気がしますの」

 「どうしてです?亮子さんは僕と一晩過ごしただけですよ。記憶が戻ればもとの自分に返って今までの生活がよみがえるのです。当然のことです」

 内心康夫は当たり前のことを言っているけど、本当は言いたくないことだった。

 「それは分かっていますの。でも、何故かそれが怖くて仕方ないのです。戻らないで欲しい。今のままで居たい。そんな声が気持ちにあるの、それがなぜなのか?分からないの。ひょっとしたら康夫さんとこのまま一諸に居たいのかも知れません」

 その言葉に康夫は口に入れていた食事を戻しそうになった。

 慌てて食べ物を飲み込んで箸を置いた。

 「ちょっと亮子さん、自分が何言っているのかわかっているのですか?僕と一晩過ごしたからといって、こだわることないのですよ。それは記憶を失くした時のできごとで、記憶が戻ればそれまでと同じように暮らせばいいのです。僕も夢を見た一夜と思って忘れることにします」

 確かに夢に過ぎない。こんな美人といきなり一夜を共に過ごすなどある筈がない。康夫は自分に言い聞かせる。

 でも内心はではこんな美人と共に暮らせるなら、最高の幸せと想う気持ちも自分のなかにあるのは否めないのだった。

 だから亮子に一緒に居たいと言われれば、待ってましたとそんな言葉が出そうになるのだったが、口から出る言葉は想いとは裏腹のかっこのいい言葉しかでないのだった。

 「ごめんなさいね康夫さん。こんなこと言って、でもね、今朝台所で朝の食事の支度しているとき、私、凄く幸せ感じていたの。もう昔からこうして主人のために朝餉の支度しているのだと。そんな気持ちになっているのを気が付いたのです。それで思いました。このまま記憶喪失でいたほうがいいのでは?そうすればこの家の主婦として康夫さんと暮らせる。そんな願望が生れたのです。

 確かに私は昨夜は康夫さんと過ごしました。でも昨日助けてもらって宿を頂いても本来なら、今日はお礼言って出ていくべきだと分かっています。

 でもお願い、康夫さんここに置いてください。主婦として康夫さんと一諸させてください」

 潤んだ目つきで色気ただよわせ話す亮子に、憑かれたように見つめていた康夫だっが、亮子の言葉に歓喜に包まれた。

 それでも康夫は理性に踏みとどまろとあがいたのだ。

 「そうでした。僕、亮子さんを一晩泊めればいいと思って、後のこと考えていませんでした。お金もなく、行き先も分からず、名前も分からない人を一晩泊めて、それで終わりということではありませんでした。

 だからこうしましょう。本当のところ僕にはありがたい申し出です。だから亮子さんに主婦として迎えることに異存はないのです。

 主婦としてここに住んでください。はっきりいうと僕には亮子さんを妻として迎えたいのです。

 でも亮子さんの立場も考えなくてはなりません。

 それは亮子さんの記憶が戻った時です。そのときは僕の都合でなく、亮子さんがもとの生活に戻らなけらばならないとしたら、僕は諦めます。

 亮子さんがそのときどうしたいか?決めたことに従います。喜んでとは言えませんが、とにかく亮子さんの記憶が戻るまで、戻る時までが僕の家の主婦として一諸に住むことにしましょう。それでいいでしょうか?」

 康夫の言葉にうなずいていた亮子だったが、突然「康夫のさん」と言った亮子の黒目勝ちの大きな目から、涙がぽとぽとこぼれるのを見て康夫は慌てた。

 「ごめん、亮子さん僕いらんこと言った?」

 その康夫の尋ねに亮子は激しく首を振った。

 「違うの康夫さん。私、嬉しいの。康夫さんはどうしてそんなに優しいの?私の知っている男さんはみんな自分の立場で接してくるのに、康夫さんは私の立場で考えてくれている。それが嬉しいの。私、記憶が戻らなくてもいい。このまま康夫さんのそばに居たいの。お願いします」

 「お願いは僕のほうです亮子さん。無理強いはしないけど僕と一諸に居てください。僕は嬉しくておかしくなりそうです」

 康夫の言い方が可笑しくて、亮子は康夫と声上げて笑った。

 

 「ああ、おしゃべりに夢中になってせっかく作った亮子さんの料理が冷めてしまったけど食べましょう」

 「お味噌汁温めましょうか?」

 「いいです。亮子さんの料理は冷めても美味しいからこのまま食べます」

 そんな康夫の言い方に、また亮子は笑ってしまう。

 記憶は戻らないけど、亮子は幸せを感じていたのだ。

 <続く>