離れの戸を開けるなり、叫ぶように富子さんと呼んだのです。

 何事かと思ったのか?富子さんだけでなく、愛さんも奥から出てきたのです。

 「どうしましたの?亮さん」

 「富子さんやりました~母が私達の住む家を用意してくれることになりました」

 「本当ですか?亮さんお母さんが私達の家を?私亮さんと一諸に住んでもいいと?」

 富子さんの顔がぱっと輝きます。

 それに比べて、隣に居た愛子さんが驚きの表情です。 

 「亮さん思いつめないで。奥さんがそんなこと言うはずないでしょう。それにお父さんはどうなんです?」

 詰問するように愛子さんは私に詰め寄ります。

 「父にはまだ話していないけど、母はいいと言ったのだけど」

 「馬鹿なこと言わないで。お父さんにも相談しないで奥様が承知されるはずありません]

  今までにない愛さんの剣幕です。

 「そう言ってもね愛さん。お母さんは僕たちの住むところを探します。母の役目だと言ったのだから。嘘じゃないからね」

 「そんなこと信じられない?奥様がお父様の許しもなく一存でそんな大事なこと決められるなんてあり得ないことです」

 「それなんだけどね愛さん。お母さん言うには昔、お父さんを無視して自分の気持ちに忠実にやりたいことやったから、1回するのも2回するのも同じことだって~どう言うことなんだろうね?」

 私の返事に愛さんは怪訝な顔つきしていたのが、はっと息呑むそぶりを見せたのです。

 「奥様がそう言ったの?亮さん貴方奥様にどんな話しをして奥様を言いなりにさせたの?」

 「別に~愛さんに言ったことと同じこと言っただけです」

 「それじゃお父さんの跡を継がないと言うことも、言ったのですか?」

 「言いました」

 「じや、だれがお父さんの後継ぎするのですか?お父さんは亮さんに期待されているのはご存じでしょう?」

 「だからそのことはお父さんにはっきり言います。後継ぎは僕でなく正にしてほしいと~」

 「亮さん貴方なんてこと言うの?ダメです。お父さんの後継ぎは亮さんでないとだめなのです。正さんに後継ぎができると思うのですか?私は亮さんが社長として会社を経営する姿を待ちに待っているのですよ。何のために私は母親代わりに貴方を育てたと思うのです」

 愛さんの何時にもない剣幕に口先だけの話では納得しないと思いました。

 「愛さん正直に言います。愛さんの言っていることは母にも言われました。でも僕は富子さんと一諸に暮らしたい、社長にはなりたくないとはっきり言って、お母さんに諦めてもらいました。愛さんの希望を失わせるけど、本音で言うと僕には会社は経営はできない、正が適任だと思っているんだ。愛さんの期待に応えられないけどこれは僕がそう判断したことだから分かって欲しいんだ。愛さんが僕の母親代わりだから僕のわがままを許して欲しいんだ」

 「亮さんどうしてそんな悲しいこと私に言うのです。なぜ亮さんがそんな考えもつのか?私には理解できない。私がそうなのに、どうして奥様は納得されたのかも?

それも分かりません。」

 ため息をついてうなだれる愛さんでしたが、突然顔を上げると、私の後ろで成行を見守っていた富子さんを睨みつけたのです。

 「元をただせば富子さん貴女が亮坊ちゃんを惑わしたことから始まったことです。

貴女が亮さんを篭絡したことから起きたことです。貴女を恨みます」

 愛さんの声高く叫ぶのに、富子さんが身を固くして強張った表情になるのを見て私も慌てました。

 「愛さんそれは違う。僕が富子さんを愛したからなんだ。富子さんのせいではないんだ。それに言っておくけど、愛さん。お父さんの後継いで社長になる話を断るのは、富子さんとは関係ない、元からの僕の意志なんだから」

 「また分からないことを言う亮さん。貴方は自分が分かっていないのです。貴方は若くてもお父さんそのものの血を引いた優れた器量の持ち主なのですよ。だからお父様も貴方を後継ぎにと期待されているのではありませんか?」

 「愛さんありがとう。でも、愛さんがいくら僕を評価してくれても無理だと言うしかない。そのことはお父さんと話することだから待ってくれないか?」

 私は嬉しかった。不細工な男の父親似と言われていた私を、愛さんは無条件に私を愛してくれてきたのです。それだけに今回のことで、私は愛さんの想いを裏切るようなことになって辛い気持ちはあるのです。

 さすがに、その私の想いが通じたのか、愛さんは私を責めることは諦めたようです。

 でもそれでも気が収まらないのか?愛さんは富子さんに矛先向けたのです。

 「富子さん貴女、私と挨拶したとき私に言いましたね。私が一諸に住むのか?と聞いたら<考えていない>と答えましたね。まだあります。亮さんの将来について、お父さんが亮さんを後継者に、お嫁さんもそれにふさわしい人と言われていることについて、貴女は<重々承知しております>と答えたではありませんか?

 なのに貴女は明日お母様の用意された家に住むと言うことは、私を騙したのですか?そんな人が亮さんと一諸に住むなんて私は許せません。亮坊ちゃんは私の宝です。貴女は私の宝を取り上げようとしているのです」

 私の見たことのない愛さんの興奮に満ちた怒りは、私には抑えきれない想いにさせるのです。

 しかも愛さんの怒りは私にではなく私の愛する富子さんに向けられているのですから、私が富子さんを守らなければいけない。心中思いながらどうこの場を収めたものか、それを思いつかない自分に悔しさがいっぱいになるのです。

 ところがです。

 当事者の富子さんは愛さんの激しい怒りを投げかけられているのに、愛さんの言葉ひとつひとつにうなずき返し、至極冷静なのです。

 そして愛さんが疲れ果てたように言葉を切った時です。間を置かずに富子さんは愛さんに告げたのです。

 

 「たしかに言われてますように私は承知しています。亮さんのお母さんのお世話して頂いた住居に私は住まわしていただきますが、お父さんの許しもなく亮さんと一諸に住む気はありません。一諸に住むには亮さんとお父さんとの話し合いで、お父さんが亮さんの願いを認められることです」

 「では認められなかったら、亮さんを諦めると言うことですね?」

 「いえ、それは考えていません。私は亮さんを信じています。必ずお父さんを説得されると思っていますから」

 「そんなこと考えられないことなのに?」

 愛さんはつぶやくように言って首を振るのです。

 そこで私は自分の出番が回ってきたことを気づいたのです。

 「では愛さんさっきも言ったように、僕とお父さんとの話し合いに任してくれるね」

 少し残酷に思えたけど私は愛さんにくぎ刺したのです。

 それで話は終わりと私は安堵したのだけど、でも富子さんは愛子さんの両手をわが手で包んで愛子さんににじり寄ったのです。

 「愛子さんは分かってもらえると思って言いますね。愛子さんの話伺っていて気付いたことがあります。愛子さんの訴えは女中の愛子さんの言葉でなく、亮さんのお父さんの気持ちを代弁して言われているのだと知りました。

 なぜ亮さんの親代わりとはいえ、お父さんに成り代わって女中の愛さんがそこまで言えるのか?その答えはすぐわかりました。

 離れとはいえ普通の家を愛さんに長年にわたって住まわせ、女中の範囲を超えた扱いをされていることは、愛さんがご主人に大事にされていることを物語っています。

 そして愛さんも若くして女中として入ってこられたけど、結婚もされないでいる。

そして、これらのことは亮さんが愛さんの手を離れたのちも続いているのです。

 愛さん私がなぜこんなブライバシーなことに触れてまで言うのか?とおもうでしょうが、私もまた同じだからです。

 私は申し上げたように、女装スナックの経営者です。当然職業柄で男さんの出入りがなかったとはいえません。でも、これだけは本気なのは分かって欲しいのです。私は亮さんを愛しています。私の愛したただ一人の男性なのです。

 私が亮さんを愛して知ったのは、人を愛すると言うことは、たとえ肉親といえどもそれを変えることはできないと言うことでした。

 だから、どんなことがあろうとも私は亮さんを愛し続ける気持ちで居ます。

 愛さんもご自分のことからも、私のその想いは分かって頂けると思うのです」

 

 富子さんの話を聞くうちに私は胸打たれる想いに包まれるのです。

 人に好かれることはないと思い込んでいた私でしたが、愛さんにも、そして私の愛する富子さんにもこんなにも愛されている。

 幸せに包まれてきた私でした。

 <やっぱり私の目に狂いはなかった。愛さんは私が愛してやまない理想の女性だった>自分自身に褒める言葉を心のなかで呟いていたのでした。

 

 「亮さん私は女中として出過ぎたこと言いました。女中の私の出る幕でないことは分かりました。私の亮さんを大事に思う気持ちに変わりはありません。でも亮さんのお気持ちを左右することはできません。このことは亮さんがご自分でお決めになることです。私はそれを見守るだけです」

 さすがにつらさの想いは愛さんの表情に現れていたけど、私は母親が理解してくれたような気分になったのです。  <続く>