93回
<正人さん助けて~>心で何度も叫んで公園のペンチに座った私はうつむいて、落ち葉の土の上に涙のしずくを落とすに任せていました。
まさか、まきさんの話が嘘だとは思えないのです。お母様の今までの言葉を拾えばまきさんの話は嘘でないのは理解できるのです。
でもやっぱり内心は嘘であって欲しいと言う気持ちが根強くあるのです。
正人さんがミカちゃんを第一と考えていることが確かなのは私も知っています。では私への正人さんの気持ちはどうなのか?
私を愛すると言った正人さんの私への愛の印の数々~忘れられぬその想い出は私のなかで消えることはありません。
正人さんが私に告げた言葉が口先だけでないのは分かっているのです。私は正人さんを信じているのです。
堂々巡りの疑問のなかで、すべては正人さんが帰ってくれば答えが出るのだと、私は自分に言い聞かせるのです。
それでいて矢張り不安の黒雲は私を去ることがないのでした。
すでにまきさんを中心にお母様の手でお膳立てができているのを私は知ったのです。そこには私の入る余地はありません。
本来、まきさんは正人さんが私を知る前に、正人さんと約束を交わしていたことなのです。
正人さんだってそれで納得していた筈です。正人さんはミカちゃんがすべて、ミカちゃんの母親になってくれる女性<ひと>を探す気持ちがあったのですから。
普通でいくなら、そのままだったら正人さんはまきさんと結婚して、ひょっとした
ら子供さんもできて、平凡な家庭が出来上がっていた筈です。
でも、私はそんなことも知らないままに正人さんを愛したのです。
今で思えば運命のいたずらは、時に思いがけない演出をするものです。
すべてはJRから阪急に通ずる陸橋が始まりでした。
あのとき私が陸橋で立ち止って、足元の御堂筋の車の流れが織りなす光の饗宴に目奪われなかったら~目の前を通り過ぎる赤いもの~風船を私が捉えることなかったらミカちゃんにも、正人さんにも会うことはなかった筈です。
そして正人さんも私もまたそれぞれの違う道を歩んでいたに違いありません。
多分私の場合は、病院でのお仕事しながら、女装子を続けて、ひょっとしたら月に一度か、二度しか会えない彼氏ができて会う瀬を楽しんでいたかも~
こんな悲しく辛い思いをするくらいなら、そんな道を歩んだ方が良かったかも~
思ったところでどうにもならない道を私は進むしかないのです。
でも悲しさの反面悔しいのです。
さっきまでまきさんの話を聞くまで、私はメイクの先生のアドバイスで涙を拭きとることができて、正人さんの帰りを待つ決意でいたのです。
それなのに初めて会ったばかりのまきさんだというのに、言われたその言葉に私の決意は崩壊させられたのですから。
そう、私はまた元に戻って涙を流しているのです。
でも今度の涙は、逃れようないふき取ることのできない涙と思ってしまう私でした。
気が付くと足元の落ち葉に落ちる私の涙が見えなくなっていました。
夕暮れと気が付きました。
ペンチから立ち上がったものの、到底自宅に帰る気分ではありません。帰ればますます悲しみが増幅し、ひとりぽっちの部屋で、泣き続けるような気がします。
そう思ったとき気が付くと電車に乗って、また、開かない扉の前で乗客に背を向けて立っていました。
電車を降りた足は自然と女装スナック・ルージュに向かっているのです。
ちりん~扉を開けるとカウンターの端で男性の客と話していたママさんが笑顔で迎えます。
「あきさんいらっしゃい。どう少しは元気になった?」
聞かれたのは、先日、ここで由美さんと手取り合って泣いていたことを言うのでしょう。
「いえ、あのときよりもっと辛くなっている~」
問われて黙っているわけにもいかず、それだけ答えてカンターの角の席に座ると、注文しないで黙り込んでいると、ママさんも分かっているようです。言葉もかけないで水割りが前に置かれます。
水を飲むように水割り飲んで、一気に体の中が熱くなって酔いが立ち昇るのを感じながら、このまま何もかも忘れてしまいたい。
思っていてもまきさんの言葉の数々が思い出されるのです。
<私と正人さんとの婚約を貴女は壊したのよ~>
<違う、正人さんは貴女と婚約しながら、私と結婚する筈ありません。正人さんは私を選んだのです>
<でも正人さんのお母さんは正人さんと私との結婚の準備しているのよ>
<たといそうでも、お母様の一人合点です。正人さんは私を愛しています>
頭の中でそんなやり取りが駆けめぐって聞こえてきます。
「いつから 僕等住んでる
この世界は こんなに
小さくなって しまったのだろう
遠くの町に 暮らしてる
君の言葉 こんなに
近く耳もと 感じられるけど
ほんとうの哀しみは いつも傍に
いなければ わからない
世界中の涙 集めたら
どれくらい長い 河になるのだろう
その河の 流れに乗り
君の町まで 届くよう
君の心に 届くよう 」
<君の心に>「作詞:浪花乃月」先生
私の想いに響くその歌声。
われに返って、私の想いを気持ちを唄っている。心でつぶやいていました。
唄声の主を求めて振りかえると、目元がぱっちりの笑顔の美人が私を見つめていました。
静さんでした。
慌ててカウンターの椅子滑り降りて、ソフアーの静さんの横に並びます。
「あきさんメイクの先生に聞きましたよ。社宅出なければいけないて~住むところも、勤め先も探さないと大変になっているて~まあ、それは何とかなるでしょけど正人さんとはどうなっているの。私、他人事とは思えなくて気になるの」
「静さん、もうダメ~正人さんに婚約者がいたのです。その人にも、お母様にも正人さんと別れるように言われたのです」
「あきさん落ち着くのよ。正人さんとの直接の話ではないのでしょう」
静さんは私の顔を覗き込むように見て私の両手を包み込むように握るのです。
<続く>