65回
あくる朝、さすがに若いとはいえ起きるのが辛い朝でした。
昨夜は正人さんに翻弄<ほんろう>されまくったのです。
家に帰った安心感からでしょうか、正人さんは貪欲に私をむさぼったのです。
そして私も正人さんを受け入れたのです。
男の性を持ちながら、女の喜びを得たと思いました。でもそれには代償も支払うことも知ったのです。
腰の痛みを耐えながらも、我慢の一字で起きたのです。
この住処での最初の朝を迎えるのですから~。
朝の支度に正人さんを会社に送り出すこと、そして私も勤めに出るのです。そしてミカちゃんは正人さんに代わって私が、正人さんの会社の保育所に送るのです。
キッチンに入ったら、もうお母様が朝の食事の用意されているのに慌てました。
コーヒーの香ばしい香りがダイニングを満たしています。
「すみませんお母様。私がしなければいけないのに~」
朝の挨拶も忘れていました。
「いいのよあきさん、今日一日がこの家での私の最後の主婦になるのだから。夕方貴女が帰ってきて私とパトンタッチしてからが、貴女の主婦の始まりですからよろしくね」
今までの私の知識の嫁と姑のイメージとまるで違うお母様に、女装子の私の嫁修行がつとまる気がするのです。
「お弁当ですけど正人さんと私は社食ですけど、ミカちゃんのお弁当は~」
「大丈夫よ。夕べの晩御飯のおかずに卵焼きのお弁当作りましたから」
「すみません。私、まだママ役失格です」
「それは仕方ないわよあきさん。本当の母親にになるには自分が生むしかないわよ」
笑うお母様の言葉に、思わずどきりとしたのです。そして胸に矢が突き刺さったような痛みを感じました。
<私はいくら嫁になっても子供は産めない身なのだ>と、お母様はまだ私のこと知らないから仕方ないけど、でも、何時か私が女装子と知るときがある、その時お母様からどんな言葉が返ってくるか?それが怖いのです。
「ミカちゃん起こしてきます。」
断ってミカちゃんの部屋に行きます。
布団蹴とばして手足出しているミカちゃんをゆすります。
「ミカちゃん起きるのよ。ママと保育所行くのでしょう」
「ママ~眠い~」目を開けないミカちゃんです。
「眠いの~じゃ、寝てなさい、ママはお仕事行くからね」
「ダメ!ミカ起きる~置いておかないで!」
叫ぶと飛び起きるミカちゃんです。
その体を受け止めて手早くパジャマを脱がせ、服に着かえさせます。
洗面所に駆け込むミカちゃん。
「あれ・ミカちゃんどうしたのだろう?ミカが今日は寝起きがいいじゃないの」
正人さんと向かい合っているテーブルのお母さまが笑います。
「そらそうですよお母さん、ママができたからミカきっと張り切っているんですよ」
パンにバター塗っていた正人さんが笑い声あげるのに、私も微笑みが自然と浮かぶのです。
<これが家族なんだ。正人さんの奥さんになって私は家族ができたのだ>
<明日からこれが毎日続くのだ~>それを思うと、初めて味合うことができた家族で暮らす喜びに私は幸せをかみしめるのです。
「主任さんどうしましたの?なにかにこにこして~先週は年休消化だったけどなにかいいことありました?」
病院に出勤して受付窓口に着くと、途端にパートのおばさんに捕まって言われたのです。
「あんた何言ってるの、主任さんの指~指見てごらん。立派な結婚指輪じやないの」
もう一人のパートのおばさんが声上げたのを聞いて、一斉に声上げたのが窓口事務の女性達です。
「主任~結婚したの?」
「指輪見てみて~オパールよ。凄い」
「でも女性の指輪みたいよ」
「主任結婚のお相手の女性はどこの人?まさか病院の人じやないでしょうね?」
「結婚式は病院からだれがでたの?」
てんでに質問攻勢です。
女性の職場ですから、こうなるとだまって落ち着くのを待つしかないのは経験で知っているのです。
無言で皆さんが落着くのを待つ私です。
後ろの席で私は一斉に寄せられている好奇の視線を受け止めて、顔が緩むのです。
でも、今は男性なんだと自分に言い聞かせています。
やっと落ち着いてきたので、私は口を開きます。
「皆さんお世話になりました。明日気付けで私は退職します。はい、結婚のためです。ありがとうございます」
指輪の指を掲げて見せます。少し得意な気分です。
「ええ~」「結婚~」一斉に声が上がりました。
「どうして~退職なんて~」
「結婚のために退職てどうして?」
「遠いところで暮らしますの?」
また、質問攻めです。
「私のちっぽけなマンションでは暮らせませんので、相手の家で暮らすことになったのです。それで働き方も変えなくてならなくて」
「どんな女性<かた>ですの?ああ、きっと年上の女の人でしょう?」
「そうよ、主任は若すぎるもの。年上よ、きっと~」
「はい、年上です。素敵なひとです」
「わあ~のろけ~きっと美人なのだわ」
隠し立てするより、ある程度ほんとのこと話しておけば信じてくれるだろうという私の作戦です。私が女装子で相手が男性と知ったら、それこそ大騒動です。
後は私の指が~いえ、オパールが話の中心になって助かったのです。
でも、それも診察時間に入って受付も会計も忙しくなって、私の結婚の話題も沙汰やみです。
そしてお昼休み、受付が暇になり、会計も医療費精算業務が落ち着いてくるとスタップ達の食事交代での休憩です。
主任は最後です。スタップと交代して会計窓口に座るのです。
診察が終わった患者の医療費支払いを受け付けます。
各科の診察を終わった患者さんが、会計の前で行列しているのを、次々処理していきます。顔を見る余裕もありません。お金と領収書、処方箋の手と手のやり取りです。
「あら、穂高さん?」
呼ばれて、反射的に顔上げました。
息呑みました。私が住んでいる正人さんの会社の社宅に住む社員の奥さんです。社宅の出入りするとき、通りすがりに私も会釈する、フロアーで立ち話している奧さん達の一人です。
私をカウンターの向こうから私を見つめているのです。
とんでもないことが起きたのです。どうする?動揺を抑えて固い表情になりました。
声を出すと見破られます。
とっさに胸の名札を持ち上げて見せつけました。
<相原>
黙って差し出されていた札を引いて、領収書と処方箋を差し出しました。
「違っていたのね。男の人だった~」
独り言言って奥さんが背を向けたので、ほっとしました。わきの下が濡れていました。
見破られていたら、もう正人さんと住むことできなくなる。
後になってから私は体の震えがおきて抑えられなくなったのです。
<続く>