60回
「あきさんこれから京都に向かいます。会社の指定旅館で泊まります。折角の京都行ですから、明日、観光です。多分、長歩きは無理かと思うので嵐山の周辺か?せいぜい嵯峨野あたりですか?あきさんどこか行きたいとこありますか?」
車が動き出すと、正人さんはさりげなく私の膝に手を載せて聞きます。
聞かれてもとっさに思い浮かべることできません。それより膝の正人さんの手を意識して<会社の指定旅館>の言葉に反応しているのです。
いよいよ~私は新しいドキドキする体験が待ち構えているかと思うと、落ち着く気分ではないのです。
「あの、あの辺は良く知りません。正人さんにお任せします。そうだ今の季節ですから人が多いかも?簡素なところ。お寺がいいかもしれません」
「お寺なら任してください。人の少ない簡素なところ~僕もそれがいいです。周りに気兼ねなくあきさんとそぞろ歩きしながら話できますから。そうだな~それなら常寂光寺がいいでしょう。秋には小倉山の中復にある紅葉の美しいお寺です。今は季節外れで人も少ないでしょう」
「嵐山には行きますけど、そんなお寺あるのは知りませんでした」
「有名なお寺なのですが、なにせ派手さのない寂びた感じのお寺で、観光客の押し寄せるようなところではないのですが、でもその名前の由来が<常寂光土>の風情があることで知られているのです」
「常寂光土ですか?」
「その意味は<永遠で絶対の浄土>のことで、天台宗や日蓮宗で立てる浄土の一つで、常寂光土が常に体験できるお寺ということです。あきさんと常寂光土を体験したいですネ」
正人さんは笑うのですが、私もホントだと釣られて笑うのです。
「正人さん良くご存じなのですね」
「いえ、これも仕事の内です。門前の小僧経を習うです。外国のお客さんの接待で観光案内するでしょう。希望されるのが京都が多いから自然とお寺回りが増えてくるのですよ。」
「永遠の絶対浄土ですか?何か素敵、ホントはそんな世界有るはずないと思いながら、でも、あってほしい~そんな気もするのです。憧れみたいにね。人間て手の届かないものに憧れるのでしょうか?」
言いながら私は今、手の届かないものと思い込んでいたものに届いている自分の奇跡を実感しているのです。
永遠で絶対の浄土なんていう願いでなくても、私とミカちゃんと正人さん、3人の家庭を持つことができれば私には浄土になるのだから。
「あきさんそんな世界有るはずないと思わないで、常寂寺はその<寂光土>を常に体験できるお寺ですから、二人で<浄土>を体験しましょう」
そういえば正人さんのいう浄土なんて、どんなことを指しているのか?二人で体験する<浄土>てどんなことなの?
考えたとき、はっと気が付いたのです。
途端に体中に血が駆け上って熱くなるのと同時に、疼きのようなものが駆け走るのを感じてぞくりとしたのです。
正人さんは私の太ももに手を当てていて、熱くなった感触を感じ取ったのかも知れません。手が動いて私の肩に手が回ると引き寄せられたのです。
私もそれにこたえて半身を傾けて正人さんの肩にもたれかかります。
がっしりした正人さんの肩に頬をつけると、暑い熱が伝わるのを感じます。正人さんの手が動いて腰に回されて引き寄せられます。
身動きできないほど引き付けられて、正人さんに蜜着するともう会話を忘れています。無言のまま車の揺れを味わうのです。
話す言葉は運転手さんが聞いているのです。
これ以上おしゃべりはしないでおこう~目を閉じたのです。
<浄土>の世界を味合うことにしました。
「あきさん着きましたよ」
耳元でささやかれて体を起こします。
正人さんに手を取られて車から降りると、明るい街灯に照らされて、門構えの立派な料亭と思える構えの建物でした。大きく開いた門の入口に、看板のように大きな表札に店の名前が明るい照明に映えて黒ぐろと書かれています。
車が去るのを見送って、正人さんの腕に手を差し入れて門をくぐりました。
「あきさんここで泊まります。いいですね?」
「はい、お願いします」
いよいよ~期待に胸の鼓動が激しくなって、正人さんにもたれかかって歩きます。
突き当り奥の玄関の戸が開け放たれて、灯が明るく上がり口を照らしています。
そこに通ずる通路は砂利が敷き詰められ、竹笹の植えられた塀が奥行き深く玄関へと続いています。
女将役<モデルのしおりさん>
玄関に足踏み入れたとたん、待っていたように新地のママさん思わせる着物姿の<美形>という言葉がぴったりの綺麗な女性が現れたのです。
私の服と対比したように青の鮮やかな着物です。
「穂高様お待ちしておりました。まあ~きれいなお連れ様ですこと。」
「妻です。よろしくお願いします」
「まあ、こんなお若くて綺麗な奥様迎えられるなんて、穂高様お幸せですこと」
女将さん、正人さんとやり取りしながら、ちらちら笑み浮かべて私を見るのです。
それだけで私は固くなって、「よろしくお願いします」小さい声で頭下げるしかできません。
女将さんの綺麗だけでなく、その色気あふれたありように圧倒されたのです。
女将さんに案内されて、部屋に入って私は思わず声上げていました。
「素敵~この部屋~」
「ありがとうございます。私どもの一番の部屋でございます」
確かに女将さんの言う通りの部屋でした。 入ったところの部屋は洋間になっていて、光る黒塗りのテーブルに椅子が並び、壁際に沿って豪華な応接セットがあり、前には大きなテレビがどんと据え付けられているのです。壁には油絵の洋画がかかっています。
そしてふすま隔てた隣の間は15畳ほどの和室です。
一間半の床の間に掛け軸、生け花があります。
開けはなれた障子を隔てた縁側のガラス戸から見えるのは、部屋の明かりに映えて
竹で編んだ塀に囲まれて、築山があり、そのすそ野の池に灯篭の灯が写りだされています。
そう、日本の庭園の風情が醸し出されているのです。
私には過ぎた宿~その想いで正人さんを見つめます。
「会社が外国のお客さんを迎えたときに、泊まってもらう部屋なのですよ、あきさん」
ねえ、女将と、うなずいてみせる正人さんです。
座卓に急須から湯呑にお茶を注いでいた女将さんは、笑顔でうなずき返します。
「はい、いつもご贔屓<ひいき>にしていただいています」
多分レストランと同じように、外国のお客さんに用意されていてキャンセルになった宿だろうと思います。
それでも私のためにこんな立派な宿を用意してくれた、正人さんの想いが伝わってきて嬉しさがいっぱいなのです。
正人さんが私との一夜を最高の形にしょうとしていることが伝わってくるのです。
<続く>