エレーベーターを出て足踏み出したときです。

 ロビーで立話ししていた奥さん二人が私に振り向いたのです。

 瞬間、奥さん方の表情が変わりました。驚きが現れていぶかしげな表情に変わります。

 「貴女穂高さん?」

 甲高い声の問いに私の足が止まります。

 

 <どう答える?>

 戸惑いが私のなかで渦巻きます。

 一回尋ねただけなのに、もう知られているの?

 「いいえ、違いますけど~」

 「穂高さんの奥様の身内の方でしょう?」

  ねえ~と二人は顔見合わせて頷きあいするのです。

 「違います~」

 「まさか?でも似てられますもの~」

 「他人の空似なのです。」

 「そんな筈ないわね~」

 顔見合わして頷きあう二人の奥さん。

 このままでは奥さん達の噂話のタネにされそうで、慌てて会釈して逃げました。

 

 廊下の奥の部屋の扉のブザーを押しました。正人さんの社宅です。

 待つまもありませんでした。

 開けられた扉のまえに石のたたきにミカちやんが裸足でたっていて、私を見上げていたのです。

 ミカちゃんの大きな黒目がいっそう大きく広げて私を見つめたのです。

 

 「ママ~ママ~ホントのママ~」

 うわごとのようにつぶやくミカちゃん。

 「ミカちやんこんにちは~」

  一体ミカちゃんどうしたというのだろう?いつものミカちゃんでないみたい。思いながら抱き上げました。

 「ぱぱ~ママが帰ってきたよ~」

 私の腕の中で、お叫びのように声張り上げたミカちゃんの表情は喜びの笑みが溢れています。

  「分かっているよ、お姉ちゃんママだろうミカ~」

 リビングから声がして、扉が開きます。正人さんです。

 「あきさんいらっしやい。」

 

 上がり口の板敷に足踏み出した正人さんが、私を見下ろして声かけたものの驚きの表情が凍り付いたのです。

 「まさか?ママ?いやあきさんですよね?」

 念を押すように私に問いかける正人さんに、やった~と内心叫びます。メイクの成果です。鏡の自分の女になった姿に私自身が驚いたぐらいですもの、正人さんが驚くのも無理はありません。

 

「ぱぱ~違うちがう~ママだよ、ママだよ~ママが帰ってきたんだ」

 私にひしと抱き着いて、私の胸で必死に叫ぶミカちゃん。

 あれ?ミカちゃんどうしたというの?様子の違うミカちゃんに不審感じます。そういえば正人さんも部屋に上がれと私に言うこと忘れているみたいです。

 

 「お母さんちょっと来てみて~」リビングに向かって声上げる正人さん。

 「なんですか?私、お客さんのお茶淹れるとこなんだから~」

 「なんでもいいから来てください」

 「どうしたというの正人さん。」

  正人さんとお母さんとのやり取り聞いていて、一体なにごとが起きたというのか?わからないままに、とにかくお母さんが出てこられるのだから~と、抱き着いて離さないミカちゃんを剥がすように腕から降ろします。

 

 乱れた着物の胸の合わせ目を急いで直しました。

 「いらっしやい~正人の母です」

 お母さんの言葉に腰かがめ下げていた頭を上げます。

 「初めまして相原あきです」

 挨拶しながら、正人さんのお母さんてどんな方?少し好奇心の気持ちで見つめます。

 板敷井に立っているけどたたきの私と変わらぬ背丈の小柄なかたです。白髪があるけど皺が少なくて色白で、薄水色のドレスを着た、一目見ても上品な感じがする年配の婦人です。

  でも、顔見合わした途端です~

 「ああ~そんな~」

 悲鳴にもにた声がお母さんの口から洩れたのです。

 

 ええ、お母さん迄~そうです。ミカちゃん、正人さんに続いてのことです。

 さすがに自分でも気が付きました。

 先生のメイクで娘から女になった~色香の漂う女性に変貌した鏡の自分を思い出したのです。これが理由と感んずいたのです。

 

 「驚きました。相原さんでしたね。ごめんなさい。いえね、亡くなった嫁が生き返ったのかと瞬間思い出したのです。」

 「分かっただろうお母さん。ママにそっくりだと、言っていた通りでしょう。でも、あきさん今日のあきさんには驚かされました。初々しい娘さんで妻の若い時に似ていたのが、突然、亡くなったときの妻そっくりになって現れれたのですからね。母が驚くのは無理ではありません」

 「パパ違うよ。ママはホントのママだよ」

 私の腰に縋り付いていたミカちゃんが声上げたものです。

 「そうだね。ホントのママだと、パパもそう思うよ。」

 

 矢張りと思います。亡くなったときでの奥さんに私があまりにも似ていることで、正人さんも、お母さんも驚いたのだと~。

 そういえばロビーで会った奥さん方も<穂高さんの奥さんの妹さん?>と聞かれたけど~。

 「正人さんそんなに私奥様に似ているなんて不思議です。いえ、今日は衣装に合わしてメイクしてもらったので、そのせいかもです。でも、奥様に似ているなんて光栄ですわ」

 「すみません。いくら妻に似ているからと言っても、あきさんはあきさんです。妻と思うのは失礼です。

ミカがいくらママと言っても、ミカがお世話になったあきさんに母がお会いしたいということできていただいたのですから」

 「そうですよ。正人さん失礼ですよ。いつまであきさんをたたきで立ってもらう気なの?あきさんごめんなさいね。どうぞおあがりになって~ミカちゃんママにそんなに引っ付いていないで上がりなさい。もう裸足で降りて、足拭くのですよ」

 

「 お邪魔します」草履をたたきの右隅に揃えてから、私から離れないミカちゃんと手を繋いで正人さんの後に続きます。

 

 「お客さんにはソフアーに案内するところだけど、相原さん窮屈でしょう?キッチンに座って正人さんに紅茶を淹れてもらって、おしゃべりしましょう」

 気さくなお母さんです。私のなかにあった緊張感が一気に解けてきました。

 

 前にミカちゃんと留守番しているので、勝手知ったダイニングです。キッチンの食卓の椅子に座ると、ミカちゃんが子供用の椅子を引っ張ってきて私の横に並んで座るのです。

 嬉々として座ると私に椅子越しにもたれかかってくるのです。

 それは子供がお母さんにするのと同じ仕草のミカちゃんです。

 

 「あれあれミカちゃんたら~お母さんにしていたみたいに、芋虫みたいに引っ付いて~お姉ちゃん迷惑でしょう」

 「おばあちゃん、お姉ちゃんじやないの、ママなんだからね」

 「そうでしたねミカちゃんのママでした」

 「お母さんミカに一本やられましたね。あきさんすみません。ママになって下さい」

 「はいはいミカちゃんママと呼んでもいいよ」

 「そうだよ。ママはミカの本当のママだよ」

 真剣な口調のミカちゃんに紅茶を淹れていた正人さんも、お母さんも笑い声上げます。つられて私も笑いながらふと思うのです。この雰囲気家族団らんそのものと思うのです。一人住まいの私にはもう長い間経験したことのない和やかな雰囲気でした。

 

 紅茶と併せて出されたケーキをフオークで切り取って、ミカちゃんにせがまれるままに互いに食べさせあいしながら、自然と笑みがこぼれて母親になった気分に包まれる私でした。

 「ミカいいね~ママにケーキ食べさして貰って~」

 「そうだよ、ミカのママだもの~」

 ミカちゃんの返事にまた皆なに笑い声上がります。

 

 楽しい気分で一緒に笑いながら、会話を交わしながら、私は<家族てこうゆうことなのだ~>しみじみ思うのです。

 考えてみると勤め休みで家で居るときは、一日家事をしてばたばたしているけれど、一言も言葉を口に出すことがないのです。寂寥感に包まれると私は小声でハミングしたり、唄を歌って自分を慰めるのです。

 

 発展場に行くとは聞こえが悪いのだけど、私の場合は相手を求めていくのでなくて、女装子のフレンドの由美さん、優子さんなど女装子さん達と会話を楽しむのが目的でした。女装してまだ若い私には女装の知識を得る場はここしかなかったのです。

 

 それが家庭を持つ人々と同じように、正人さんの家族の一員のように私は加わっているのです。

 本来なら、この私の座る椅子には正人さんの奥さんが座る筈だったのです。でもその奥さんが亡くなられた今、正人さんの家族は私を<奥さんの代わりと求めているのだろうか?>

 

 そんな想いがこみあげてきて、慌てて私はその想いを打ち消すのです。そんなことありうる筈ないのは分かり切ったことです。いくら女に身をやつし女の想いを持っていようとも、私の性は男でしかないのだから。

 

 「相原さんて呼ぶのはなにか他人行儀ね。私もあきさんと呼ばしてもらいますね」

 お母さんが笑み浮かべて私に告げるのに、私は釣られて自分の想いも忘れて反射的に答えるのです。

 「じや私もおば様のことをお母さんと呼ばしていただきましようか?」

 「いいですよあきさん。これからはお母さんとね~娘の積りで呼んで下さい」

 「お母さん、それではミカが承知しませんよ。あきさんは娘でなくママですからね」

 「ホント~そうでしたね。なにかあきさんうちの嫁になったみたいです」

 「お母さん私はミカちゃんのママで精一杯です。嫁なんてとてもです」

 

 慌ててお母さんの言葉は打ち消しました。

 <お母さんはご存じないのです。私の正体を~>心の内で叫ぶ私です。

 でも、私の言葉に今度は正人さんが反応したのです。

 

<続く>