㉚
静さんと 話している私の背後で戸のきしむ音がして振り返りました。
30歳台?
目のぱっちりした色白のつやつやした顔立ちの女性です。
「あきさん、先生よ」
静さんが耳元でささやきます。
私もすぐ気が付きました。女装さんは綺麗になりたい~その気持ちがあるから、女性と見間違う女装さんが多いので、見分け方は体の大きさ、肩の張り具合などの体型で判断するのです。
でも先生は小柄で、ふっくらとした体付き、なで肩ですからすぐ女性と分かります。
「あきさんね、いらっしやい。由美さんから聞いていますよ。まあ、若くて綺麗でお嬢さんじやないの?どうしてまた、着物は良く似合っているけど、お嬢さんには地味だし、若女将にしてほしいなんて~由美さんが言ううし~」
先生の矢継ぎ早の質問に答えるひまありません。
「あきです。よろしくお願いします」挨拶するのが」精一杯~
「なにか、相手のお母さんとお会いするということを聞いたけど?」
と、後の言葉にまたお見合い?と聞かれるのではないか?はらはらしたけど、先生の言葉がそれだけでほっとします。
「はい、相手さんのお嬢さんのママ役したので、お母さんが~いえ、おばあさんがお礼がてら会いたいと言われて~」
「ええ、貴女がママ役?」
さすがに先生も、静さんも驚いたようです。
「お見合いじやないの?」
静さんが驚いて聞き返します。矢張り同じ質問がきました。でも言い訳する気にもなりません。
「ああ、それで相手のお母さんとお会いするのに、ママ役らしく若いお母さんらしくしたいということですね?確かにあなたは若くてお嬢さんだから、ママ役に見えないから」
頷く先生はさすがに察しが早いのに安心です。
先生は分かってられるのです。女性のカン?ですか、女装子がお見合いで相手方のお母さんと会うなどのことは、まづあり得ないことを~。
「それが偶然のお会いだったのですけど、相手さんの奥さんが事故で亡くなられて、その奥さんに私が似ているのに娘さんが、お母さん恋しいで私に懐かれて、私も可哀そうでお母さん役してあげることになったのです。まあ、相手のご主人も私があまりにも亡くなられた奥さんに似ているものですから、ぜひママ役をと頼まれたこともあるのですけど」
「なるほどね~世の中にはそんなこともあるのですね。いいですよ、お着物は由美さんのを借りてあえて地味にしたのはそのためだったのは分かりました。だからメイクも由美さんの注文に答えて若女将風にしてウイッグも変えましょうね」
先生の気さくな答えに、夜に正人さんのお母さんに会うことの緊張感が薄れるのです。
「それがね先生、あきさんと話していたのだけど、あきさん着物好きだけど着付けが苦手なんですって~その由美さんという方に今日も着せてもらいながら言われたそうなの~
「女性の和服を自分で着付けして着ることが、究極の女装だと~あきさんも自分で着付けできるようにしなさい。」
「言われたそうです。先生はどう思います?」
先生は笑み浮かべながら頷きます。
「そうね~着物の着付けて、これと決められない。人によってそれぞれの流儀があるからね。だからこの着付けが絶対だとその人が思うなら、それでいいのじゃない。人それぞれが違うように千差万別、着付けも違うのだから、あまり難しく考えずにまず着物を着てみることね。
あきさんも今、着ている着物の着付けでいいと思うなら、それで通しなさい。
なにか違和感があると思うなら自分の思うようにしなさい。気楽に着るようにすることが着物を着る秘訣じやない」
なるほど~年季の積んだ人の考えは柔軟だと思います。
私も着たいときに着よう。そしたらいつか着付け自分で着れるようになるかも?あまり自分を追い込むとかえって着付けどころか、着物を着ることから逃げたくなるかも~。
正人さんのお母さんが私の着物姿をどう見るかは考えなくてもいいんだ~。私の流儀の着物姿でいるのだもの?いえ、由美さんの流儀だった?
「じゃ、あきさんメイクしましょうか?2階に上がって~」
先生に促されて、静さんに手振って、急な階段上がって2階に。
ライトに照らされた化粧鏡が2面。メイク室に続いている部屋には衣装つりのハンガーが何列にも並んで
さまざまな女物の衣装が所狭しと奥まで続いています。
「すごいです~この衣装?」
「メンズで来てもあきさんに会う衣装ありますから、メイクしたら女装できるのですよ。お仕事帰りに寄っても女装できますからね。それに貸しロッカーがあるからご自分の女装衣装も置いておけるのですよ」
「私、仕事からいったん家に帰ってから行くしかないのです。でもここなら帰らずに寄れます」
まさか、発展場で女装しているなんて言えないけれど、先生は先刻承知かも?思いながら私は女装の居場所をここにすると内心決めていました。
由美さんや優子さんと離れることになるけど、ときどき行けばいいのだから~と自分に言い聞かせます。
それに私は静さんの着物姿にあこがれている自分の想いからも、このスタジオを自分の根城にしたいと思い出していました。
「あきさんメイクするからすゎって」
先生に言われて鏡の前に座ります。鏡に映る顔はまだ娘の表情です。なぜミカちゃんは私をママなんて呼ぶのか?不思議な気がします。それに正人さんから見れば対<つい>の女とは到底思えないような気がします。
「あきさん可愛いね」鏡の中で先生が笑顔でいいます。
「本当ならあきさんは私のメイクは必要ないのだけどね。艶のある綺麗な肌で男性とは思えないもの」
「でも先生、これでは私、ママにはなれませんもの。小間使いです」
「あはは~そうかもね、私のメイクは歳より若く見せるメイクなのに、あきさんに限って老けて見せなければいけないなんて~なにか矛盾。いえ、心配なく、あきさんをおばあさんにする気はないからね。落ち着きのある年頃の女性にしますから」
「嬉しい^お願いします」
鏡の先生に笑顔で返します。
話しながらも先生の手は滑らかに動きます。
私のメイクを拭き取り、ローション、それに化粧下地が塗られるなんて~そして濃いめのフアンデーション~パウダーと、メイクがすすんで、目元の筆使いはまるで絵を描く筆使いで先生の顔が近づいて丁寧に描かれるのです。少し濃い赤の口紅が塗られ~そして私のウイッグが被せられた上に形の良いウイッグが被せられます。
ええ~鏡に映るその顔は私が初めて見ることのできたおんなの顔でした。娘顔でなく落ち着きのある女性の笑顔が鏡のなかにありました。
「先生~私、女になりました」
歓声のように私は声上げて、後ろ振り返って先生に告げます。
「これならその男さんもあきさんを子供のお母さんと思うでしょうね」
先生の笑顔での返事に深い意味があるとはそのときは気づきませんでした。
それより私はルンルン気分だったのです。
女装しても娘スタイルしかなれない私が、紗の着物着て落ち着きある女になったのだから、言うことなしです。私の望みが実現したのです。
<これからは、この先生のメイクでの女装することに決めよう~>鏡の女に頷いたのです。
私は正人さんの住む社宅のあるビルの○○商事の金文字の打たれた戸を押し開けました。
人気のない廊下が長く伸びています。静まり返って、まるで人の気配がないのは日曜日で会社が休みなのです。
人に会うこともないのに私は緊張のあまり、エレベーターのボタンを押し間違えるのです。
正人さんのお母さんに会うのに矢張り不安感が私の内で渦巻くのでした。
<続く>