暑いですね~外に出る気も無くなって、家で閉じこもって家事に追われながら女装プログを書こうと思うのですが、

体がだらけて書く気も失せてしまいます。

 7月は1章しか書くことできませんでした。

 

 女装のことはまだまだ書きたいことあるのですが、書くことが出来ないのです。

 いえ、筆が進まないということではないのです。

 

 女装さん達のブライバシー、社会の視線を気にしてひっそりと女装に身を包んでいる姿をみると、それを暴露するようなこと書けないのです。

 私の書いたものを女装さん達が読んでも抵抗を感じない書き方をするよう、心掛けているのですが、女装さんのことをもっと知ってもらいたい、理解してもらいたい。その私の気持ちからすると限界を感じてしまいます。

 

 それで最近では自分の女装歴を粉飾もしているけど書くようになったのです。

 すると、これもまた女装さんの意見では、私が自分の女装の公表できるのは90歳の高齢だからだと言われるのです。

 

 「とくみさんのようなあり方は私達には通用しないのよ。家族だって分かってくれないし、たとい理解しようとする思いがあっても、世間の目を気にして認めようとしない。」

 「妻帯者でも奥さんに隠れて女装する人が多いのよ」

 「独身のひとでも会社にばれたら左遷の憂き目にあったり、職場で陰口の標的になるのだから~」

 

 「性の多様性を認めよう」自治体のポスターなどで啓蒙活動はされているけど、まだまだ理解されるところにはなっていないのです。

 そう、私はこれを差別とか偏見と決めつけるのではなく、理解をする情報活動の不足と思いたいのです。

 

 特に会社組織では別世界というか?女装への理解は否定されているのでは?思いたくなるのです。

 なぜかというと、現役の女装さん達は仕事のなかでは先進的な役割で評価されているのに、女装していることを知られることをすごく恐れて、ひた隠しにしている女装さんが圧倒的なのです。

 

 女装していることを知られることは職場での評価が不利になる~

 そんな思いに憑りつかれているのでは?

 そんなこと思うと私も女装さんの姿を書く筆が鈍るのです。

 

 なにか他人事みたいなこと言って~

 私も女装家なのですけどね~( ´艸`)

 

 はい、私の場合は女装を威張って公開している変わり種なんです。

 女装することがなぜ悪いの!開き直りですか?90歳になっても綺麗でいる私を見てみて~

 

 なんてね~嬉しがりみたいだけど、本来女装さんの想いは<女になりたい><綺麗になった自分を見てほしい>

そんな気持ちがあるのです。でも一方では先にのべたように知られたくない想いも介在する矛盾のなかで揺れ動いているのだとおもいます。

 

 だからおこがましいけど、私の女装は<美しくなりたい>というこから始まったけど、女装さん方と接するなかで、女装を理解して~その訴えをすることが私に課せられた社会的役割だと自覚するようになったのです。

 多くの女装さん方が、女装の道を歩むことで人には言えない犠牲を払っていること知るにつれ、私は自分の女装の在り方を考えるようになった~

 

 と、まあ聞こえのいいこと言っていると思われるかもしれないけど、91歳のいつお迎えが来るかもしれない私でも、人様の役に立つことが出来ている~そう思うことが自分の元気の源だと信じることにしているのです。

 

 これまでの経験で言うと、初めてお会いする人々が91歳の女装の私を見て発する言葉~共通しているのです。

 「うそ1]これは女性。「信じられん」これは男性の方。

 ところが最近変わってきました。「凄すぎ~」と、一様に言われます。

 

 <TIKTOK> の<とくみチャンネル>でも同じ言葉がコメントで頂くようになりました。

 自慢に聞こえるかも知れませんが、私の周辺、まづ姉達はもとより妻は一番先に女装公開しましたが、娘や孫と姪など家族関係すべてに女装公開しています。

 

 今住んでいるマンションでも言葉を交わす人達は公開です。

 家に来るケアマネさん、ヘルパーさんもフアンです。

 

 とにかく女装さん達がしたくてもできないことを私がしているという、自負があるのです。

 いえ、私の91歳の年齢が接する人をして抵抗なく女装を受け止めているのだと、理解しているのですけどね。

 

 娘は初めは抵抗があったようです。自分の仕事関係から父親が女装家と知られたくないということからでしょうか?でも、周辺の人達が私の女装を受け入れるのに影響されたのでしょうね。ほぐれてきたのです。

 

 先週など、私がマスクの洗濯して干してあるのを取り入れていると~

 「お父さんマスクに口紅ついてるでしょう。使い捨てだから捨てなさいよ。私があげるから」

 

 言ったものです。あくる日私がスタジオから帰ったらテーブルの上に2種類のマスクの束がおいてあるのです。

  <マスクを置いておきます。桃色の色のついたのは女装したときにつけてください。安いから使い捨てにしてね>

 

 そんなメモがつけられてです。

 思わず笑ってしまいました。娘も感化されたみたい。嬉しくなったものです。

 

 そうそう病院に行った時も内科の年配の先生の診察受けたときも、肝っ玉お母さんのような先生が、「写真見たよ~」だって~

 驚きました。この調子では病院中の職員が知っているのかも?

 

 思ったものです。

 そう、私の女装の役割はこれだ!再認識です。

 

 コロナはますます猖獗するばかり~今も妻と面会することも叶わずとも、私の女装活動は続けます。

 しかし「妻と女装を愛す」ここで打ち切ります。

 

 女装のことを別の形で書こうと思います。

 小説というのはおこがましいので、女装物語です。

 私という一人称で書く「ママになった女装子」で次の章から書こうと思います。

 

 まあ歳ですからね。いつお迎えが来るかも?でもくたばらないように~>最後まで書けたらとおもいます。

 「ママになった女装子」読んでみて下さいね。  とくみ