写真・(生配信です。2022・5・7 スタジオ)

 

<73章・91歳売り出し中~>

 

 7日<TIKTOK  とくみチャンネル>で生配信しました。

 

 初めてのことですから、カメラが中断したりして、ハプニング連続でしたが、でも見て頂いてくれる方と交信しながらの放映ですごくもの新しく感じました。

 

 「91歳なんて到底思えない」

 「綺麗や~」

 次々声かかってすっかり調子に乗って笑いどうしで、緊張どころかすっかりリラックスしての放映でした。

 

 まあ、素人の第1作ですからね。いい内容とは思えるような自信はありませんけどね。でもやり遂げた~その思いに包まれたものです。

 

 厚かましいけど、91歳いよいよ売り出し始めた~ワクワクなのです。

 皆さんからの賛辞、応援に、もう90過ぎた歳忘れて張り切りの気分です。

 

 今日のフォロワー594,いいね 1979~ このベースでいくとフォロワー1,000夢でなくなりました。多分、91歳にして女装~生放送~なんてのはまだ例がない筈です。

 

 歳とっても好奇心持ち続ける私ですが、人生最大の挑戦に胸膨らむばかりです。

 それがね~

 

 先日、姪からメールが来ました。

 私のウ”アンパイヤーの写真見て<アンビリバボー!! あり得ない91歳です>て~

身内からこんな感嘆の声が寄せられたら、元気もりもり~自信がつくのです。

 

 娘は最近私の女装になんにも言わなくなりましたし、私の女装衣装の、ショーツやブラも含めて洗濯したり、取り入れたりするようになりました。

 

 でもやはり父親の女装に抵抗があるみたいです。世間に知れたら~恥ずかしい?いえ、みっともない~なんて思っているのかも?

 

 ところが助け舟です。毎月私の介護確認にこられるケアマネさん、娘と二人で応接するのですが、私の日程確認のなかで、私のスタジオ確認して突然言われたのです。

 

 「TIKTOK  とくみ さん見ていますよ。私の職場のひともフアンです。応援してますからね」

 考えたら、私のペンネーム、愛称の<とくみ>は私の妻の名前なのです。そしてケアマネさんは妻が家での介護を受けているときの受け持ちですから、ピンときますわね~。

 

 でも突然の思いも寄らぬ人からの応援にもう大感激^調子に乗った私書斎から写真集持ち出して見てもらったものです。

 「綺麗~87歳でだしたのですか ?」

 「はい、アマゾンで発売しました」

 「いつから女装するようになったの?」

 「本格的にはその女装写真集出すために写真撮ってもらうころからですね」

 「どんな動機から写真集出す話になったの?」

 

 まあ、次々質問が繰りだされるのです。そのやり取りに、隣に座る娘は言葉も出ないみたい。

 面接の仕事そっちのけで、私の女装話に夢中になっているようなケアマネさんが気がかりだったのですが~

 そこでふと気が付いたのです。

 

 ケアマネさん、娘に私の女装を理解してあげて~と私の女装のバックアップしてくれているのだと~。

高齢者の家庭訪問するなかで、家族の高齢者の接し方として高齢者の気持ちを理解することが大事だと知らされているのでしよう。

 

 だから私の場合も、91歳にして常識では考えられぬ破天荒なことをやっている私に、娘が世間体を気にするまえにお父さんの気持ちを理解してあげなさい。あんにそれを伝えてくれているのだと~私は悟ったのです。

 

 やはりね~ケアマネさんはこうでなくてはね~

 私の理解を伝えるために、後で私の写真集を資料として生かしてください~と贈呈しました。

 

 すると「職場の同僚みんなと見さしてもらいました」と、返事がありました。

 

 嬉しいことです。私が女装を生き甲斐にして元気に生きる糧<かて>にしている例として、ケアマネの業務に生かそうとされているのだと理解しての私の喜びでした。

 

 生配信でも司会役の女将さんも、私もそのことを話しました。

 「お年寄りだと、周囲が介護や世話をすることも必要だけど、お年寄りが内心持っている想いをくみ取ってあげることが必要ではありませんか?」

 

 そうなのです。高齢になって何をする気力もなくなって、助けを求めている。そんなイメージを私達は高齢者を見る目がなりがちです。

 高齢者は口に出せなくても、体が不自由でも、生き甲斐を持って元気でありたい~そんな想いがあるのです。

 

 なにか自分が高齢者でないような言い方になるけど、体の不自由の手助けだけでなく、生き甲斐を~元気な年寄でありたい~その高齢者の想いを理解してあげること~生き甲斐を引き出す応援をしてあげることが周囲の者には必要じやないか?

 

 と、分かったようなこと私は言っているけど、でも私自身の想いはと言えば、病院での長い寝たきりの身動きもできずに伏している妻のことです。

 コロナのために昨年10分だけ距離おいて面会して以来、いまだに顔見ることもできません。

 

 妻に会いたい。話しかけて私を思い出して欲しい~元気を与えたい~

 死にたいほどの長い寝たきりのままでいる妻の苦しさを察することできても、なにをしてあげることもできない私~自分の非力さに愛想が尽きる思いです。

 

 私もまた高齢者として、妻に会うことが私の生き甲斐のひとつになって、助けを求めずにおれないのです。

<オワリ>