<写真・2021年6月スタジオ前で>

 ㊹ 90歳の健康法

 

 それが団地の中歩いていたら、介護職員に付き添われて男性の高齢者の方が歩行器にすがってよたよた歩いてられるのにすれ違ったのです。

 

 うつむいて歩いていたその方が、つと顔上げて私を見上げて悲しそうな眼差しで見られるのです。

 

 それに思うわず声かけてあげたくなったのです。

 <私も脚の関節の骨折で貴方と同じようになっていたのですよ。でもリハリビ頑張ってこんなに、歩けるようになったのです。諦めずに頑張ってください>

 

 でも、言う間もなしにすれ違ってしまいました。

 

 腰の関節の骨折では、手術室で潜水服のような手術服着た二人の整形と外科のお医者さんが、私の右の腰の関節下半分を電動ノコで切り取ったのです。

 

 ブーンという音がして、骨の焦げる匂いがしていました。

 

 人工関節がはめられ、槌の音がして、右足の骨の中に芯棒のようにパイプが埋め込まれたのです。

 

 80台になっての大手術です。

 妻を始め娘たちも、寝たきりになると覚悟していたといいます。

 

 だが私はそれで人生終わる気になりませんでした。

 女装開眼したばかりです。

  

 これから女装を本格的にやる気になったばかりなのです。

 その決意が体の不具合を乗り越えるきっかけになったのです。

 

 手術のあくる日から、下半身で動くのは足首だけでした。その足首を寝たきりの中で動かし続けてリハリビ始めたのです。

 

 正常な右脚が動かせるようになると、寝たままで脚の上げ下げの運動続け、人工関節の脚もベットのなかで動かす訓練しました。

 

 車椅子に移されると病室を一周するのを日課にしました。それもつかの間、歩行車を押して歩くようになると、すぐ杖ついて歩けるようになり、病室からリハ病棟に移されました。

 

 そこで自力で歩ける訓練を続けて、退院に漕ぎ着けたのです。

  それがね〜私をそこまで頑張らした背景があるのです。

 

 妻なのです。

 長期の入院なのに1日も欠かさず私の介護に通ってくれたのです。

 

 リハ病棟では食事は大きなテーブルで患者が一緒に食べるのです。でも偏食の私は病院食食べられないことが多い私のために、妻は手作りの食事持参で病院に来て、他の患者さんのテーブルから離れて私と一緒に昼食とる日課でした。

 

 当時の私はそれが当たり前のように思っていました。

 妻が長期の入院生活送るようになった、今になって思うのは妻のありがたみです。自分が亭主関白だったと〜。

 

 亭主の女装に気がついても、なんの疑問や咎めだてすることもせず受け入れていた妻〜

 大抵の女装さん達が、自分の女装を家族にも打ち明けられず、ただひた隠しするしかない立場に追いやられていること思うと、私は幸せと思うのです。

 

 今では娘2人、孫4人 ああ婿さん2人いました。それに私の姉〜100歳と95歳の姉、その子共たち姪4人に甥1人と〜すべて私の女装知っているのです。

 

 妻や娘たちは私の女装を理解しているとはいえないけれど、寛容の気持ちで接してくれていると思うのです。

 

 まあ、90歳で後少ないのだから、したいことさせてやったら〜位かも知れませんね<😁>

 

 妻は?寛容というより、ただ、私のすることに異義、苦情言ったことないのです。ただ私のすることを認めて従う?そんなタイプで、まさに現代では見ることのできない昔風の女性ですから〜

 

 実際のところ妻は、女装のことまるで理解できない異質のものとしか思えなかったのではないか?私は思うときがあります。

 

 多くの女装さんが人生の明暗分ける覚悟で、女装に挑戦している姿に私は凄い〜

感動します。

 

 それに知られることのない秘密は、もとのメンズ〜男性に戻ったときの女装さんの姿です。

 

 私はメイク室で女装さんの素顔を見ることはできます。でも、社会生活にどんな役割果たしてられるか?それはブライバシーになるので触れない〜それが暗黙の不文律ですから尋ねることできませんが〜

 

 でも話していると、凄い方が軒並みです。私にはわかるのです。

 

 だから女装するとは、たんに趣味の範囲のことではないとおもいます。私には今の時代を知る勉強でもあるのです。

 

 そして何よりも他の女装さんたちが真似できないものを私は持っているのです。あまり褒めたものでもないけどね。

 

 90歳にして女装しているということです。私の先生やフレンドさんに言わせると<日本一>だって〜ホントでしょうか?世間広いですからね。

 

 でもせっかくですから、その栄誉を守るために90歳の女装頑張らなければ〜と

そういえば10月になれば91歳です。

 

 その気持が私の若さと元気守る気持ちに通じるとおもうのです。合わせて私はすごく好奇心が強いのです。

 

 90代の今でも好奇心にかられて、未知のものに当たると知りたい欲求に駆られるのです。ひょっとすると、女装に魅せられたのも出発は好奇心からかもです。

 

 それと私も病気持ちだけども、健康つくりに努力しているのですよ。

 

 まず、90歳だからといって、認知機能落とさないためにこうして文章をパソコンで書いるのです。

 

 それから姿勢です。先にも書きましたが、腰を曲げない訓練を早くから私はしていました。方法は簡単です。

 

 椅子の背もたれにもたれないこと〜車や電車でも私は持たれないように、姿勢をまっすぐにして座るように意識することを心がけています。

 

 厚かましく文章と合わせて、写真のファッションショーしていますが、現在でも背筋が真っ直ぐなのをお気づきと思います。

 

 まあ、本音のところ女装して腰が曲がっていたらカッコつかないからですけどね。

 

 三点目〜歩くことです。常に足を鍛える習慣をつけることです。六〇代に入った頃私は田舎に引っ込んで山の中の団地で暮らしていました。

 

 そこで気がついたのは田舎の山間の土地ほど車社会なのです。歩いて行ける距離にスーパーがあるのに車に乗って行かれるのです。

 

 だから私は家に車庫はあるけど、車は買いませんでした。自転車にも乗りません。

遠距離はバスだけど、常に歩いていました。

 

 60代の私の半分の年の記者さんが、取材で山道を私について歩いて来たこともあるけど、ついてこれないのです。

 

 90代の今でもスーパの買い物でも歩き、今は暑いので日が暮れてから公園を一周〜2キロほど歩くのを日課にしています。

 

 そして私の決め手は、筋トレです。

 今は週、2回介護施設の筋トレに通っているのです。

 

 介護施設の筋トレだと甘く見てはいけません。

 本気で指導員について行くと凄い負荷がかかります。

 

 若い人でも運動していない方には、堪えるようなメニューなのです。

 

 メニュー紹介します。

 はじめにラジオ体操です。これで体がほぐれます。

 

 その後指導員の簡単な椅子に座って上半身の運動です。

 参加しているのは介護を必要とする高齢者や障害者の人たちです。当然健常者のような動きはできませんから、指導員の動きに自分でできる範囲で運動するのです。

 

 まあ、私などはおかげさまで指導員の動きについていける方です。

 そしていよいよ機械を使ってのトレーニングです。

 

 <デジタルミラー>背丈ほどの黒鏡の前で<下肢の運動・上肢の運動・バランス練習>などを鏡に映るデータを見ながら、種目を決めて運動するのです。

 

 私は主に<下肢の運動>足踏みすると5分間に何歩足踏みしたか?が数字ででるのです。私は500歩を目標にしています。

 

 高齢になると足が上がらなくなって、畳のヘリや絨毯の縁につまずくものです。

このミラーはそれを防ぐための訓練です。

 

 これを始めるまで私は駅の階段は手すりを掴んで上がっていたのですが、今では手すりなしに階段登っているのですよ。

 

 

固定式自転車>で太もも中心に鍛え、ローイングで肩甲帯のトレーニング、<レッグプレス>下肢のトレーニング。<トーソフレクション>体幹のトレーニング、ワッカを腕に抱えて腰を折り曲げるトレーニングです。

 

 これだけやると汗かくほどのェネールギー消耗します。

 

 そしてまた指導員の立ち上がり体操など、食事するときの体の動かし方のトレーニングをして、体のマッサージや、全員で認知症予防や反射神経訓練の遊びなどなどあいだにお茶飲んで休憩しながら12時過ぎまでみっちりするのです。

 

 始めたとき高齢者にこんなシゴキのようなトレーニングしていいの?

 思いました。

 

 でも、帰り道歩くと、すごく体が軽いのです。

 何年も続けて、高齢者でもトレーニングすれば体を鍛えることできるのだわかりました。

 

 私、女装さん方に言うのです。

 <私のように90歳でも元気に女装したかったら、背筋伸ばして、足腰鍛えてね>

言うのですよ。

 

 私、昨日は女装して先生〜女将さんとユニクロに買い物しました。

そのとき私はスニーカーでなくパンプス履いていたのですよ。90歳にしてカガトの高い〜パンプスをね。胸そらしてさっそうと〜ホント?

 

<着物着るには背筋伸ばして>

<この項終わり>