<写真・令和3年2月カラオケスナックで>

㉚ 妻との想いで~

 コロナの蔓延であちこちで悲鳴があがって本当に辛いことです。

 私もその一人なのです。コロナのために年越えてもまだ妻と会えないでいます。

 もう5カ月が来ます。そしてまた追い打ちです。妻が入院したのです。それでも会えないでいます。病院に行った娘も医者から容態説明聞いただけで帰ってきました。

「お父さん病院行ってもいくら個室だだからと言っても面会拒否で会えないよ」因果含められました。なんとか会えないものか?そればかり考えてしまいます。

 マンションの一人暮らしの主婦<夫?>暮らしです。夜寝ていると、ときたま音がします。するとはっとして目が覚め<お母さん?>と寝室を見まわしてしまいます。

 <コロナ早く無くなれ!>叫びたくなります。

 家の中に閉じこもっているだけでは認知症にでもなったら~と思い出に残る妻とのことを書いて自分を慰めようと~。

 

 思うのは、昨日、私達~娘二人と私の三人で、救急車で搬送される妻に私が同乗して、娘たちは車で後を追って~病院に行ったのです。

 看護詰所の横の病室~二人部屋に救急隊員に運ばれベッドに寝かされた妻の後に続いて病室に入ろうとした私は看護師に止められました。

「コロナの関係で入らないでください」

 そうだった~踏みとどまった私は病室の前の廊下を隔てた詰所の横で、ベッドの妻を見守り見つめ続けます。首を少しはすかいに向けているので妻の顔が良くわかります。

 でも妻は救急車で横に座って私が手を握っているときと同じで、無表情な顔付です。でもさして苦し気ではないので安心しました。

 しかし私が廊下を隔てた距離からだけど、じっと見つめているとあらぬ彼方を見ていた視線が私に焦点があうと~じっと私を見つめるのです。

 <私に気が付いたのか>嬉しくなって手を振り笑顔を返して見せます。だが妻の反応はなにかいぶかし気な表情なのです。躍起となって手を振るけど答える様子がうかがえないのです。

 「お父さん先生の説明があるよ」娘に声掛けられて仕方なくその場を離れました。

 病室の横の待合室の窓際の長椅子に三人が座って、先生が立って説明してくれます。

 若い先生で丁寧に説明してくれるのが伺えます。娘とやり取りするのを横で聞いている私ですが、難聴で障害手帳を持っている私には、マスク越しの声は途切れ途切れにしか聞き取れないのです。でも妻の容態が一進一退いずれ寿命が尽きるというのは感じ取れました。

 さすがに娘が先生に問いかける言葉も聞く気が失せました。

 先生に会釈してまた病室の前の廊下に戻って、ベットの妻を見つめ続けます。すると突然妻が半身を持ち上げようとするではありませんか?

 手も足も動かせない妻が頭だけでなく胸を持ち上げ、起きようとしたのです。慌てて私は妻がベットから落ちる!恐怖感に襲われ手を下におろす仕草の合図を繰り返したものです。

 でもそれは杞憂でした。妻がぐったりと力尽きたように頭を枕にもどしたからです。

 私は妻のその動作に思いついたのです。

 妻から私が横から見える姿勢に体を変えました。胸をそらし少しのスキのないように背をそらします。脚を高く上げ手を大きく振って歩く姿勢で足踏みします。そんな私をじっと視線を向けて見つめる妻~

 先日ヘルパーさんに聞いたのです。

 「奥さんがまだ家のベットでおられるときです。ご主人のどこが気にいって結婚したのですか?と聞いたら、ご主人の背が高いことと、さっさと歩く姿が良かったからだと答えられたのですよ」

 へえ~そんなこと私に言わなかったのに~思いながら、今、それを再現して妻に思い出してもらおうと思った私の動作でした。

 私は妻を見つめ、頷いて見せながら、歩く動作~脚を上げ手を大きく振ります。廊下を通る看護師さんが、そんな私を怪訝な顔をして見ながら通り過ぎて行きますが、私は気にもとめず、ただ胸をそらして歩く姿を妻に見てもらおうと~。脚を上げ、手を振り続けます。

 

 

 私は妻との二人だけの生活のころを思い出します。

  それは2016年頃の話です。

 私は気づかないでいたけど、もうそのころから妻の病の始まりだったのでは?今になって思うのです。妻の里近くに家を建て娘達や孫達の手も離れて、夫婦が老後の楽しみの暮らしが始まるころです。

 その頃から私は家事に携わること経験したのです。その主婦<夫?>経験から私は妻が大変な苦労して私を助け、家の生活を支えてきたことを知って、ホント遅まきだったと今になって後悔して思うのです。 

 とにかく家庭の主婦て家事にこんなに労力のいるものなのか?実感したものです。私の妻に対する尊敬の念を持ったのもその頃です。女装の虜になりながら妻のこと分かっていなかったと思ってしまいます。

 主婦の大変さは妻に限らないと思いますが、私の妻の場合は特別だと思います。裁縫が得手でしたから縫製のパートに行き娘二人の子育ても妻の役割になっていました。

 長女は高校になると小遣い欲しさにバイトに行くと、妻は夜、娘の仕事が終わる時間になると、バイト先に迎えに行って、表で待っているのです。

「ママたら嫌ややわ~お店の人にママが来てるよ~早よ帰り~いつも冷やかされるのよ」

 高校生の娘が良くぼやいていました。

 それだけではありません。人との接触の多い私の仕事の手助けまでしたのです。当時私は家でも妻が座り込んでいるのを見たことありません。食事の時でも立ったり座ったりなのです。

 外で女同士のおしゃべりの場でも、妻がこっくり~居眠りするのは有名になっていました。家のことは自分の責任分野と妻は思っていましたから,寝る時間も惜しんで動いていたのです。

 そして年月が経ち娘たちが成人し結婚して私達夫婦の傍から離れたのを機会に、妻の里近くに家を持ったものの、私の母の介護、赤ん坊の孫たちの育てをしたり~

 老後の気楽な暮らしどころか、相変わることなく妻の忙しが転居してからも10年も続いたものです。私も2つの会社の仕事で忙しく~夫婦ともすべてを解放されて落ち着いた暮らしになったのは冒頭で述べた頃だったのです。

 話はここから始まります。

 5月頃です。もう二人だけの落ち着いた生活です。家事のことも夫婦で分け合ってしていました。食事を作るのも私が手伝うことも当たり前になっていました。

 そしてその日です。私は仕事の口実作って大阪から帰ったときです。いえ、ホントは女装しに行っていたのですが~

 大急ぎで留守番の妻のこと気にしながら帰ったものの、もう夜、8時前でした。外で食事できたけど妻が夕食の用意していたら~ 

 思いながら帰ってきたのに、テーブルには茶碗どころか、コップ一つ置いてない~台所に用意してあるのか?思いながらのぞいたら鍋一つガスコンロにかかっていないのです。

 妻は~テーブルを前にして椅子に座って私に視線も向けることもなくテレビ見ていているのです。

「お母さん食事はどうしたの?」食べてしまったのか?思いながら聞くと~

「作ってないよ」て~?

「作ってないて?お母さんあんた晩ご飯食べたの?」

「食べてない~お腹減ってないもの」

「お腹減ってないて~私、晩御飯食べずに帰ってきたんだよ」

「それなら自分で作ったら~」

「作ったら~て」

 おこるより心配が私を襲いました。こんなこと言う妻ではありません。どんなに忙しくても、私の帰りが遅くてもテーブルには私の茶碗が伏せられ、おかずに汁物などのなべがあって温めて食べられるように用意されているのが常だったからです。

 今でも忘れられないのは、親子4人で家出したときの私達です。ホント裸一貫?で二間の文化住宅のつつましい生活で、妻は安い私の月給を切り詰め、切り詰め生活していたころです。それでも帰ってきた私を迎える食膳には、当時としては高いカレイの焼き魚が私だけにあったのです。

 そんな妻が?不思議さに包まれながら~はっと思いました。<ばれた!>そうです。大阪へ仕事と言っては女装していたことを知られたと思ったのです。その報復がこれなのか?引け目感じる私です。

 そっと妻を伺いました。でもおかしい?別に怒った表情もなくテレビ見て知らん顔~私を見もしません。

 とにかくいつもは二人で食事支度するのだけど、まあ、女装して大いに楽しんできた引け目もあって、そのまま台所に立ちました。

 冷凍庫かき回すとぶりの冷凍を見つけ、野菜室からは大根があったので<ぶり大根>にすることにしました。大根は炊く前に電子レンジにかけて7分ほどチンすると柔らくなります。

 ぶりはいきなりだしの中に入れると生臭くなると思って、銀紙に包んでガスレンジに入れて強火にします。ポットから鍋にお湯入れてガスコンロにかけ、贅沢だけど花かつおを入れてだしを

取り、味りんと醤油を少し濃いめにいれて~だし、大根、ぶり~三つの作業を同時にすると早いのです。

 さらにほうれん草があったので洗って根を切ってから、湯がくと栄養分が流れでるので、大根と交代してこれもチンしてオシタシにします。

 二〇分も足らずで<ぶり大根>と<ほうれん草のおしたし>の出来上がりです。

 だしの味加減みながら思いました。私の味付けはカンだけです。それでも思ったような味付けができるのです。妻と一緒に料理するようになってから,私は自分に料理の才能があるのに気が付いたのですが、じつは初めの章で書いていますように、京都の料亭の板前頭をしていた父の血を私は引いているように思うのです。

 幸い夕べ炊いたご飯が冷蔵庫にあったので、それを温めてテーブルに出来上がったものを並べに行くと、テーブルには私と妻のお茶碗と箸が並んでいて、妻がそれを前にしてテーブルに向かって椅子にすわっているのです。

 「あれ~お母さんお腹空いていないのではなかったの?」

 少し皮肉ぽっく私が言うと~

 「私、まだ晩御飯食べずにパパ帰ってくるのを待っていたのですからね」

 膨れ面して言い返されて~あれ?なにかおかしいな?思いながらも「はいはい~分かりましたよ」軽く答えるだけで私は妻のお茶碗に温めたご飯をよそってやったのです。

 多分、これが妻の病気の始まりだったのでは?

 私は今にして思うのです。  <続く>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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