(写真・2020年11月)満90歳
㉗ 私と着物
私が着物姿を本格的に始めたのは2015年11月からです。同時にこの時から着物と京都は私の中で同時のものになったのです。
5年前のことです。着物を着たい~私の渇望が実現したのです。
最初は着物より<舞妓さんしたい~>それが私の長年の夢、願いでした。それでパソコンをたどって検索して嵐山で<舞妓さん体験スタジオ写真撮影>のお店が何軒かあることを知ったのです。
それだけではありません。その中の1軒のお店では<男性舞妓体験>もあるではありませんか。やってみたい~衝動に襲われたものです。でもね~考えてみたらそのとき私85歳なのです。舞妓さんのイメージといえば20歳前後でしょう。85歳で舞妓なんて、これはもうお化けですもの~思い直して~でも未練が残ります。
そこで着物に目が行った私なのですが、そのきっかえは年配の私のフレンドさん。年配と言っても私よりず~と若いのですが、彼女にも私年齢のこと言っていないから、彼女?自分が歳上だと思っているみたい?
写真など一緒に写しているのだけど、私のほうが若く見えていたみたいなのです。このフレンドさん大の着物派なのです。女装はまず着物。彼女が洋服着ているのを見ることはまずありません。当然、着付けも自分でするぐらいです。
女装さんの着物派はお店に立っている人をのぞくと実は非常に少ないのです。着物派は洋服に比べて衣装代が高くつくということもあると思いますが、矢張、着付けなのです。これが敬遠される一番の理由だと思うのです。女装さんの着物着ている姿の色鮮やか~何よりも女性のイメージを焼き付けます。それだけに着物を着たい願望はあるのですが、でも着付けをプロの人か、着付けのできるフレンドさんに頼むしかないのが着物を敬遠することになるのでは?と思ってしまいます。私もそれがあるので願望で終わっていたのです。
それにもう一つ難問があります。着物派のフレンドさんに頼むとしても、自分の着物は着ることできても、人の着物の着付けはそう簡単なものではないのです。
帯を締めたつもりでも緩んでくるとか、逆に締め付けが強くて苦しくて着ていられないとか、人の着付けて難しいものです。
私も経験ありますが、京都行では必ず着物を着る私ですが、私の場合メイクの先生にお願いしているのですが、長時間着物姿でいるのですから帯や帯紐は当然強く締めないと歩いているときに帯が緩んだりして大変です。
見た目着物を着ることは憧れなのですが、代償は高いのです。細身の体の私は特にこたえるのです。せっかく京都の料理屋の料理を食べに行っても、お腹いっぱいなんて料理食べることできないのです。
帰ってきて帯紐1本ほどいたら、とたんにお腹がからっぽお腹が空いてくるのです。着物て帯紐をたくさん使いますが、着物や帯に目奪われがちですが、帯紐の役割て着物には大きい役割果たしているのだと気が付いたものです。
そういうことで最近は京都行で着物着るときは、緩めに帯を締めてもらいます。その代わり着物派のフレンさんか、メイクの先生が常に私の後ろを歩いて帯とか、襟足のゆるみがないか?見てられるのです。
なにか女優さんになった気分です。でもホントをいえば、90歳のお年寄りですからね、常に目離せないのでしょうね( ´艸`)。
で、初めに戻って<着物初めの話ですが>
とにかく舞妓さんはダメでも、せめて着物を着たい~メイク室で口走る私に見かねたのか、着物派のフレンドさんが<着物着せてあげる>言ってくれたのです。
でも着物なんて家にあるのは妻の着物だけです。それを拝借なんて無理~妻は私の肩までの背丈です。私に合うはずはありません。
結局、フレンドさんに着物下着から帯、着物、小物に至るまでそろえてもらって着付けにかかったのです。それが先ほどの話です。自分 の着付けができても、人の着付けはそう簡単なものではありません。そこへ私がまるで人体と同じ、マネキン相手に着物着せるようなものですから
フレンドさんもさすがに音(ね)上げました。最後のとどめは足袋です。私より小柄のフレンドさんの足袋ではまるでサイズが合いません。
そしてカガシの私の着物姿見て、フレンドさんはついに断念、投げました。習うより慣れろと言ってもこれだけはべつです。不詳の弟子の私は愛想付かされたのです。
この私の着付け教室、メイク室でてんやわんやで行いましたから、出入りする女装さんはみな好奇心も相まって知っています。話題が広がって~今も常連でいる<女装スナック>のママさんが聞きつけて、紹介してもらったのが私のメイクの先生だったのです。
スタジオを持って写真撮影もする、メイクは美容師の資格を持ち、当然、着物の着付けもされるのです。
この先生に着物のお世話になったきっかけというのが、私に着物着せるのに汗流したフレンドさんが着物で京都観光に私を引っ張り出すことでした。
秋、京都の紅葉の観光シーズンです。紅葉の下で女装さん揃って着物姿の写真撮影というのがフレンドさんの目的だったのです。
そして当日スタジオに行った私は<着物は持っていません><いいですよ。こちらで用意しますから>先生の返事をうのみにした私。女装の姿~服装して何も持たずに行ったものです。
ルンルン気分の私、自分が用意することなどまるで考えてはいません。
手ぶらでやってきた私をスタジオの2階のメイク室に連れて行くと、鏡のメイク台の前に立たせて~「みんな脱いでくれます」言われて~
「はあ?」怪訝な表情の私。
「服脱いで裸になってください」また言われます。
「ショーツも脱ぐのですか?」相手は女性ですよ~さすがにためらう私。いくら85歳~こうを経ていても女性は妻しか知らない私です。平気で女性の前で裸になるなんて~。
「着物は襦袢から着ますから、うふふ~それが下着なの」
渡された襦袢~でも~袖通してもショーツ脱いだらすっぽん~
「あの、ショーツにあたるものは?」
「それは裾除けになるの」渡されたものは腰巻?
「着物と帯を選んできますから、自分で着てくださいね」
私に声かけて先生、ズラリ^吊り下げられている女物の衣装を分け入って姿消えたのに、やれやれとショーツを脱いで、襦袢着たけど、ショーツの代わりなる裾除けは腰の廻り巻くだけで下はすうすう~なにか頼りない感じ~パンストでも履かないと寒い気がします。
脇に紐通すのに悪先苦闘して、結局マネキンになって先生に一切お任せ、私がしたのは帯紐と帯が前に来た時に手で持つことだけ。
ホント洋服とはまるで違う手間がかかるのに女装さんが敬遠するのは分かります。まあ、衣装代も高くつきますからね。
でも~襦袢姿でメイクしてもらい、ウイッグ~黒髪の長い髪でウイッグも洋服とは違います。その後から着物の着付けしてもらって完成です。
それがです。着物のその鮮やかなこと~洋服と違います。朱色に白の染め抜きです。
姿見の鏡の前に立って自分の立ち姿見て声がでました。すらりとした自分の着物の立ち姿に自分ながらもうほれぼれ~
「先生!綺麗です。見てください」
「とくみさん着物が似合うんのね。これからどんどん着物着て下さいね」
いわれるまでもありません。私はこの時から着物に魅せられたのです。メイクをしたときの同じ感動に憑りつかれました。
足袋の足でステージ床を脚運びます。さすがに洋服のような脚運びできません。自然と内股になった小さな脚運びしかできないのです。でもそれが女らしさを感じさせる上品さを醸し出しているように思えるのです。
「とくみさん着物姿になると、女らしさが強くなっていますよ」
先生の賞賛に着物への愛着が高まります。でも一方では先生の頷きながら私を見る視線は自分の作品を見る美容師の眼差しに思えるのです。
それにしてもメイク室から階下のスタジオに降りる急な階段が怖かった~着物て、裾巾が限られているから大幅で歩けないのです。まして階段となると脚を大きく広げて足を降ろすのが、それができないのです。階段をトントンと降りるところを手すりにすがってゆっくり降りて~
着物の大変さというのは、こんなことから始まるのですね。
スタジオに続く台所には、もうフレンドさんが待ち構えていました。
「着物はいいでしょう~貴女、私より着物映りいいじゃないの」
焼きもち焼いているの?~思えるフレンドさんの口ぶりです。
「いいでしょう~これから私着物派になろうかしら~」
ルンルン調子で答える私。
フレンドさん私の前で屈むと、私の締められた帯の隙間に指さしこむのです。
「うん、帯きつく締めているわけでもないのに、着崩れがしない~さすが~」感嘆しきりです。
「じゃ、これでいいのね?」と、フレンドさん。
問いかけられてもその意味何のことか?
「この着物気に入ったよ」適当な返事して両袖持ち上げて見せます。
「良かった~これで土耀日京都行くのよ」
「京都?」
「そう、京都の紅葉観光して写真撮るのよ」
「そんな~私、着物初めてだというのに外に連れ出すの?」
「大丈夫私も、先生も一諸だから、ちゃんと付き添いしてあげるから」
「ホントに大丈夫かな?」このとき私85歳、初めての女の着物着ていきなり京都観光するなんて
歩けるかな?不安が駆け巡るのだけど、でも、この着物姿で歩ける~そのわくわくする期待が不安を押しのけるのです。
しかしこれが毎年、春と秋、桜ともみじ観光にでかける恒例の行事の始まりになったのです。<続く>
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