⑮ 私と〇房

 

(注・14章で検閲に引っ掛かつて、全文表示してもらえず〇で書きました。判読して下さい。戦争中体験した墨で消された文章の記憶がよみがえります)

 先に妻とのお見合いで、妻の〇房に引かれて結婚した話を書きましたが、私の〇房フエチはその後も後を絶ちませんでした。女装に憑りつかれたのもあるひは〇房を持ちたい~願望からかも知れません。

 それと姉が五人もいて、たった一人の男の子の私ですから、女性に支配されていたのが辛くて女性になって肩並べるようになりたい~イコール女性の象徴である〇房願望が生まれたのか?

もっとさかのぼって子沢山の家庭で母に構ってもらえなかったことから、愛情に飢えて〇房願望が生まれたのか?

 あれこれと自分の〇房フエチの源流をさかのぼるのですが、私が女装の表現としたのが、乳房と髪です。ところが女装してもこの二つは私には得られません。〇房は男性ですからないのは当然でやせぽっちの私です。洗濯板のような胸ですからネ~髪は?若い女装子さんならともかく、78歳ではたとえ髪が生えたとしても白髪ですし~それより髪は減る一方ですもの。まあ殆どの女装子さんは男と女を行き来しているのですから、髪を女性並みに伸ばすのは難しいからウイッグを被るのです。     しかし<女になりたい~<>心では女性になっている方は男性の性を認めることできなくて自分の体にメスを入れる。いわゆるニューハーフになる方もいますが、じつはサークルで案内してくれたスタップのリエさんがニューハーフと女装子さんに教えられて俄然好奇心に憑りつかれた私です。

ニューハーフさんの〇房なんて見たことありませんから、メイクが終わってすぐ<見せてください>お願いしたものです。 初対面の相手に〇房見せるなんて~承知してもらえるなんて難しいのは分かっていました。

 それでも<頼んだら見せてくれるよ>女装子さんの言葉を頼りに、そして〇房フエチの私の想いが拍車をかけて頼み込んだものです。

その私の想いの熱意にほだされたのか? リエさんが簡単にブラジャーのホックを外して見せてくれたのです。

思わず息飲みました。 まん丸い双丘が二つ並んで桃色〇房に黒みがかった〇首~。 肌の色と同じようにつやつや光って見える〇房なのです。

<なんて綺麗のだろう>これが元男性の肌だったとは~信じられません。 女性の肌なのです。

まさに完璧の芸術品の〇房です。 〇房フエチの私です。 もう衝動を抑えることできません。

「触ってもいいですか? 」「いいよ~」気安い返事に恐る恐る指先で〇首の周辺の〇房を押します。 柔らかい~でも弾力があります。 押したら押し返してくるのです。 掌<てのひら>で包むように〇房を押します。

弾力のある感触に頭をよぎったのは妻の〇房の感触でした。 結婚したとき? いや、子供を産んだ後の妻の〇房の感触に似ています。 男性がこんな素敵な〇房持てるなんて~なにか妬ましさを感じて、〇首を指先でひねりました。

「ああん~やめて~あきさん」うめき声のような声をリエさんに耳元でささやかれて慌てて指を離しました。

「ごめん! 痛かった? 」

「違うの~感じすぎるの」

「ええ、感じるのですか? 」

「私、〇首弱いの~」

「弱いて~」オウム返しに聞いてから、あっと気づきました。 妻のことです。 そうだった~同じだと思いました。

エリさんはもう女性になっているということだと分かりました。

 駆け出し女装の私には及びもつかない領域に自分が踏み込んだことを知ったのです。

 そして思うことは叶わぬことと知りながら、自分もこんな〇房持ちたい~という願望でした。ホルモンを摂取すればできることは知りましたが、一生続ける勇気や覚悟はできていません。第一妻に知られることの妻の反応?思うだけでも恐ろしくなります。<私という〇房というものがあるのに、気に入らなくて自分で持ちたいというの?>そんな声が聞こえるようです。

 今だったら豊胸施術で注射でヒアルロン酸注入して好きな形の、大きさも好みの〇房できるのですが,薬より安全性があって手軽にできるようですから、当時知っていたら私はしていたかもです。

 今ですか?90歳の年ですからね?見かけは誤魔化せても年齢とそこからくる体のありようから考えるとお医者さんが敬遠するとおもいますよ。90歳ともなると、当然、性の欲求は枯れはてて、ただ女装で若く美しくいたい~そんなおもいだけですからね。私には女装は老いを蹴飛ばす唯一の選択なのです。

 

 話は戻って~この1,2キロの人工〇房にはホント後々まで振り回されました。

 徳島でのことです。ユニクロのお店で女装姿で棚に並ぶセーターをみていたときです。棚の下段を見下ろしてセーターをを手にとってみようと腰かがめたときです。ふと視線が床に向けたときです。丸い盛り上がりのある艶のある品物が転がっているのです。視線が釘づけになって、恐る恐る手にとって見るとまさしく人工〇房です。

 もしや?わが胸見るとドレスの右が盛り上がっている筈がぺしゃんこ~わ~声上がりそうになるのを抑えてドレスの胸元から人工〇房押し込んだものです。

 結構お客があるのです。人の視線ご向けられないか?ヒア汗かいたものです。

 その後まもなくフレンドの博美さんに言われました。

「貴女その大きい乳房止めたほうがいいよ。細い体に胸だけ大きくてまるで漫画だものね」

云われて愕然としました。博美さんはサークルの言えば牢名主?なのです。いつ来ても談話室の隅っこのソファーで正座して座っているのです。おしやべり位はするけれど、男性のお相手するわけでもないし、仕事が終わるとそのままサークルに直行するみたいで、家よりサークルに居るほうが長いのです。風呂も食事もここでして指定席のソファーで正座している変わり者?そんな感じの女装さんなのです。

 時々私と食事に出かけたりするのですが、いろいろ女装のことで教えてくれるのでいつの間にか私の先生役になって今に至っているのです。

 博美さんは私より上背があって体も大きくて、手がグローブのように大きく、見るからに働く人という感じです。とても女装など?という感じをオトコのときは思うのです。

 メイク室で居ると博美さんがお化粧直しするのを見るのです。なにせほとんどの自由な時間をサークルですごしているようですから、風呂に入った後はメイクするのをみるのです。

 頭の半分禿げ上がったどこにでもいるおっさん?という感じ~それがです~メイクを仕上がった後みると変身どころか別人になって、女性そのものなのですから凄い~と思ってしまうのです。

 ですからメイクの素敵の虜になったばかりの私ですから、すっかり博美さんのフアンになったものです。

 その博美さんから「大きな〇房は止めたほうがいいよ」言われたのですから。私も小さめの人工〇房買って大きい〇房は家の地下室の押し入れ深くしまい込んだのです。なにせ愛着がありましたものね。到底捨てるなんて気にならなかったのです。

 後日譚になりますが、今から2年前のことです。妻の発症で老ろう介護していたもののそれも無理となって、娘の近くに引っ越すことになったときです。

 娘達夫婦が荷物整理してくれていた時です。せっかく妻と二人の老後を過ごすために買った家を後にするかと~辛い思いを抱きながら私も跡片付けをするのに地下室に降りたときです。

 「お父さんこんなお〇が出てきたよ!」

 どんとガラスケースのテーブルの上にくだんのお〇を娘が置いたものです。

 あわわ~声が出そうになりました。でも飲み込んで~

「ああそれ写真集作るとき写真撮るときつけていtたものだ」

何食わぬ顔で答えて誤魔化したものです。でも、写真集出したとき娘達や、孫達、それに私の姉達と姪たちにも公開していて、私の女装を得意げになって公開していて良かった~つくづく思ったものです。<続く>

(注。前章で不適切な表現があるとかで、全文掲載されないことになって困りました。どこが不適切かの表示はありません。メカ専門職のフレンドの助けを借りていろいろチェックして突き止めたのが〇房の字句でした。

 筆を折るのも業腹ですし、第一読んでくださる方に申し訳ない~そんなおもいで、なんとも奇妙な文章を並べることで勘弁ください。90の歳で戦中を経験している者として、なんとも釈然としない気持ちでいるのですが、なんとか読み解いていただきますように)<冬野 あき>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人口〇房は所詮作り物いくら本物らしく見えても滑らしさはあるものの温かみに欠けます。