(写真・2019年3月、89歳)

 

⑫ 女装への芽生え

 遅まきの新家庭持った私達家族だったが、新たな苦労はあっても自分達で築く家庭という思いが苦労を感じさせなかった。

 私は仕事一途になって二つの仕事を持つようになり、家のことに構う余裕はなく家庭の切り盛りは妻に任せきりでいるしかなかった。

 そして妻と言えば主婦業に専念できる余裕が経済的にもできたのに、そうしなかった。洋裁ができることもあって縫製店でパートで働きだしたのである。

 子育てして、働き、そして主婦業にも専念するという休むことのない毎日が妻の日課になったのだ。

 そのうえ私の仕事まで手伝うことをしたのだから、並みの働き手ではなかったと思う。

 当然寝る間もなかった、主婦の集まりなどに出ても話に入るより居眠りするので評判だったという。

 娘が成人になって聞いたのだが、高校時代娘は小遣い欲しさに夜喫茶店にアルバイトに行ったことがある。すると喫茶店の

 閉店時間になると母親が店の前に立って夜遊びしないように迎えに来たというのだ。

 寝る間もない生活のなかでそこまでしていたのか?私は感嘆するほかなかった。

 そうした妻の勤勉さに助けられおかげで、、文化住宅の暮らしで私達夫婦は当然ながら、年頃になった娘達を一つ布団で寝させるわけもいかず、同じ文化住宅の棟の人達と一緒に小さなマンションを建てたのである。

 初めて私達の家を持つことができたのだ~だが、そのときはすでに8年の月日が流れていたのだった。すっかり主婦が身に付いた妻はお嬢さんから抜け出していたが、このときの喜びようは一方ではなかった。

「パパさんこの広いマンション6畳が二間に台所が8畳でしょう、お風呂に洗面所にトイレが8畳はあるでしょう?。そして娘たちの部屋が6畳の間に8畳の洋室~私達の家ですよね」叫ぶような妻の喜びに私は満足だった。

 「良かったねお母さん」私は妻の笑顔につられて笑ったが。内心は引け目のっような思いがあったのだ。じつはマンションの建築資金の一部を妻は里の父親から借りてきたのである。

 私達はこのマンションに阪神大震災の直前、パプルのはじける前まで住んだ。

 

 1994年64歳になって私は仕事を引退して徳島に、今度は理想的な戸建て住宅を購入して移り住んだ。

娘たちは成人し、結婚してそれぞれ家庭をもって私達と離れて暮らし、私と妻は初めての二人暮らしできるようになったのが切っ掛けである。都会での人間関係の複雑さにもまれることから離れ、、澄んだ空気と緑に囲まれる環境のなかで老後を妻と暮らしたい~その思いからである。

 そして妻の実家の近くに居を構えたのは、妻の母がまだ健在であったからである。それは私と連れ添ったばかりに苦労の連続だった妻への私の最後の贈り物でもあった。、だが、そのつもりがまたもや妻に負担掛けることになったのだ。

 義弟によって介護施設に入っていた母を私が引き取ったからである。これまでは住む家が母を引き取るほどのスペースがなかったのが、地下、1階、2階と妻に言わせると邸宅に住むことになったことも引き取る理由にもなった。

 身を起こすことができてもベットで寝たきりの私の母を、妻は隣に自分のベットを置いて介護したのである。そして私はと言えば隠居のつもりでいたのが、またもや仕事を持ってしまったことで、家のことは妻に任せきり、自分の母親まで面倒を押し付けている有様であった。

 だが妻は苦情を言うことがなかった。母親と仲が良かったと思う。年の暮れテレビで忠臣蔵を見て二人が泣いているのに私は笑ってしまったが、結局、母が亡くなるまで妻は母の介護を付き切りで過ごすことになった。

 しかしこのことが私に一大変化を引き起こす引き金になったのである。

 夜、私は2階の寝室で寝るようになったのである。

 今まで、寝るときには隣の臥所(ふしど)には必ず妻の姿があったのが私は一人で寝ることになったのだ。長年当たり前だった妻の姿を見ることなく寝る寂寥感がさせたのか?

 私のなかで長年眠っていた女装の芽が一気に芽生えてきたのだ。

 私の姉弟は私の父と母の間では、姉四人で男は私だけである。そして私の子供は娘二人、孫は女の児四人と女系家族である。私はたまたま男で生まれたが、父が男子を望まなかったら私は女で生まれていたかも?そんなこを思うこともある。

 私の女装への欲求はそんな遺伝的要素もあるかもしれないと思う。

 私の女装癖は下着女装から始まった。夜な夜な一人寝を幸いにスタンドだけの光の下ベットの傍で、妻が2階に上がってきてもすぐベットに潜り込めるようにしてから、妻の記古してタンスの引き出しにあったブラジャー胸に着け、妻のスリップを被るようにして身に着ける。

 私は普通の男性に比べ細身のスタイルである。戦争中食料難のもと、栄養失調で細身のまま成長した女性スタイルに留まっていたので小柄な妻の下着も身に着けることができたのだ。しかしさすがに妻のショーツは、いくら細身でも矢張り男の体である、小さくて片足だけしか入れることができず諦めた。

 それにスリップも背だけ伸びた私の身長では膝までしかない、シャツ並みのスリップでしかなかったが、私にはどきどきする経験だった。

滑らかな絹の感触は最高の感触をもたらし、老境の入口にあった私に情欲を再びよみがえさせるのだった。

 スリップの上からブラをなぞると妻の今だに豊かな乳房が脳裏にうかび、自らの胸に掌に包み切れぬ乳房があるある錯覚すら覚える。でも手の感触は平らな平べったい感触でしかないのに気付く。

 私は<変態?>なのか?心のどこかでそんな声が聞こえるようだが、それを打ち消す満足感が私を包み、女装の欲求に憑りつかれてしまう。

<続く・次から女装への道>