③ 一度きりのデイト

 私は、 スタジオに隣接する台所で、女装さん達のおしゃべりしているのを聞くのが好きである。すごく話題が豊富というか、聞いていて私には新鮮に聞こえるのだ。当然のことだが女装に関することが多いが、メイクのこと、衣装のこと家族との軋轢の悩み、人目を気にしての行動。

 もちろん彼~男性との関係の話もある。まあ、おのろけが多いけど。関心はあっても九十歳という自分の年齢では縁がないと諦めているけど、でも、好奇心旺盛な私だから聞き耳を立ててしまうのである。

 まあ、女装する男なんて<変態>と決めつける人たちには、別の世界の話として理解不能かもしれないけど、でも少し頭を水平にして考えると<おかしな表現だが>男がなぜ女になることがいけないのか?女が男になろうとするのがいけないのか?同性で好き会うのが、性的関係持つのがなぜダメなのか?

 差別は大分封じ込められてきたが、偏見はまだまだ潜在しているのである。

 私は女装始めたころ常にその疑問を持っていた。、その裏返しとして人目を気にして女装して外を歩くと、男と見破られないか?そればかり気にしてうつむいて歩いてしまうのである。

 女装さん達の話を聞いていると、大抵の女装さん達が女装初めのころその経験をしていることが分かってきたのだ。

 だが私の場合、私にとって大フアンになった法政大学の田中優子学長の著書を読んで私の疑問が解けたのである。

 日本ははるかな昔から女装を受け入れる風習を持った社会であったこと。そして徳川元禄時代にその最盛期を迎えたこと。だが鎖国から開国へと日本が世界に門戸を開くと同時に、入ってきたキリスト教の布教が<同性愛は悪である>思想が持ち込まれ、同時に為政者である明治政府の<富国強兵>の政策によって国民に偏見が植え付けられたものだと~。

 日本は本来女装に対する偏見のない社会であったのである。

そう、女装は平和の象徴だ!胸を張ろう!心の内で叫ぶ私を笑わないでほしい。なぜなら私は今では戦争の苦難を体験した数少ない1人だからである。

 

スタジオに戻ろう~

 なぜ私の話になったのか?多分女装者と男性との話の中から私と妻のことが引合いになったのだと思う。

 <結婚するまで、妻とデイトしたのは1回だけ>

 私が話すと、女装さん達、<ええ~?>怪訝な表情になる。結婚するまでの婚約期間にデイトが一回というのは珍しいようだ。

 更に続けて<女性は妻としか経験がない>一斉に<嘘!>と声上げて本当にしてくれない。

その彼女達の反応に私は驚いてしまう。だがすぐ気が付いた。日本では女装者にとって、男女の夫婦の関係と同じになることは法的に認められていない環境にあって、気持ちは女性でも男性との関係が夫婦とか恋人のように持続した関係を持つことは、まだまだ少数者でしかないということだ。

 性的な欲求と相まって次々相手を求めて男性との関わりあうのが彼女達には普通なのだ。愛し愛されるという男女の関係は求めても簡単に得られるものではないのは、対象のとなる男性があまりにも少数だからだと私は理解する。

 社会的に常識的な男女関係~結婚の道を歩む男性がほとんどなのだから、彼女達のほとんどは単に男性の性のはけ口の受け皿になることに満足するしかない。  

 会うは別れの始まり~いくらすいて好かれた関係にあっても、いつかは別れの終着が待っているのが彼女達の運命?かとロマンチストの私は悲しくなる。でも、一方では単に美しくなりたい、女性の喜びを得たいその気持ちだけで、妻があっても女装する私のような男性が結構多いのものである。女装者のなかで案外妻子持ちが多数者なのではないかと私は思っている。

 スタジオの女装さん達が彼女達を取り巻くそんな環境の中では、私のように伴侶一人を守って生きていく道を歩んできたことを理解できないかも知れない。

 

  さて、そのデイトだが、上京してきた彼女と連れ立って行った先は映画館だった。

今と違って庶民の娯楽は映画の時代。満員の観客にもまれながら私達は立ち見で見た。後での妻の感想だが映画の中でふと上見上げると私が眼鏡かけているのに、別人か?と驚いたそうだ。その感想に私は妻は映画より私に関心が強かったのだとわかって嬉しくなったものだ。

 映画館を出て、さて、どこに案内すればいいのか?27歳にして、女性とデイトの経験のない私には思いつかないでいた。そしてとっさに出た言葉は「どこか行きたいところありますか?」尋ねたものだった。

 今の時代では考えられない当時のありようの私。この歳、27歳にして女性との対応できないでいる私に、<これでは母親がやきもきして見合いさした筈だと>今の私は苦笑してしまう。

ところが妻の返事は余計私を混乱させた。

 「お好みのところでよろしいです」

 か細い声での答えに私は勘違いした。案内したのはお好み焼き屋だったのだ。

 自分でも笑ってしまう成り行きだったが、でも結果はこれで良かったのである。妻と結婚して年数がたち私の妻として馴染んだころ、妻はそのときの自分の気持ちを打ち明けた。

 「パパがこのときおかしなところに連れて行くようだったら、結婚解消するつもりだったのよ」

 その言葉を聞いて、私は5歳も私より年下の彼女が当時、私よりずっと大人だったのだと感心したものだった。

 

 そしてお好み焼き屋では、台を挟んで私達は向かい合って座ったが、だが言葉を交わすことなかった。店員が鉄板に焼くお好み焼きをじっと見ていた。その沈黙は店員が焼きあがったお好み焼きを、ヘラでそれぞれ私達の前に滑らした後も沈黙が続いた。

 私がヘラでお好み焼きを切り分けて、切り分けたお好みをヘラに乗せたまま口に運ぶと、彼女もお好みを切り分け、箸で口につつましく運ぶのだ。

 90歳のこの歳になっても、そのときの情景が頭に浮かぶのは、余程印象に残る想い出として私の頭に焼きついているのだろうと思う。

 沈黙の時の流れ~息の詰まる思いに耐え切れなくなって私は気がかりのことを口に出した。

 「僕の家は大家族で大変ですよ。母と養父との間に弟が二人、姉夫婦が庭伝いの家に男の子がいて、姉夫婦が勤めている間母がその子の面倒見ています。それに私の姉が他に二人います。母はそんな重荷を背負って切り回しています」

 そこで私は言葉を切ってうかがうように彼女を見つめた。

 母が重荷を彼女に背負わそうとしているのだと、とても言えなかった。

 実は私が彼女も作らず、恋人も作らないのを、母が強引に見合いさせたのは自分の都合で重荷を軽くしたい?その下心だったのでは?と

私は思うことがある。

 私も年頃だったから好きな女性もあり、男友達と一緒に女性達と遊ぶことはあった。スケートやスキーにもグループで楽しんだものだ。当然

好きになった女性もいたし、好かれたりした。なかでも四人の女性に好かれた。私の職場に来て泣いて告白されたり、人を介して交際求める女性、映画館で待ち合わせて男友達と行くのが遅れて、暗いなか座席に座って泣いていた女性。

 何か自分が女性を泣かす悪者みたいに思えるのだが、私はその都度かたくなに女性達の求めを断り続けたのだ。それはわが家の難しさに耐えきれるか??彼女達に好きな想いあっても、その物差しがまず私の第一の条件だったからだ。

 だから妻となる女性といえども言わずにはおれなかったのだ。

 そして妻となる人の反応である。

 私の言葉を聞いた彼女は今まで黙々とお好み焼きを口に運んでいた彼女が、箸を置くといきなり顔を上げ黒目勝ちの大きな目が私を睨みつけたのである。

 「仲人<なかうど>さんから聞いています」

 切り返すように激しい口調の言葉が返ってきたのだ。

 私はうろたえた。後の言葉が続かなかったのを覚えている。なぜ、彼女がおこったような口ぶりの返事をしたのか?その時の私には理解できなかった。

 結婚して何年かたって子供も二人できて、夫婦仲で落ち着いた頃私はその答えを妻に求めた。

 「パパとお見合いして結婚すると決めたのよ。大家族の中で暮らす大変さなんて、世間知らずの私にはわかる筈ないでしょう。とにかくパパと結婚することだけ考えていたのよ。それなのにパパに良いのか?なんて念押しされて、あの時は本当に腹が立った」

 その言葉に私は改めて妻が私と結婚したい一念から覚悟を決めて嫁いできたことをを悟って、改めて妻への愛情に重ねて、尊敬の念を加えたのだった。<続く>