9月17日(金曜日) 晴れ パリーロンドンーダブリン
8時、起床。パリを立つ日だ。手早く荷物を纏める。8時半、階下で朝食。その後、母に絵葉書を書く。
10時、横尾さんの部屋をノック。「ぼくも駅まで行くから……」という返事がある。
10時40分、竹本さんと講談社のT女史とが、わざわざ「パラディエ」まで来て下さる。
11時、ペンションのマダムにお別れの挨拶。4人で坂下まで降り、タクシー2台に分乗、北駅へと向かう。駅に着いたが、発車時刻まで1時間ほどあり、構内のカフェで喫茶。横尾さんは、朝の軽食。暫くして、列車の待つホームへ入ると、若槻夫人と丹波のSさん、女性2人が見送りに来て下さっていた。若槻さんの奥さんが「車中で……」と言って、クッキーの「ガレット」を下さる。日本人5人もの送別に、僕は少し照れた。時間が来た。12時30分、ロンドン行き「ゴールデン・アロー号」発車。座席から窓越しに、手を振る。ホームには5人の笑顔。すぐにデッキへ出ると、横尾さんの手を振る姿が小さくなって見えた。……
座席に戻る。また、ひとり旅が始まった。車窓のパリ郊外の景色を眺めているうちに、芭蕉の一句「たび人とわが名よばれむはつしぐれ」が浮かんだ。「はつしぐれ」とは、新たな孤独の表微だ、と思った。……ビュッフェの号車に移動し、ピザで昼食。北フランスへ入る。午後3時20分、カレー港に着く。そこで列車を降り、ヘリポートに移動し、4時にカレーを出港。ドーヴァー海峡は、空が重く曇って寒く、海上をかもめが群れ飛び、野ざらしのような風が荒々しく、びゅうびゅうと吹き渡る。その風の向こうに、ブリテン島が横たわる。船内で、香港から来た学生と出逢い、少し話した。……
5時半、ドーヴァー港で下船。駅で列車に乗り換え、6時10分に発車。車窓は、整備された田園と緑野の英国風景に変わった。夕暮れの7時半、ロンドンのヴィクトリア駅に到着。立派な駅である。構外へ出ると、夕映えだが、パリよりも肌寒い。どっしりとした、この都市独特のタクシーに乗る。後方の客席は広々と、ゆったりとして、前方の運転手席との間を、1枚のガラス板が仕切る。これぼど落ち着いた、贅沢な空間を持つタクシーは、これまで経験したことが無い。車窓に見えるロンドンの街並みは、古風で重厚で格調があるが、パリに比べると暗い。しばらくして、ウェスト・ロンドン・エアーターミナルへ。そこでチェックインの手続きをし、そこからバスで、ロンドンの西24km の地点にあるヒースロー空港へ。空港のレストランで休憩、ご当地の「フィッシュ&チップス」を食べる。夜10時15分発、ダブリン行きの飛行機に乗る。アイリッシュ海を渡る頃、機内で軽食と紅茶が出た。11時半、ダブリン空港に着陸。
深夜の人気の少ない、あまり大きくない規模の空港を出て、タクシーで市内まで約20分。運転手に頼んで、今夜のホテルを探す。が、幸いにも3軒目で見つかる。市の中心部のオコンネル通りにある中央郵便局の近くに、小ぶりなホテル「モランズ」3階の58号室があった。
清潔な部屋で、安心して直ぐに入浴。午前1時半、ベッドに就く。
フランスからイギリスへ。イギリスからアイルランドへと、変化の激しい1日だったと思う。……最も感じたのは、その国の街が放つ「臭い」の変化だ。ロンドンやダブリンの臭いは、どこかドイツやオランダとも共通していて、パリには無い強さと刺激がある。パリの街は、無臭に近かった。モンマルトルの坂道の側溝へ朝、水が流れて枯れ葉を除く景色が、ふと思い出された。このダブリンの中心部は、寝静まった夜遅くまで、若者たちが遊歩して、犬のケンカに興じている……僅か1日の間に、まったく違う土地に来てしまった。
◎写真は 1971年9月17日のドーヴァー海峡(僕の撮影)
ダブリンのオコンネル通りの中央郵便局(亡母遺品の絵葉書)

