9月3日(金曜日)  晴れ  アヴィニョン

8時、階下の小食堂で朝食。珈琲が熱く、澄んでいる。器もいい。
9時、外出。近くの郵便局まで行き、パリの竹本忠雄氏のお宅へ長距離電話をかける。あいにく不在。

そのまま、アヴィニョンの市内を見物。まず北部の「法王庁宮殿」まで徒歩して、14世紀の中頃に建てられた巨大なゴシック宮殿を観る。高さ50m という外壁、全面積は1万5000㎡。
宮殿というより中世の城塞であり、フランス革命の混乱時に聖像などが破壊され、いま内部はガランとしている。法王が居住した時代の多くの部屋跡が、沈黙した迷路のように連なっている。

宮殿の背後には「ロシェ・デ・ドン公園」があり、その北側の城壁を抜けると、視界にローヌ川が広がる。12世紀に架けられ、現在では4本の橋桁が残る「サン・ベネゼ橋(アヴィニョン橋)」の姿が望まれ、近くに連絡船の乗り場がある。川の流れは伸びやかで、豊かであり、辺りの樹木が色づき、子供たちが岸辺で釣糸を垂れている。時たま小舟が、ゆっくりと往来する。癒されるような景色を眺めているうちに、ふと幼年期に読んだエクトール・マロの家庭小説『家なき児』が思い浮かんだ。主人公の少年レミが老人たちと旅するのは、南西部トゥールーズとリオン湾の港町セートを結ぶ、水路「ミディ運河」が背景にあるようだが、このローヌ川にしても、あの運河にしても、フランスの豊潤な国土を語るかのように、その水流がゆったりとしている。

並木通りまで戻り、郵便局で竹本さんのお宅へ再び電話するが、なお不在。
そこで「時計台広場」へ出て、昨夜のレストランで、早めの昼食を摂る。茹でた野菜や魚介類を、マヨネーズソースで食べる「アイオリ」を注文。プロヴァンスのシンプルな地方料理で、野菜が新鮮だった。
食後の昼下がり、並木通りの中ほどの三叉路が交わる地点に、こんもりとした樹木に覆われた井泉があり、その周囲の野外のカフェに座って、紅茶を飲み、ビスケットを楽しむ。秋風が優しく頬を撫でる……。と、すこし先の木陰の席にいる青年が、こちらを視つめて笑っている。思わず、僕が反射的に手を振ると、不意に彼は、さッと顔を背けた。僕のストレートな反応を、彼のシャイネスが嫌ったのだ。フランス人って気難しいな、と思った。……

ホテル「セントポール」に帰り、しばらく自室で仮眠。目覚めて、体操。
夕刻、再び「ロシェ・デ・ドン公園」の高台まで歩き、眼下の市内とローヌ川を遠望する。森と緑野が点在する静寂(しじま)の中に、落ち着いた建物や家々がバランスよく並び、アヴィニョンが穏やかな調和のとれた街であることが、改めてわかる。少年1人が城壁の石垣に座り、対岸の遠くに沈む夕陽を観ている。そうした光景にも、優しい詩情を感じる。……ここに在る、南フランスの柔軟な風土、人々の暮らしのバランス、水のような透明な平和は、やはりスペインの激しさには無いものである。
スペインという特異な半島地域は、東西の相克と多民族の混血によって、新大陸を制覇するような国際力を持ったが、長い凄惨な宗教対立が、英・仏両国のようなデモクラシーと個人主義を育てず、それが近世以後の停滞に繋がったと見ていい。……アヴィニョンという街へ来てみると、そうしたスペイン観も生まれるのだ。

僕は、公園のベンチに腰を降ろした。近くに親族といっしょの幼少児たちが遊んでいて、時おり僕の前を通る。外国の子供は、旅行者にとって可愛いものだ。児童ひとりに向けて、片目を閉じてウィンクしてみた。まったく無反応! その子は、親族の傍へ走って行ってしまった。少したって向こうを見ると、その子が親族の後ろから顔だけ覗かせ、僕に対してチラッと笑う。僕がウィンクすると、彼も片目を閉じる。嬉しくなって、笑ってしまった。……ここでは子供にも、ソフィスケートされた"芸"があるんだと、可笑しくなった。

「時計台広場」にあった中華料理店で、夕食する。入り口に掛けられた、漢字の"偽善最楽"という看板に惹かれて入店。鈴の音が聴こえ、鸚鵡を飼う籠が吊るされ、中・仏がミックスされた店内装飾で、なかなか上等な雰囲気。「ローマ東京レストラン」の雑駁(ざっぱく)さが、なぜか思い出された。久しぶりにビールを飲み、炒飯、餃子、野菜炒めを食べ、シナ茶を味わった。会計は10フラン。

ホテルに戻り、アメリカでのスケジュールを検討。幸い「セントポール」12号室には、整ったバスタブがあった。ゆっくりと入浴し、11時頃に休んだ。何にしても、この国の人々には、スペイン各地でのような"単刀直入"が通用しないことを、この日は痛感した。……明日は、パリだ。

      プロヴァンスの泉のほとり木漏れ日に見し若者の笑みを忘れず





◎写真は  ローヌ川とアヴィニョン橋(亡母遺品の絵葉書)

      アヴィニョンの「ロシェ・デ・ドン公園」(1971年9月に撮る)

      アヴィニョンとローヌ川(1992年5月、再訪時に撮る)