9月1日(水曜日)  晴れ  バルセロナ

7時半に起床。8時半に朝食。昨夜の自室の寝具、いささか不潔で耐え難く、宿を変えるべく、早々に会計を済ませる。同じ「ランブラス通り」の近くのホテル「グランビア」に行ったが、満室。仕方なく、タクシーを拾い、スーツケースを抱え、再び中央駅「テルミノ」へ向かう。以後、バルセロナという、何か自分の肌に合わない、活気はあるが雑然たる"商都"での、右往左往した1日が始まった。

先ず中央駅の案内所で、「ランブラス通り」の北側「カタルーニャ広場」近くの手頃なホテル「バルセロナ」の1泊を確保。次に窓口で、バルセロナからアヴィニヨンまでの指定券を求めると、隣の「ノルテ駅」へ行けと言われ、戸惑う。構内で、トレドで遇った日本人の学生たちと顔を合わせたので、鉄道の手続きの煩雑さをこぼし合った。タクシーを乗り換え、「ノルテ駅」で指定券を入手。そこからまたタクシー利用で、ホテル「バルセロナ」に荷物を下ろし、ほッとする。当地もタクシー料金は安く、ホテルも先ず先ず。……
 
午前中、現代のバルセロナの代名詞のような名所、ホテルから北東地域にある「サグラダ・ファミリア聖堂」を見物。19世紀末に着工、天才的建築家ガウディが後半生を捧げた大建造物として知られ、いまだに建設が続行中で、ガウディ没後100年の2026年完成予定というから、なお54年も先の、気が遠くなるような、言わば未来という"天空へ架ける橋"としての、西欧の近代の人々が生んだ、特異な祈祷空間なのである。
タクシーを下りると目前に、その峩々(がが)として怪奇な、そして異様な姿が聳え立っている。恐らく東洋からの訪問者の多くが、この今日の西洋の大教会建築に、或る違和感を覚えるに違いない。東洋人の眼にある"西洋の美しい教会"ではないからだ。僕も、その1人だった。但し、聖堂内部のステンドグラスは美しかった。

昼前の11時、そこからタクシーに乗る。運転手に、ブリンディシの埠頭で遇った老弁護士から貰った名刺を渡し、バルセロナ市内の住所への案内を頼む。弁護士マレガレのオフィスは、意外にもホテル「バルセロナ」から近い「カタルーニャ広場」の周辺にあった。建物に入って、階段を昇った。と、上から降りて来た年取った男性に出遭った。何と弁護士マレガレその人で、僕の顔を見るや、あのヒビの入った円い縁眼鏡を外し、破顔一笑した。このバッタリに驚いたのだろうが、直ぐに階上の事務所へ招じ入れてくれた。
古びた広い部屋で、窓側を除く三方の書棚には、分厚い本がビッシリ。本人の他には誰も居ず、ガランとした様子だった。勧められた椅子に座ると、マレガレ氏は「スペインには、いつ来たのか?」と英語で問い、「ほぼ3週間前」と答えると、「それなら沢山、あちこちを歩いている」と微笑。そして「これから人が来て、仕事があるので、よければ午後4時に、ここへまた来て貰いたい」と言った。……

歩いてホテルまで戻り、付近のバルに入って、軽く昼食。ハムを挟んだサンドイッチと、カフェラテ。その後、ホテルの自室で休息。絵葉書をあちこちに数通書く。
4時近くにホテルを出て、再びマレガレ氏の事務所へ行く。ノックすると、氏が、思い出したかのような笑顔でドアを開け、「これから外に出るので、いっしょに歩きながら話そう」と言われる。
ホテル「バルセロナ」までの道を、2人で15分ほど歩いた。マレガレ氏は仰有った。「来年、日本へ行く仕事がキャンセルされた。残念だが、日本には行かない。せっかく貴君に来て貰ったが……」と言い淀んで、はにかんだ表情をした。そして老弁護士は、ホテルまで送ってくれた。
あっさりと別れたが、僕は何か、投げられた球を空振りしたような想いがした。もしかしたら氏は、ひと月以上前にブリンディシの港で遇った日本の若者のことなど、もう忘れていたかもしれない。とすれば、僕の突然の来訪は、彼を困惑させたのだろう。自分の"ひとの良さ"にも嫌悪を感じて、複雑な気分になった。……

夕刻、ホテルから「カタルーニャ広場」へ、そこから「カテドラル」を経て、バルセロナ港へ。さらに中央駅へ出て、またホテルに戻るまで、約2時間ほど市内を散策。長旅になり、幾つもの都市や街を巡歴すると、どうしても気乗りがしない、興味が湧かないところも生じる。西ドイツのフランクフルトは、なぜか肌に合わなかったが、このバルセロナの場合も、自分の視界が虚ろになっている。何故だろう? もしかしたら、この商業都市の雑然とした埃っぽい空気を、自分の生理が受け入れないのかもしれない。それは"弱さ"でもある。

昼食を取った先刻の、ホテル付近のバルにまた入って夕食。場所も、何処でもよくなっている。シーフードミックスのピザを食べた。何でも、いいのだ。……
ホテルの自室に帰って、また絵葉書を数枚書き、早めに就寝。まさに「ナッシング」の1日だった。


9月2日(木曜日)  晴れ  バルセロナーアヴィニョン

6時、風の音で、目が覚める。3階の自室の窓を開けると、ホテル前の「ランブラス通り」の遊歩道に植えられた、大きなプラタナスの並木が、爽やかな朝の風に揺れている。塵埃(じんあい)の都市に吹き込む緑の風だ! 暫し陶然として、風音を聴いた。上空を仰ぐと、鳥影が見える。……

     東方(ひがし)より並木鳴る朝わたり来て汝(な)が古さとの便りつたへよ

朝食後、8時にホテルを出て、タクシーで中央駅「テルミノ」へ向かう。9時45分、バルセロナ発。
急行「カタラン・タルゴ」は、手続きに苦労して指定券を入手しただけに、これまで欧州巡歴中に乗った列車の中では最善、速度は普通だが、眺望と設備と快適さが、優に日本の新幹線を凌ぐと思った。

11時頃、ピレネー山脈を越え、フランス領に入る。パスポート・チェックがあったが、イタリアやスペインに比べ、極めて簡単。やがて、車窓の風景が一変した。広漠と乾燥した黄土の山岳地帯から、したたるような緑野と豊かな水流が出現、国が変わると、かほどに違うものかと感じ入った。フランス南西部ナルボンヌの辺り、展開する「リオン湾」の海の秋の気配、そのしみじみとした優しい淋しさには、ひとしお旅情を掻き立てるものがある。イタリアやスペインの暑熱に耐え、もう自分の旅も3月近くになる。論語の「父母在(いま)せば、遠く遊ばず」が思い浮かんだ。……

この列車はコンパートメント式でなく、各座席が対面して、左右両側に並んでいる。前の席には、アメリカ人の中年の夫妻が座っていた。白の帽子に黒いスーツの夫人には品があり、僕が日本からだと言うと、2人とも微笑、夫が手にしているキャンディーを渡してくれた。斜め前方の席には、日本人の若い画家夫婦がいて、身なりが派手。妻は、文化放送に勤務していたとかで、これから暫く一緒にイタリアに住むのだそうだ。……そのうち、彼らが食堂車から戻ってきて言うには、「2人で75フラン。高かったわ」と。僕が先刻、まだスペイン領を走っているとき早めに昼食して、ホットドッグと珈琲で5ドルくらいだったから、やはりフランスとなると物価がアップするわけだろう。……

午後、列車は南仏プロヴァンス地方に入った。「リオン湾」沿いの湿原地帯へと続く浜辺には、放牧された牛馬の群れが遠望され、それが心にしみるような懐かしさをもたらす。ずっと昔に観た映画『白い馬』の記憶が、どこかに残っているためかもしれない。……

午後3時半、アヴィニョンに到着。それほど大きな駅舎ではない。構外に出ると、すぐ前方に城門と城壁が連なっている。アヴィニョンは古都であり、14世紀には約70年間、ここに法王庁が置かれたのだ。

城門を潜ると、プラタナスの並木通りが延びていて、商店や映画館が並んでいる。城門の近くにある観光案内所へ立ち寄り、2泊するホテル「セントポール」を紹介して貰う。朝食付き21フランで、思っていたより安い。案内所の係員がオランダ人で、英語を話すので、「コンセルトヘボーのコンサートが素晴らしかった」と言うと、彼が立ち上がり、日本人のように一礼し、謝意を示したのには、ちょっと驚いた。マドリッドでリチャードと話していて別れるときも、彼が、柔道の試合の後での日本式の挨拶をしたので、笑ってしまったことがあった。頭を下げるジャパニーズ・スタイルの挨拶は、欧米人に強い印象を与えるのだろうか?……

アヴィニョンは、その周囲を城壁に囲まれた、中世の建物を遺す小ぢんまりとした街で、城壁の西側にはローヌ川が緩(ゆる)やかに流れ、幾つかの橋が架けられている。駅を出て、城門から並木通りを5分ほど歩くと、街の中心部の「時計台広場」があり、カフェやレストランが並んでいる。賑やかな広場から先へ進むと、巨大な「法王庁宮殿」の壁が現れ、その広場も見えてくる。歴史を有する街だけに、聖堂や寺院や教会、市庁舎や市場や劇場、美術館や博物館などが、まとまった場所に全てが揃っている。

小さなホテル「セントポール」は、並木通りの中ほどを入った脇道に在った。その12号室。ベッドのシーツが雪のように白い。バルセロナの安いホテルとは、清潔さの"観念"が違う。荷物を置き、通りに出て、近辺を散策。アヴィニヨンが、過ごしやすく親しめる、静かな落ち着いた街であることを痛感する。ドイツのコブレンツ、スイスのルッツエルン、イタリアのデッセンザーノにあった、人びとの心を癒す良さが、この小さな街にもある。それは何だろう? 道を行く中年の婦人たちの服装にも、スペインでは感じなかった"身だしなみ"を感じる。センスを感じる。そうだ、この小さな街にも、フランスの「文化」が有るのだ! 穏やかな気候、爽やかな自然、豊かな暮らし、微妙な言葉。すべてがスペインとは違う。この地に住む人たちが、「ピレネーをひとつ越えれば、そこはアフリカと同じ」と喝破する気持ちが、分かるような気分になっていた。……

その足で鉄道駅へ戻り、窓口で、明後日のパリ行きの指定券を求める。スペインでは男性の係員の応対に、気性の激しさと野性味を感じる時があったが、この窓口の青年には、旅行者の心理の襞(ひだ)を察知するデリカシーがあるのが、やはりフランスらしい。……
ホテルに帰って洗顔し、歩いて「時計店広場」へ行き、周辺にあるレストランで夕食。夜7時になっていた。アヴィニョン風ビーフシチューとトマトサラダを食べる。サラダには、紫蘇の葉が細かく散らしてあった。このレストランの壁面に、12年前に夭逝した、名優ジェラール・フィリップの素顔の写真が架けられていた。晩年の映画『モンパルナスの灯』が忘れられないので、暫しの間、写真に見入った。このレストランを、彼が訪れた日でもあったのか? とすればアヴィニョンは、リチャードが語っていたように、随分「シックで、プリティーな町」なのである。…

11時頃、ベッドに入った。スペインが好きだったが、やはりフランスに来て、少しほッとした。


◎ この年の9月にあったこと

9―7  劇団天井桟敷、ベオグラード国際演劇祭で、寺山修司『邪宗門』を上演、グランプリ受賞。

9―8  中国共産党副主席林彪、クーデタ失敗。

9―16 成田空港用地の第2次強制代執行(機動隊員3人死亡)。

9―27 天皇・皇后、欧州7か国親善訪問に出発。

9―28 東大宇宙航空研究所、日本で最初の科学衛星「しんせい」打上げ。

9―   松本清張・家永三郎ら、「司法の独立と民主主義を守る国民連絡会議」結成。

9―   野間宏、『青年の環』全5巻で第7回谷崎賞受賞。


◎写真は   カマルグ湿原地帯の民家と白馬の群れ(亡母遺品の絵葉書)