8月31日(火曜日) 晴れ  マドリッドーバルセロナ

6時、ガバと起きる。マドリッドを去る日だ。7時、朝食と会計を済ませ、直ちにタクシーでアトーチヤ駅へ。スーツケースを預け、歩いてホテル「ナショナル」へ行く。昨夜、リチャードがバルセロナで宿泊したホテルの地図をあげる、と言っていたので、彼をロビーで待つ。

降りて来た彼は、どうしても「駅まで送る」と言う。そこで駅まで歩き、我々が初めて出逢った、入り口の脇にあるカフェに入って、珈琲を飲んだ。彼は、バルセロナのホテルの地図を出し「それほど良いホテルではないが、便利な場所にあるんだ」「それで充分。2泊しかしない。案内所で探すのは面倒だから」……
すると彼は、あと1枚の紙片を、僕に渡してくれた。そこには、彼のミズーリ州セントルイスの住所と、その家の電話番号が記しであった。「テツロウが、秋にセントルイスに来るなら、ぼくの家に泊まってくれ。我が家は、朝食を食べない習慣だが、ランチとディナーはOK!」と言って笑った。「セントルイスに来ないで、もしも日本へ帰ったら、昨夜のテツロウの本は送って欲しい。サインをして……」と、彼は付け加えた。僕にとって、その言葉のすべてが嬉しく、有り難いものだった。若いのに彼は、カフェの代金まで支払った。

カフェを出て、駅の入り口の地下への階段を降りる際で、我々は立ち止まった。もう一度、彼は言った。「I
remember  you.」と。そして、自分の右腕を僕の右腕に差し入れ、互いに交わすと、「アディオス!」と言い、腕を放つやクルリと向きを替え、足早に去って行った。……それまで僕は、この「腕を交わす」という男同士の別れの"儀式"があることを、知らなかった。欧米人の友誼(ゆうぎ)の表現なのである。

9時10分、アトーチャ駅から長距離列車が出た。バルセロナまで、約10時間かかる。ガランと空いた車内で、コンパートメントには誰もいない。車窓には、カスティーリャ地方特有の、広漠たる黄土の山間地帯の風景が続く。……リチャードやマークの、顔が浮かんだ。雨が降った日、僕が「ヒロシマには、黒い雨が降った」と話すと、彼らが「日本人は怒った?」と問い返した時の、真剣な顔つき。……
どうして彼らとは、あんなに言葉が通じ合ったのだろう。マークは、去年の秋の三島事件について「Harakiri why?」を繰り返した。彼が2年後、結婚すると告げたとき、リチャードが「Harakri  same !(ハラキリと同じだ)」と言ったのには、思わず笑った。彼には、あんな茶目っ気があるんだ。
秋にアメリカへ渡っても、セントルイスまで行く日数があるかな、と考えた。駅まで送って来てくれた、彼の優しい表情が思い返された。……

      「アディオス!」と腕を交わしてアトーチャの駅で別れしひと夏の友

昼食は、ビュッフェのある号車に行って、チキンサンドイッチを食べた。午後になると、列車の窓の向こうに青い地中海が拡がり、やがてスペイン3番目の都市バレンシアに停車。そこから、カタルーニャ地方のバルセロナまでの海沿いの路線は、日本で言えば東海道線であり、スペイン経済の要衝地。タラゴナのような停車駅や、乗り降りする客が多くなり、車内に活気が出たと思っていると、午後7時半、バルセロナ到着。

スペイン2番目の都市バルセロナには、幾つか鉄道の駅があるが、列車は中央駅「テルミノ」へ入線。下車して構内を歩むと、マドリッドとは違う響きの言葉が飛び交い、かなり違う雰囲気の土地に来たことを、身体で感じる。「スペインの大阪だ」と思った。……
タクシーの運転手に、リチャードから貰った地図を見せた。駅から遠くない、旧市街の目抜き通り「ランブラス」の片隅にある、ホテル「セシリア」の近くで下車。小さなホテルだが、確かに便利な所だ。遊歩道に植えられた、大きなプラタナスの並木に覆われ、この目抜き通りは薄暗いほどたが、人通りは賑やかで、何でもある商店街だ。荷物を置いて、すぐに外出。リチャードから教えられたカフェで、久しぶりにパスタを食べた。

自室に戻り、落ち着く。と、ひと月以上前、イタリア南部のブリンジンの港で偶然に逢った、バルセロナ在住の老弁護士のことが思い出された。「近く日本へ行くので、バルセロナに来たら、連絡して欲しい」と……。そこで、取って置いた住所を確かめ、事務所へ電話をしてみた。が、すでに夜間で、応答がなかった。

11時、就寝。



◎写真は   マドリッドのアトーチヤ駅(2018年4月の再訪時に撮る)