8月27日(金曜日) 晴れ  マドリッド

8時半、遅めに起床。9時、2階へ降りてカフェで朝食。珍しくオレンジ・ジュースが出た。給仕が子供並みの少年で、前掛けを垂らして働く。以前の日本には"小僧の籔入り"があったが、今では見られない光景だ。

午前中、やや体調が勝れず、ベッドで休息。昼近く、起き上がって体操。シャワーを浴び、気を取り直す。
昼過ぎ1時半、ロビーまで降り、このホテル付属の「バル」で、遅めの昼食。ソーセージ、フライドポテト、サラダを盛り合わせたランチタイム用の一皿と、「マケドニア」という果物のシロップあえを食べる。この国に不味いものは無い! 元気回復。

2時半、外出。日中は、まだ暑い。マドリッドのアトーチャ駅以北に拡がる旧市街は、その中心地のプエルタ・デル・ソル(「大陽の門」という名の広場)から半径2km に収まる範囲だから、アトーチャ駅から5つの区それぞれへ徒歩しても、健康な足なら、さまで苦にはならない。が、体調を考え、アトーチャ駅から地下鉄に乗り、北西方向の「スペイン広場」まで行った。この広場は、今日の観光客には名所の一つになっている。
というのは、その中央にセルバンテスの白い石像があり、その眼下に、痩せ馬ロシナンテに乗ったドン・キホーテと、ロバに乗ったサンチョの像があるからだ。広場も像も、20世紀になってから設置された。スペインやポルトガルでは、広場に為政者の像があるのが普通だが、そこに近代スペインの意識変化があるのだろう。

この広場から南方へ15分ほど徒歩すると、小高い台地の上に「王宮」がある。プラド美術館と併称される、マドリッドの著名な観光スポットだが、この日は何故か訪れる者が少なかった。……
王宮の前の広場の向こうには、緑の豊かな市内が遠望される。この台地が、遠くイスラム制覇時代から格好の要塞となり、その後のキリスト教王国のアルカサル(宮城)となり、とりわけ16世紀のマドリッドへの遷都後には、ハプスブルグ朝の煉瓦造りの王宮となった。が、18世紀の前半に焼失し、スペインのブルボン朝への移行もあり、その世紀後半には、バロック建築からフランス風の新古典主義を加味した、現存する宮殿が生まれた。そして、2次大戦前の共和国誕生の日まで、この目前の王宮が、儀式・接見・礼拝・外交などの国家的な公務空間であり、かつ国王と一族が生活する居住地でもあった。
それだけに、内部に足を踏み入れると、在りし日々の息遣いがリアルに伝わる。歴史的な風化作用が薄く、実状が鮮度をもって想像できる。このマドリッドの王宮見物には、そうした醍醐味がある!
レニングラードで訪れた冬宮、ウィーン郊外のシェーンブルン宮は、これよりも規模が大きいが、そこに現前するものは、ほぼ完全な「過去」である。すでに想像や理解を拒み、明るく息を止めている。
さらに、もしも宮殿の美しさと、観る者との心的な距離を考えた場合、この王宮の美しさは、僕たちにも解りやすい何かがある。それは、ひとつの"暗さ"だと思う。濃く厚い暗影が、王座の間、大階段、饗宴の食堂、列柱の間の舞踊場、控えの間、陶器の間、私室など、すべてに漂い籠っていることが、すべての華麗さをより深くしている。この王宮の暗い華麗さは、現代の人びとにとって、何故か極めて魅力であると、僕は考えた。……(王宮の警備にあたる衛視が、当時の服装のままで、各所に数多く立っていたことが、この"暗さ"の実感を強めたのかもしれない……)

王宮の近くから地下鉄で、アトーチャ駅へ戻った。歩いてホテル「グランビア」へ。休憩後、洗顔して、6時頃に再び外出。ひとりで夕食するのも気が進まず、通りの先にあるホテル「ナショナル」へ行ってみる。
と、ホテルのロビーの一隅に、彼が居た! ロビーの椅子に座り、前に置かれたテーブルで、絵葉書を書いていた。僕に気が付いて微笑、リチャードは言った。「テツロウ、グッドタイミング。近くのスモール・レストランで8時から、友だちと食事する。一緒に行かないか」と。友だちというのは、彼がニューヨーク空港で逢ったキューバ系の男性アメリカ人で、偶然このマドリッドで再会した。「彼は、幾つ?」と訊くと、「22歳だと思う。マザーが、キューバの女性と聴いた」と答えてくれた。「僕も、加わりたい」と返した。
8時まで少し時間があり、彼が再び絵葉書を書き続けるので、僕もフロントで2枚を買い、向き合って絵葉書を書いた。昨日初めて遇って直ぐに親しくなる、旅とは不思議なものだ。僕は、改めて彼を視つめた。リチャードが、端正な容貌と、端正な容姿を持つ若者であることを知った。……

マドリッドの旧市街は、食の街だけあって、各種のレストランが多い。ヘミングウェイが通ったような名店もあるらしいが、駆け出し世代のサイフでは無理。リチャードとキューバ系の友人が通う「スモール・レストラン」は、プラド美術館の東側のレティーロ公園近くの脇の通りにあった。僕はマドリッドに来てから、便利な「バル」でばかり食事していたから、この小ぶりなレストランをよく見つけたな、と思った。
夜8時、リチャードと入店。待っていた彼の友だち、マーク・ゴンサウレスに出会った。長身のリチャードとは対照的に、やや背が低く小肥りで髪が黒い、活発な青年だった。ニューヨークにいる彼は、リチャードと空港で知り合い、ドイツまで飛行機が一緒でフランクフルトで別れ、それぞれのコースを旅行した後、数日前に偶然アトーチヤ駅の構内で再会した、と言って、2人とも愉快そうに笑った。旅とは、ヘンなものなのだ。

メニューの選択は、このレストランに通う彼らに委せた。マークが、牛肉と生ハムとチョリソを柔らかく煮込んだ、マドリッドの伝統的料理「カリョス・ア・ラ・マドリレーニヤ」を選び、リチャードが、ミックスサラダとアイスクリームのケーキ「タルタ・エラード」を追加し、3人で意見一致。彼らはビールを、僕は炭酸水で割ったビールを頼んだ。……食事が始まった。マークは、図書館の仕事をしながら、設計士の学校へ通っている。「ニューヨークは物価が高くて、生活がキツイ。ここは安くてパラダイス、ずっと居たいね」と、店の天井を眺めた。僕は、リチャードが、食事中の姿勢が崩れず、その両肘をテーブルに置かず、キチンとしたマナーを持っていることに、何となく気が付いた。こうした洋食の一定のマナーを、一般の日本人は身に付けていない。そして、彼が年少のせいか、口数が少なく物静かで、食器を汚さない、清潔な若者であることに、ちょっと感心した。明朗な人柄だが、なぜか時折り鳶色の眼が、ふっと翳るときもある……

食事が終わり、3人一緒に店を出て、しばらく夜のレティーロ公園を散歩した。140haに及ぶ広大な公園で、園内にはガラスの宮殿、バラ園、野外音楽堂、ボート遊びの池、多くのモニュメントなどがあるが、夜間は鬱蒼とした森に覆われ、園内は不気味なくらい静まり、人影も疎らだった。マークは明日、エル・エスコリアルを観に行くんだと言い、リチャードは午後から予定が無いようなので、「ではまた、合おうよ。お休みなさい」と手を振り、10時半頃、それぞれに別れた。……

ホテル「グランビア」へ帰り、就寝は12時。



8月28日(土曜日) 晴れ  マドリッド

8時半、起床。どうも体調が良くない。9時、朝食。あまり食欲が無い。胃の調子が悪いようだ。
自室で、常備薬を飲み、午前中は休む。昼近くになり、シャワーを使い、フロントまで降りて、いつものバルで軽いものを選ぶ。米を牛乳と砂糖で煮込んだ「ライス・プディング」を食べた。昼食代わりのデザート。

午後、街へ出る。地下鉄で「プエルタ・デル・ソル」の広場まで行き、そこから北東方向に抜ける「アルカラ通り」を、やや漫然として歩く。マドリッドとしては、目抜きの立派な通りで、左右には官庁・銀行・美術館などが並ぶ。ご当地の女性たちと時おりすれ違うが、日本髪が似合うような、古風な顔だちの美人がいる!
と、色気の薄い通りで、僅かな色気を感じたが、早くもイベリア半島へ渡って半月余り経過、いささか心身が飽和状態になっているようだ。……この通りの2つの広場を通過し、「アルカラ門」から南へ向きを変え、レティーロ公園に沿ってアトーチャ駅の近辺まで、戻ってきた。午後3時近くになっていた。

「午後は予定が無い」という、昨夜のリチャードの言葉を思い出し、今日もホテル「ナショナル」のロビーに立ち寄って見る。居た、居た、今日も彼が居た。僕を見ると「テツロウ、元気が無い」と言う。「元気だよ」「ぼくはディナーまで時間があるので、これから街へ出る。行かないか」と誘ってくれた。
プラド美術館の周辺を、また歩いた。建物が在る前の通りの、幾つかの噴水が、爽やかな音を立てる。僕はリチャードと歩いていて、彼が平明で温和な、バランスの均れた人柄であることを感じた。……
アトーチャ駅の近くに映画館があり、その前を通ると、彼が「観よう」と言う。日射しが暑かったので、同意して入館。チケットは、彼が買ってくれた。僕が、コーラを2本買った。
上映作品は、モノクローム時代の西部劇のスペイン語版で、客の入りは悪くなかった。善悪のハッキリしたストーリーだから、客席の反応が激しい。一度フィルムが切れ、場内が明るくなったが、闘牛場のようなブーイングが起きた。場面ごとに挙げる、スペインの観客のオーバーな声や拍手に、思わずリチャードが笑う。僕も可笑しくなり、笑った。……僕は、彼との年齢差を感じなかった。

7時半、ホテル「ナショナル」に帰る。ロビーに、マーク・ゴンサウレスが来ていた。「エル・エスコリアルを1日見物して、バスで帰って来たばかり」と告げ、腹部に手を当て「Hungry !」とおどける。
8時、昨夜の「スモール・レストラン」に、3人で入店。今夜は、シーフードサラダを小皿に別け、彼らは肉団子のトマトソース煮込みを、僕は体調を考え、ジャガイモを混ぜたスペインオムレツを注文。2人はビールを、僕は「モスト」という葡萄の果汁を飲んだ。アイリッシュとキューバ系のアメリカ人、それに日本人の若者たちが、揃って連夜また来たからだろう、店の人たちも愛想がいい。……
マークに、彼が今日観た「エル・エスコリアル」について訊ねると、「自分は建築に関心があるので、ハプスブルグ時代の宮殿を観に行ったけれど、建物は立派だが、内部には殆んど何も残っていなかった」と答え、肩を竦(すく)めた。リチャードが「ぼくは明日、トレドへ行く。ハイスクールの科目では、数学と歴史が好きで、トレドには興味があるんだ」と言う。僕が思わず、「スクールには、ガールフレンドがいる?」と問う。
すると彼は、「No, l  try  a lways.」と返した。このユーモラスな一言に、マークも僕も、吹き出した!
マークが、「君の街のセントルイスには、『ゲイトウェイアーチ』というモニュメントがあるだろう?」と訊いた。リチャード「ミシシッピー川の傍らに建っている。大きな虹のようなモニュメントだよ」マーク「見てみたいな」リチャード「セントルイスに来いよ。歓迎する」……そうか、セントルイスか。僕は一瞬、リチャードが住んでいる、遥かな中西部の街の姿が浮かんだ。

食後、レストランの近くの通りを、昨夜のように漫歩した。このカスティーリャ地方は、ずっと日照り続きで、雨が降っていない。ふと夜空を見ると、珍しく白い雲が走っている。僕は指差して、「Perhaps  tomorrow  rain !」と、ブロークンイングリッシュで叫んだ。彼らは、不思議そうな顔をした。……

ホテル「グランビア」に帰り、早めに休む。



◎写真は   マドリッドのスペイン広場(1971年8月に撮る)

       マドリッドの王宮庭園(同上)