8月26日(木曜日) 晴れ  トレドーマドリッド

8時半、朝食。ソコドベール広場の近くの通りにある銀行へ出向き、小切手を現金化する。9時半、ホテル「マラビーリャ」を去り、バスでトレド駅へと向かう。
 
トレド駅のホームで、コロンビア大学院生のアメリカ人夫妻に遇う。10時40分、マドリッド行きの列車が出る。車内には、水原画伯の父子も居られた。僕が座った席の斜め前に、スペインの若者1人がいた。煙草を探していると、彼が手持ちの箱から1本を取り出し、勧めてくれた。「グラッシアス」と礼を言い、貰った1本を燻らしながら、視るともなく彼を視た。と、このスペインの若者は、非常な美少年であった!……

12時半、マドリッドのアトーチャ駅に到着。ホームで、皆さんと挨拶して別れた。
駅前からタクシーに乗車、適当な宿泊施設への案内を頼む。アトーチャ駅近くの旧市街の周辺には、旅行者のための経済的なホテルやペンションが、多く集まっていると聴いたからだ。運転手は、タクシーに乗るまでもない駅から近距離の、やや落ち着いた通りにあるホテル「グランビア」へ連れて行ってくれた。609号室は、清潔でバスタブもあり、1泊朝食付き350ペセタと少し高いが、迷わずにスーツケースを置いた。

2時半、ホテルを出て、アトーチャ駅まで歩き、入り口の脇にあるカフェで、遅めの昼食。パンにハム、チーズ、オムレツを挟んだ、スペイン風のサンドイッチを食べ、珈琲を飲んだ。カウンターの右側の3つ目の席に、ひとりの青年が座っていて、やはり珈琲を飲んでいる。何となく声を掛けると、人懐っこい感じで振り向き、互いに挨拶を交わした。アメリカの中西部ミズーリ州から来た若者、リチャード・ダンカン。やや大人びて見えるが、まだ18歳だという。僕も、手短に自己紹介したが、彼のダンカンというセカンド・ネームには、思わず笑ってしまった。さながら、シェイクスピア劇に登場する「ダンカン王」という感じだ。それを言うと、彼は微笑して、「ぼくは、アイリッシュ。曾祖父や曾祖母は、アイルランドからアメリカへ来た」と答えてくれた。それなら、古臭い反時代的な「ダンカン」も、怪しむに足りないな、と思った。

「これから、プラド美術館を観に行く」と告げて立つと、彼も「ぼくも行く」と言い、いっしょに店を出た。
マドリッドは、乾燥した高地としては緑が豊かで、晴天が多く、空が美しい。僕たちは、幾つもの噴水が溢れる青い並木道を歩き、やがて美術館の前に着いた。それぞれがチケットを買って、入館。
この美術館にも、ギリシアやローマの古代彫刻の展示が、先ずあるのが分かったが、何と言ってもメインは、グレコ、ベラスケス、ゴヤであり、テイツィアーノ、ボッシュ、ルーベンスなども充実。繚乱たる名画の花園は、訪問者を圧倒する。1時間半ばかり、館内を観て廻った。

外へ出ると、背後から彼も、ゆっくりと付いてきた。美術館の正面の前方の両側に、幾つか石造りの台が置かれている。僕たちは、そこに座り、しばらく休んだ。と、向こう側に座っていた中年の白人の男性が、こちらに突然やって来て、「カナダからです」と英語で声をかけ、「去年、日本へ旅行したが、とても楽しかった。アリガトウゴザイマス」とだけ日本語を使い、笑いながら握手を求め、「君も今に、日本へ行くといい」とリチャードにも声を掛け、足早に館内へと去って行った。……僕たちは、不意を喰らって、顔を見合わせた。
そこで、彼が問うた「東京で、あなたは何を?」と。「僕は、ライターです」「何を書いている?」「いろいろと。劇場へはよく行く」「新聞?それとも本」「本を一冊書いた」すると、彼は目を丸くした「本当に?」「ウソは言わない。でも、大した本ではない」「いや、本を書くのは、大変に難しい仕事だ」……

それから彼は、自分について話した。「現在、セントルイスのハイスクールに通っている。父母は共に50歳で、父はエンジニア。兄は兵役で、いま西ドイツにいる。弟は小学生。ぼくは3ヶ月、コンピューターのアルバイトをして1000ドルになったので、夏休みで初めてヨーロッパへ2ヶ月の旅行に出た。西ドイツでは兄と会って2週間、フランスで2週間、このスペインで2週間、次にイギリスとアイルランドへ行って2週間、という予定で、9月の中頃にセントルイスへ帰る」と。彼が、自身の現状をフランクに話してくれたので、「僕も今、初めて欧米旅行をしている。安い費用で6ヶ月。秋にはアメリカへも行き、年末に東京へ帰る予定だ」と言うと、彼は「Oh  Big  travel !」と、また目を丸くした。……

僕は、このアメリカ人の18歳の若者と話していて、彼が背も高く、大人びて見えるせいもあり、あまり年齢差を感じなかった。と言うのも、彼の発する英語が、僕には不思議に解りやすく、また僕の下手な英語が、彼にも不思議なほど通じる、そこに何かハードルの無いような、自由な境界が生まれていたからだろうか。相手によっては、解りやすい他国語というものも有るのだ。つまりは、人と人との相性なのだろう。……

時計を見ると、5時半。彼が宿泊しているホテル「ナショナル」は、僕のホテル「グランビア」の在る通りの少し先に、偶然にも位置していた。彼は「これから、友だちと夕食の約束がある。しばらくマドリッドに滞在するので、また会うかもしれない」と言い、手を振りあって別れた。

6時、ホテル「グランビア」609号室へ戻った。荷物の整理をして、下着の洗濯もする。
8時、階下に降りる。このホテルは、2階にもカフェ並みの食堂があるが、1階のロビーと接続して例の「バル」があり、外部からも入れる。カウンターのウインドウには、さまざまなタパス(料理)の皿が並んでいるから、ここでは手軽に食事ができる。グラナダでも「バル」へ通ったが、その便利さが好きになり、今夜もまた利用する。まず野菜サラダを、次に、アーモンドとニンニクをすりつぶした白い冷たいスープを、指で差して店内の女性に訊ねると、「アホ・ブランコ」という夏季だけのメニュー。それと、茹でたタコにオリーブ油とパブリカを振りかけた一品を取り寄せ、初めて食べてみた。どちらも美味で、日本の厨房には無い。スペインこそは「食」の国だ! 西欧とアラブとユダヤの混合した文化が、この食の多彩な味を生んだのだと思う。

夕食を済ませ、ホテルの前の通りを散策。道行く女性たちの顔を、見るともなく見ると、日本で言う"ウリザネガオ"が多い。今日では、日本の女性よりも、むしろ古風な感じがする。通りのカフェのテラスで、珈琲を飲んだ。近くの席に、旅行中の若い日本女性2人がいて、しばらく話す。ニクソン声明で現在、円の切り上げが問題化していることを知った。……

ホテルの自室に帰ったが、意外に疲労しているので、入浴せずに、12時ごろ就寝。マドリッドの夜は、すでに初秋の気配が濃く、肌寒さすら覚え、長袖を着ている人が目立つ。当地はいま、昼夜の気温差が激しい。……


◎写真は   マドリッド市内の夜景(亡母遺品の絵葉書)