8月24日(火曜日) 晴れ  トレド(続き)

「エル・グレコの家」の西北に、トレドの最古のユダヤ教会であった「サンタ・マリア・ラ・ブランカ教会」
がある。12世紀頃に建てられたが、15世紀初めにキリスト教会に改宗。そのため、オリエント風のエキゾチックな雰囲気や、アラブの臭いのするムデハル様式を伝えている。白い列柱に架かる、馬蹄形アーチの曲線が美しく、かつエロチックでもある。……

この教会から西へ歩くと、サン・マルティン橋へ出る。橋の下には、褐色のタホ川が流れている。
橋の袂(たもと)には、地元のタクシーが数台、帰りの客を待っていた。この橋向こうから、タホ川沿いを走って、アルカンタラ橋を渡り、「プエルタ・デル・ソル(太陽の門)」に至り、旧市街へ戻るコースである。運賃を訊ねると、安い!のには驚いた。文句なく、すぐに乗車。と、この移動が、実に快適だった。
橋を渡って川に沿って走り、ほぼ10分ほどすると、川の右岸の高台に展望台があり、しばらく停車。ここから見渡すトレド全市街の遠望は、まったく素晴らしい! スペイン千数百年に及ぶ、動乱や内戦に耐え抜いた古都の全貌は感動的で、スペイン人でなくても、これを見詰める者たちの胸に、懐かしい遥かなるものを呼び覚ます。もしも"泣けてくるような風景"が有るとすれば、グレコも描いた『トレドの景観』は最たるものだ。

タクシーは、やがてアルカンタラ橋を渡り、終点「太陽の門」前で停車。降りると、その周辺はアラブ風なムードが濃く、門を通ると逆に、カトリック的な中世の雰囲気に変わる。トレドという街の面白いところだ。

午後1時、ペンション「アラヨ」まで歩いて、市街見物から帰着。ちょうど食堂では、画学生3人と外語大の学生1人、それに新入りの今夜宿泊する日本の若者2人が加わり、賑やかに昼食中。僕も同席し、オニオン・グラタン・スープと、ゆで卵とツナの入ったミックス・サラダを注文。女性の1人が、広場の菓子店で買って来たトレド名物の「マサパン」を配ってくれた。アーモンドの粉末と卵白と砂糖を練った焼き菓子。
新入りの若者2人が、「マドリッドなんかより、ここへ早く来て、泊まれば良かった」と、口を揃える。外語大の学生が、「マドリよりも、トレドは安いんです」と答えた。当地に滞留する彼らは、ずっと帰国していないため、僕や旅行中の若者たちに、あれこれと日本の近況を訊ねた。とりわけ、昨年11月の三島事件について関心があるようだったが、彼らに付き合っていた僕も、これには急に口が重くなってしまった。……

自室に戻り、2時間ほど仮眠する。ベッドが置かれた奥の壁面に、何と十字架が架かっている! いかにもスペインらしいが、これでは楽しい夢も見られない。4時頃に目覚め、シャワーを浴びようとすると、何と水が出ない。フロントに電話して訊くと、「水道工事で、今夜から明朝まで、シャワーだけ使えません」という返答。仕方がなく、洗面所の水でタオルを濡らし、身体を拭った。その後、絵葉書を数通書く。

夜8時、昨夜のホテル「マラビーリャ」の1階のレストランに行き、夕食を摂る。今夜も水原画伯父子が来ていて、互いに笑顔になり、同席する。3人でメニューを検討した結果、ウズラや野鳥の肉を、赤ワインと香りの高い野菜で煮込んだ「ぺルディス・ア・ラ・トレダーナ」という、当地の郷土料理を選択。昔からトレドは狩猟が盛んで、射当てた鳥や兎や鹿の肉が好まれ、料理の仕方も様々あるらしい。飲み物は各自の好みに委せ、僕は、ノン・アルコールの「セルベッサ」というビールを頼んだ。出揃ったところで、乾杯。
水原氏に「如何ですか、収穫はありましたか」と、問われた。「教会で、『オルガス伯の埋葬』を観ました。彼の住んでいた家にも、行きました」と答えると、「いつか日本を廻った『スペイン美術展』は、観ているんですか?」と、また問われる。「東京で観ました。その時から、憧れていたんです」と漏らすと、氏は「グレコは特に、そうなりますね。ここまでやって来て観ると、また違うでしょう」と応じた。「『埋葬』は、スペインに兆した衰運を予感しているような、厳かな祈りを感じました」と、思いきって感想を述べると、氏は微笑して「それ、それ。グレコの祈りには華がある。だから貴方の言う、厳かな歌になるんです」「歌ですか?」「だから、人気がある。ベラスケスの透徹は、玄人好み。ゴヤの混沌は、哲学者向きですかな」と、自身に言い聞かせるように、頻りに頷かれた。……

夕食が終わり、3人で外へ出た。ソコドベール広場の、大木の木陰の一隅にあるカフェで、食後の珈琲を飲んだ。話題が変わり、水原ジュニアが「ニクソン大統領、来年訪中」に言及すると、水原氏は「北京政府を中共として孤立化させることは、もはや出来ない。日本も考えなくてはね。わたしも歳ですが、中国へも行ってみたいな」と呟かれた。……まだ夏の夜だが、ずいぶん涼しくなった。ジュニアが「英国の友だちと電話で話したんですが、ロンドンではコートを着たそうですよ」と言った。スペインとは、そんなに違うのか、と思った。

この夜も、12時頃に就寝した。……


◎写真は  トレドのサンタ・マリア・ラ・ブランカ教会(1971年8月に撮る)